慟哭
次回更新少し遅れます。
パソコンに触れられない……
少しだけドラゴンに襲われた被害状況を修正しました。
リリアの嗚咽が、血の匂いが漂い始めた広場に響き渡った。彼女は地面に膝をつき、顔を覆い、抑えきれない悲しみを吐き出している。
「…わ、私、は、ねぇ……子供、た、ちを、誇りに、思って、いたん、ですぅ……」
リリアののんびりとした、間延びした口調は崩壊していた。声はかすれ、途切れ途切れになっている。
「あの子、た、ちが、立派な、大人に、なって、し、幸せに、なるっ、てぇ……信じてぇ、送り、出し、た、んですよぉ……」
彼女は顔を上げ、涙と泥にまみれた顔を晒した。紫色の淡い髪が乱れ、その瞳には、かつて見た子供たちの絶望が焼き付いている。
「でも、違ったぁ……! 知ってしまったんですぅ! 追いかけたら、わかってしまったんですぅ!」
彼女の瞳が一瞬、激しい憎しみの光を帯びた。
「あの子たち、は……あの子たちは、**ドラゴンの餌**に、なっていたんですよぉ! 人身御供、なんて、聞こえはいいけどぉ……ただ、生きたまま、食い殺される、ため、だったんですぅ!」
リリアの叫びは、まるで魂の奥底から絞り出された悲鳴のようだった。命を奪われた子供達への贖罪と、これ以上の犠牲を絶対に出さないという強い決意が、その言葉の裏側に燃え盛っている。
トニーが、顔を歪ませた。
「……嘘だろ、おい……」
彼は楽天的なジョークを言うことすら忘れ、ただの若者として、その非道な事実に戦慄していた。
ゴルドは重装甲の中で、動揺を隠すように声を荒げた。
「静まれ、リリア! 落ち着け! あれは……あれは、必要な犠牲だ! 我々は都市の均衡を保つために、魔物の活動を抑制せねばならん! その対価として快適な環境を用意したのだ、苦痛はなかったはずだろうが!」
「対価、ですってぇ?」
リリアは立ち上がった。彼女の温和な笑顔は完全に消え失せ、芯のある、緊迫した口調に変わる。
「あなたは、本当に、騎士ですか。あるいは、人間ですか。あの子たちが、最後に私を見た時の、あの憎しみに満ちた目……! 『なぜ助けてくれないの』と問う、あの視線が、今も、毎晩、夢に出てくるんです! 」
彼女は胸元のロザリオを強く握りしめた。
「この世界では、口減らしとして子供が犠牲になることが一般的? 知っています! だからこそ、私が、せめて、愛されるべき子供がなぜ犠牲にならなければならないのか、その答えを探し続けたんです! 答えは、彼らが、ただ、**生きた餌**として利用される、消耗品だったという事実だけだった!」
慟哭。リリアは再び声を上げて泣き崩れた。
サラは、魔法を使うこともできず、ただ混乱していた。彼女の慈愛の精神は、この世界の冷酷な現実と、リリアの決死の行動の狭間で、激しく揺さぶられていた。
シルヴィスは、銀色のフルプレートの中で微動だにしなかった。彼女はゴルドを冷徹に見据える。
「ゴルド。貴殿の言う『大義』は、その子供たちの命の上に成り立っている。騎士道とは、弱者を守る盾であるべきだ。貴殿は、その職務を完全に放棄した」
「貴様!戻れ!必要悪がこの世にはあるのだ!」
「もういい、撤退するぞ」シルヴィスはリリアに声をかけた。
「リリア、計画通りだ。子供たちを集めろ」
リリアは嗚咽を堪え、震える手で子供たちに合図を送った。
「ごめんねぇ……本当に、ごめんねぇ……」彼女は謝罪の言葉を繰り返しながら、子供たちを誘導しようと動き出した。
その時、空気が変わった。
「……う、上です」
