新しい生命
台風やばかったですね。
それもあって色々遅れてます。
休みが欲しい。書く時間が欲しい。
大地を覆っていた熱と瘴気は、巨大な白銀の翼によって切り裂かれ、清澄な空気に置き換わっていた。森の縁。朝露を纏った木々の間から差し込む光は、戦場となったクレーターを避けるように、穏やかに一行を照らしている。
「……よかった。本当に、よかったわぁ」
リリアが、子供たちを乗せた馬車と共に、森の小道から現れた。彼女の隣には、金色の瞳を輝かせたシルヴィスが立っている。彼女の体躯は以前よりも強靭さを増し、白磁のように滑らかな肌には、二本の鋭い角と、尾が生えていた。
半竜人として再生したシルヴィスは、外套を肩にかけながら、その場にいる全員を、静謐な眼差しで見渡した。彼女の佇まいには、もはや過去の挫折や迷いの影はなかった。ただ、揺るぎない信念と、新たな生への決意が宿っている。
「トランス殿、サラ殿、トニー殿、そしてリーゼ殿。皆様のおかげで、私たちは再び立つことができました」
シルヴィスは深く一礼した。彼女の硬質な言葉遣いの中に、以前はなかった、確かな人間的な温かさが感じられた。
「これも天命だと受け入れます。私は、この新しい身をもって、この世界で為すべき正義とは何か、新たな生き方を探していきたい」
彼女の決意に満ちた声は、まるで朝の鐘のように澄み切っていた。彼女は、もはや過去の王国騎士としての肩書きに囚われていない。
その隣で、ゴルドとバーゴが、重い足取りでトランスの前に進み出た。ゴルドはいつもの威圧的な兜を外し、金色の髭を震わせながら、トランスの前にひざまずいた。
「本当に、申し訳なかった……」
彼の声は掠れていた。長年信じてきた「大義」が、単なる人間の思い上がりと勘違いであったという事実が、彼の誇りを根底から打ち砕いたのだ。
「我が信じた騎士道は、腐敗と無知の上に立っていた。貴殿の純粋な信念と、シルヴィスの命を賭した行動を見るまで、私は目を覚ますことができなかった」
バーゴもまた、震える声で続いた。
「我々が、どれほど非道な行為に加担していたか……申し訳ない……」
トランスは、彼らの謝罪を前にしても、感情を表に出さなかった。ただ、静かに彼らを見下ろす。彼の胸の穴は、まだ恐怖を吸い込もうとしているが、その恐怖は、目の前の彼らの真摯な懺悔によって、わずかに和らいでいた。
シルヴィスは、ゴルドとバーゴの肩にそっと手を置いた。
「頭を上げてください、ゴルド殿、バーゴ殿。迷いながら中途半端な正義を振りかざしていた私が、貴殿らを責められようか。この罪は、私自身が最も深く負うべきものだ」
「シルヴィは協力してくれていただけよぉ。そんなこと言わないで」
リリアが、慌てたようにシルヴィスの言葉を遮った。彼女の瞳は、まだ涙で潤んでいるが、その顔には、子供たちを守り抜いた者特有の、静かな満足感が浮かんでいた。
シルヴィスは、リリアに微笑みかけ、再びトランスへと視線を向けた。彼女の金色の瞳は、トランスの古びた鎧を、まるで白銀の聖鎧として見ているかのようだった。
「貴殿の雄姿に、私は初心を思い出したのです」
シルヴィスは、そう言って立ち上がった。
トランスは、その言葉に、わずかに硬い声を漏らした。
「……ぬ?」
彼の感情が、これほど明確に驚きを示すことは稀有だった。
「守るべきものを守るために、迷いなく行動する貴殿の姿に、私は、幼少の頃憧れた、理想の騎士の姿を重ねた」
シルヴィスの言葉は、彼にとって、何よりも重い賛辞だった。記憶を失い、自身が何者であるかを知らない彼にとって、その行動が「騎士」として認められた事実は、彼の存在の根拠を与えてくれるようだった。
トニーが、面白そうにトランスの脇腹を肘でつついた。
「へへ、旦那、惚れられちまったんじゃねぇか!」
サラは、トニーを軽く睨みながらも、トランスにそっと微笑みかけた。彼女の瞳には、深い敬愛の色が宿っている。
「シルヴィスさんの言う通りです。トランスさんは、私たちの光です」
トランスは、彼らからの温かい視線を受け止めながら、静かに、しかし力強く答えた。
