忌子
トランスは、力尽きたように動かないサラの傍らに、リーゼを抱いたまま膝をついた。
戦いは終わった。代償は大きかった。シルヴィスは、誇りを貫いて散った。その亡骸を見送るリリアとゴルドの姿が、砂塵の向こうに小さく見えている。
サラは、俯き、静かに佇んでいた。トニーが彼女の傍で、心配そうに声をかけている。
「サラちゃん、大丈夫か? 超過魔法ってのは、そんなにヤバいのかよ……」
その時、サラの身体から、微かに紫色の光が漏れ始めた。地面の砂が、光の波動に合わせて震える。それは、周囲の魔素を無理やり、そして一方的に集め始めている兆候だった。
「……ガア……アア」
サラの喉から、低く、獣のような唸り声が漏れた。
トニーが、異変に気づき、顔を青くした。
「トランス! サラちゃんの様子がおかしい!」
サラがゆっくりと顔を上げる。彼女の澄み切った水色の瞳は、すでに消滅していた。代わりに、紫色の魔力が渦巻き、ドラゴンのそれのように縦長に鋭く伸びた瞳孔が、トランスを捉えていた。
「グルルルルル……」
それは、彼女の内に眠る魔族の血と、制御不能な膨大な魔力そのものが、表層に現れ始めた証拠だった。
彼女は、自分がどれほど危険な存在かを知っている。だからこそ、封印し、制御し続けてきた。しかし、ドラゴンを相手に限界を超えた超過魔法を使用したことで、その箍が外れてしまったのだ。
サラの手に握られていた、母親の形見である杖が、キィン、という悲鳴と共に、内部に溜め込まれていた魔力に耐えきれず、粉々に砕け散った。魔力制御の補助装置だった杖の崩壊は、制御の完全な崩壊を意味する。
サラの細い身体が高熱を帯び、彼女の肌が赤く焼けただれ始めた。
「う、うああああああああ!」
トニーが、恐怖に足が竦みながらも、サラに手を伸ばそうとする。
「サラちゃん! 熱い! やめろって!」
だが、魔力の奔流は、トニーを寄せ付けない。
(……このままでは、彼女の身体が、制御できない魔力に焼き尽くされる)
サラの頭の中では、過去の記憶が、走馬灯のように流れていた。
――遠い昔。まだ幼かったサラは、一人の少年に手を引かれ、街の外へ抜け出していた。
気になる少女に、かっこいいところを見せたいという理由で連れ出した少年は、たった一匹のゴブリンを追い払って、得意げに胸を張った。
「ははっ、どうだ! 俺は強いんだぜ!」
サラは、憧れと純粋な好奇心から、目をキラキラと輝かせた。
「わぁ~! すごいね!」
しかし、その直後、二人はゴブリンの群れに囲まれた。少年はパニックに陥り、持っていた小さなナイフを落とす。
「うわぁぁぁ! なんで魔法が効かないんだよ!」
少年は、弱い魔法はゴブリンの群れに通用しないことを知っていた。
サラは、母から固く言いつけられていた。絶対に、魔力を使ってはならない、と。しかし、目の前の少年が震えている。
「わ、私がやってみる……」
サラは、恐怖を押し殺し、覚えたての呪文を唱えた。
「<あっちへ行けー>!」
彼女から放たれたのは、制御不能な膨大な魔力の奔流だった。それはゴブリンの群れを、ただ吹き飛ばすだけでは済まなかった。魔力は暴走し、周囲の魔素を吸収しながら、無限に増幅していく。
「<死んぢゃえ>」
その声は、もはやサラの声ではなかった。魔力に飲まれた、別の存在の叫び。
ゴブリンの群れは、一瞬で肉塊と化し、死体の山となった。
少年の顔が、恐怖に歪む。
「ひっ……化け物――」
その一言が、幼いサラの心を、永遠に縛り付けた。冒険者に保護された後も、彼女は忌子として避けられるようになった。
それ以来、サラは笑顔を張り付け、自分の力を忌避しながら生きることを選んだ。二度と、あの時の自分にならないために。
――それが、今、目の前で再び起きようとしている。
「サラ……」トランスは呻いた。