王都側兵士、ロッソが、麻痺した体で首だけを上げ、震える声で空を指した。彼の顔は恐怖に凍り付いている。
広場全体に、巨大な影が差し込んだ。太陽の光を遮る、圧倒的な質量。
誰もが、その影の主を理解するのに数秒を要した。それは、山頂に巣食うと噂されていた、深紅の鱗を持つ古代種――**ドラゴン**だった。
ドラゴンは、巨大な翼をほとんど動かすことなく、静かに丘に降り立った。その着地の衝撃で、地面が微かに揺れる。
深紅の巨体は、ロッソがいる場所のすぐ隣に、まるで王座に着くかのように鎮座した。
そして、その巨大な口が、麻痺で動けないロッソと、そばにいた孤児院の子供の一人――まだ五歳にも満たない幼い少女――を、同時に捕らえた。
「――いやあああ!」リリアの叫びが、広場を切り裂いた。
咀嚼音。
それは、硬い岩盤を砕くような、または、巨大な骨を粉々に打ち砕くような、凄まじく不快な音だった。
生々しい肉片と、熱い血液が、地面に降り注いだ。
血は、地面を赤黒く染めていく。
血だまりの中には、リリアが子供に贈った、小さなウサギのぬいぐるみが、見るも無残な姿で沈んでいた。
トランスの全身を、冷たい汗が伝った。
彼は麻痺している。体は石のように硬直し、指一本動かせない。
そして、彼は思い出した。魔物と相対した時の、あの強烈なトラウマと恐怖を。
(動け……動け、俺の体! なぜ、また、この感覚に……!)
彼の胸に空いた穴が、まるで恐怖の感情を直接吸い込んでいるかのように、冷たく、痛んだ。
守るべきものが、目の前で、理不尽に、消滅する。その事実が、トランスの精神を深く抉った。
ドラゴンは、捕食を終えると、その巨大な金色の瞳を動かし、次の獲物を探した。
その視線が、残された子供たちに向けられる。
子供たちは、逃げることもできず、ただ口を開け、金色の瞳を見つめていた。絶望。それは、幼い魂には耐えきれない、純粋な恐怖だった。
恐怖で身が竦み、動けなくなるトランスとは対照的に、リーゼの瞳には、強い光が宿っていた。それは、苦難に耐え続けた不屈の意志と、生まれ持った高貴さの証。
彼女は言葉を話せないが、その瞳は雄弁に語っていた。
(トランス……あなた、を……)
リーゼは、麻痺で動けないトランスの首に、そっと額を押し付けた。
その接触は、トランスの鎧に微かな振動となって伝わる。
その瞬間、トランスの全身を覆っていた麻痺の感覚が、一瞬だけ、焼き切れるような熱と共に弾けた。
(守らなければ)
トランスの恐怖心は、まだ彼の心臓を締め付けている。しかし、その恐怖を上回る、強烈な「守護の衝動」が、彼の全身を支配した。「守るべきもの」の危機が、彼の制約を打ち破った。
「グアアアアアアアアアアアアアアア!!」
ドラゴンが、次の捕食のために、飛翔する。次に向かった先は、恐怖に竦む子供の一人だった。
全員が、絶望に目を閉じた。
ゴルドは、自身が信じた「大義」の代償が、この圧倒的な暴力によって一瞬で踏み潰される光景に、ただ立ち尽くすしかなかった。
その刹那。
麻痺で倒れ伏していたはずの、全身が錆と汚れに覆われた、くすんだ鉄色の古びた騎士鎧が、爆発的な勢いで跳ね起きた。
トランスは、麻痺による体の痺れと、魔物に対する根源的な恐怖を、完全に無視した。
彼の行動は、思考ではなく、純粋な反射、そして**献身的な愛**によってトリガーされた。
彼は、背中にしがみつくリーゼを、まるで壊れ物を抱えるかのように、しっかりと抱きしめた。
そして、その体全体を盾にするように、迫りくるドラゴンの爪牙へと、たった一人で、**飛び出した**。