「……そうか。お前の信念、受け取った」
彼の言葉は、短いながらも、シルヴィスの新たな決意を肯定するものだった。
シルヴィスは、深く頷いた。
「いつかまた、その隣に、私が胸を張って立てるようにな。私は、この体で、この世界に蔓延る不義を打ち砕く」
リリアも、決意を新たにしたように、胸元のロザリオを握りしめた。
「わたしも、今助かった命を、これから先もずっと守っていくわぁ。もう、誰にも、あの子たちを傷つけさせない」
ゴルドは、立ち上がり、決然とした表情で言った。
「孤児院の件は、我が引き継ぐ。帝国側として動き、真の騎士道を示す。上手くやってみよう」
彼の声には、以前の尊大さではなく、真の使命感が宿っていた。バーゴもまた、その背後に立ち、静かに頷いている。
リリアとシルヴィスは、森の奥へと逃がした子供たちの保護に向かう準備を始めた。リリアは、その後孤児院へ戻り、ゴルドと連携して、子供たちの身の安全と引き渡しを続ける予定だという。
トランスは、その光景を静かに見つめ、思わず苦笑を漏らした。
「……世界は、わからないものだ」
彼の言葉は、極度の寡黙さを持つ彼にしては、珍しく長い独白だった。
馬車から、顔を覗かせた子供たちが、トランスに向かって手を振る。
「騎士様、ありがとうございました!」
「絶対、またね!」
子供たちの純粋な感謝の言葉は、トランスの心に、温かい火を灯した。
トランスは、懐から布に包まれた、小さな包みを取り出した。それは、彼が以前、辺境の村で譲り受け、獣人を襲った悪を退けた仮面だった。彼はそれを、シルヴィスへと差し出す。
「森の大分奥地になるが、獣人達の集落がある。これを見せれば敵対することはないだろう。更にハガイの方へ向かうと、森の主を信仰する村がある。友好的に接してもらえると思う。名前を出してもらって構わない」
トランスは、それが何を意味するかを具体的に説明しなかったが、その重みは、彼らの今後の行動の安全を保証するものだろう。
トニーは、慌ててトランスの言葉を遮った。
「お、おい旦那! 子供達の前で、そいつは出さないほうがいいかもしれないぜ!」
サラもまた、顔色を変えてトランスに歩み寄った。
「念のため、個人で確認してください!」
シルヴィスは、怪訝そうにしながらも、トランスから受け取った布包みを、そっと懐にしまった。彼女は、トランスの行動には、必ず深い意味があることを理解していた。
「承知いたしました。貴殿の心遣い、感謝いたします」
リリアは、トランスに深々と頭を下げた。
「トランスさん、本当にありがとう。貴方と会えて、わたしは……」
彼女は言葉に詰まり、瞳を潤ませたが、すぐに笑顔に戻った。
「また、旅の途中で、お会いできることを祈っているわぁ」
やがて、馬車は森の奥深くと続く小道へと進んでいった。シルヴィスとリリア、そして子供たちの姿が、緑の木々の間に消えていく。ゴルドとバーゴは、彼らに背を向け、街へと続く道を引き返し始めた。黙々と帰りの馬車を準備する彼らの背中には、新たな使命を負った、騎士としての重みが感じられた。
トランスは、残された仲間たち――サラ、トニー、そして背中で眠るリーゼ――と共に、その場に立ち尽くしていた。
周囲の空気は、戦いの激しさを忘れさせるほどに穏やかだ。胸の穴は、再び冷たい風を吸い込んでいるが、彼の表情は、肩の荷が降りたように清々しかった。
リーゼの魔力同調、サラの安定、シルヴィスの再生、そしてゴルドの改心。
彼が、守るべきものを守るために立ち上がった結果、世界は確かに動き出したのだ。
彼は、静かに、腰に帯びた獣王の牙に触れた。エンシェントドラゴンより与えられた牙の力は、彼の剣に、さらに深い赤の輝きを与えている。
サラは、トランスの顔を見上げた。彼女の瞳には、不安はもうない。ただ、彼への信頼と、冒険への期待が宿っていた。
トランスは、ゆっくりと王都への方向へと視線を向けた。彼の旅は、まだ終わってはいない。彼の記憶と、この鎧の真実を探る旅は、これからが本番なのだ。