トランスの胸に、抗いがたい恐怖の波が押し寄せる。魔力を暴走させる彼女は、もはや魔物と変わらない。魔物と相対すると身が竦む、彼の呪いのような制約が、再び彼を縛り付けようとしていた。
恐怖で身体が動かない。しかし、彼の背中には、リーゼがいた。
背中に背負われたまま意識を失っていたリーゼが、微かに「う、うー」と嗚咽を漏らし、トランスのマントの端を、小さな手で、強く引っ張った。
言葉はない。だが、その微かな動作は、トランスの心に語りかける。
トランスは、リーゼを抱き直すようにして、深く頷いた。
「……あぁ」
恐怖は、消えない。だが、守るべきものが、彼の行動を許容する。
トランスは、身を灼くような熱風と、制御を失った魔力の波動をものともせず、一歩、また一歩と、サラへと近づいた。
「トランス! 危ないって!」トニーが叫ぶ。
トランスは、その警告を無視し、目の前に立つサラの、紫色の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「……サラ」
トランスは、全身の力を使い、熱で焼かれ始めたサラの身体を、強く抱きしめた。全身を覆う古びた鎧が、一瞬で高熱を帯びる。
「……お前は、化け物などではない」
トランスの、感情を排した、しかし揺るぎない声が、サラの耳元に響く。
「お前はお前だ。受け止め、受け入れ、共に歩めばいい。恐怖は、力に変えることができる」
トランスの鎧越しに、リーゼの献身的な魔力が、サラへと流れ込み始めた。
**慈悲のマント**によって機能する、**魔力同調**の発動だった。
トランス自身の魔力と、リーゼの魔力、そして周囲の魔素を無限に吸収し暴走しようとするサラの魔力回路が、一時的に強制的に同調させられる。
三つの魔力が、一つの大きな流れとなって循環し始める。
トランスの体内にあった、わずかな治癒の魔力と、リーゼの純粋な魔力が、サラの暴走した回路を優しく包み込み、熱を鎮めていく。
その瞬間、古びた兜が、リーゼの魔力に呼応して白銀の光を放った。その光は、砕け散ったサラの杖の残滓を集め、サラの額へと移動する。
カチリ、と音がした。
白銀のサークレットが、サラの額に現れた。それは、魔力を安定させ、制御を補助するための、新たな制御装置だった。
熱が引いた。サラの身体を焼いていた高熱が、まるで嘘のように収まる。
サラの紫色の瞳は、ゆっくりと元の澄み切った赤へと戻っていった。
彼女は、トランスの胸の中で、小さく震えていた。
「……ありがとう……ございます……わたし……いいんですね……」
彼女の口から零れたのは、心の底からの、解放された安堵の言葉だった。
トランスは、抱きしめる力を緩めず、簡潔に答える。
「あぁ」
背中のリーゼが、トランスの鎧から顔を出し、サラの頬に手を伸ばした。
「あぅ!」
リーゼは、サラの頭を優しく撫でつけた。その瞳には、強い光と、深い慈愛が宿っていた。
サラは、堰を切ったように、大粒の涙を流した。これまでの孤独と、恐怖と、自己嫌悪。すべてが、この抱擁と、幼い少女の温かさによって洗い流されていくようだった。
「……うう、ひっく……」
その時、横でずっと見守っていたトニーが、大袈裟に手を振りながら、自己主張を始めた。
「おーい……俺も俺も……聞いてる? 俺っち、ずっと心配してたんだぜ! サラちゃん、俺のことも抱きしめてくれてもいいんだぜ?」
トランスとサラ、そしてリーゼの三人が、同時にトニーへと視線を向けた。
サラは、涙を拭い、照れくさそうに微笑んだ。
「トニーさん……ありがとうございます。ご心配をおかけしました」
トランスは、静かに頷き、リーゼも「あぅ」と小さく鳴いた。
トニーは、三人の微笑みに、ようやく安堵の息を漏らした。
「へへ、良かったぜ。これでまた、賑やかな旅が続けられるな」
彼の恐怖は、完全に消えたわけではない。しかし、彼は、仲間と共に、前に進むことを選んだ。




