強襲
山道は、不自然なほど静まり返っていた。トランスの全身を覆う古びた鎧は、周囲の異常な静寂の中で、まるで魂を吸い尽くされたかのように鈍く光を反射している。馬車の軋む音、孤児たちの小さな息遣い、そして彼の心臓の鼓動だけが、この場の空気を切り裂いていた。
「時間通りだ。全く、待ちくたびれたぞ」
待ち伏せ地点。道の向こうから、重厚な鎧を纏った二つの人影が現れた。一人は全身を黒色のプレートで固めた大柄な騎士、ゴルド。もう一人は銀色のフルプレートに身を包んだ、小柄なシルヴィス隊長だ。
ゴルドはバケツ型の兜の下で豪快に笑い、メイスを地面に突き立てた。
「我が推測した通り、貴様らは時間厳守の愚直な騎士団よ。そこは褒めてやろう」
「ゴルド殿」シルヴィスの声は、通常よりも遥かに沈んでいた。「このような真似、必要があったのか。私にまで秘密にするとは、どういうつもりだ」
シルヴィスは、トランス一行を待ち伏せるというゴルドの作戦に、内心深く不満を抱いていた。
一方、帝国兵のバーゴは、ゴルドの姿を見て一瞬で態度を豹変させた。先ほどまでトランスに対して尊大だった彼は、ゴルドの圧倒的な威圧感の前に、卑屈な笑みを浮かべる。
「ゴルド様!これは一体どういう状況でありますか?我々は護送任務の途中で……」
「黙れ、下郎」ゴルドの重厚な声がバーゴの言葉を遮った。「貴様らのような雑兵は、ただ指示に従えばよい。いいか、襲撃は内通者の仕業と推測した。我々の作戦は、予定を当日に変更し、孤児たちを分断して護送することに切り替えたのだ」
ゴルドは、自身が立てた作戦の合理性に酔いしれているようだった。
「その作戦の意図は理解できる」シルヴィスが静かに抗議した。「だが、なぜ私にまで知らせない?私はこの都市の管理者の一人だ。これは、私の職務に対する重大な背信行為ではないか」
「ははははは!」ゴルドは再び笑い飛ばした。「我の独断よ!貴様の生真面目さでは、この作戦を成功させるには隙がありすぎる。さあ、このままでは時間が惜しい。孤児どもを平等に二手に分け、我らがそれぞれ責任を持って目的地まで進行するぞ!」
ゴルドの指示は強引だった。孤児たちは突然の分断に戸惑い、不安そうな視線をトランスやロッソに向ける。
トランスは何も言わず、ただ静かに剣の柄に手を置いたまま、馬車の移動を見守っていた。彼の背中には、リーゼが小さな体でしがみついている。リーゼの翠色の瞳は、この場の緊張と、トランスのわずかな動揺を正確に捉えていた。
子供たちが半々に分けられ、トランスは数人の孤児と共に、ゴルドとは別の方向へと進路を取った。
***
分断された護送は、数時間後、目的地の広場で再び合流した。
そこは、なだらかな丘陵地帯に囲まれた、荒涼とした広場だった。周囲の空気は、山道よりもさらに重く、鳥の鳴き声一つ聞こえない。異常な静寂が、トランスの全身の神経を逆撫でする。彼の内なる恐怖心が、この場所に潜む「何か」を察知し、警告を発していた。
トランスは、胸に空いた穴の奥で、無意識のうちに息を詰めた。
広場の中央で、ゴルドとシルヴィスの一行と合流する。彼らの周りも、不気味な静けさに包まれていた。
「着いたぞ!」
シルヴィスが、不自然なほど大声で叫んだ。その声は、広場の静寂を切り裂くにはあまりにも甲高く、どこか空虚に響いた。
その瞬間、子供たちが動いた。彼らは一斉に、周囲の大人たち――ゴルド、バーゴ、ロッソ、そしてトランス――にしがみついた。まるで、自分たちの役目であるかのように。
そして、茂みから一人の人影が姿を現した。フードを深く被り、顔は判別できない。
「ゴルド殿!これ以上、この子たちを連れて行かせはしません!」
その声の調子と、わずかに間延びした語尾に、トランスは既視感を覚えた。
次の瞬間、銀色の閃光が走った。
「ぐっ!」
シルヴィスが動いたのだ。彼女が抜いた剣は、帝国兵バーゴの腹部に、正確に、そして容赦なく叩きつけられた。
バーゴは呻き声を上げる間もなく、全身の力を失い、その場に昏倒した。
「貴様、何をする!」
ゴルドが驚愕の声を上げ、しがみついていた子供たちを荒々しく振りほどいた。シルヴィスは、バーゴを倒した勢いそのままに、ゴルドの重装甲の胸部に剣を叩きつける。
キン、という高い音と共に、剣はゴルドの鎧に弾かれたが、シルヴィスの攻撃は止まらない。
ゴルドは、自らの甲冑の防御力に感謝しつつ、腰のメイスを構え応戦の姿勢を取った。「貴様、反逆か!正気か、シルヴィス!」
***
トランスは、背後からの異変に気づいた。
「っ!」
背後から、小さな手が、彼の鎧の隙間を狙って突き刺さってきた。鋭い痛みが走るはずの場所だったが、ナイフの切っ先は、古びた鎧の表面に当たって滑り、カチリと音を立てる。
トランスの周りを取り囲んでいた孤児たちが、手にしたペーパーナイフや、細い木の枝のようなものを、一斉にトランスの鎧目がけて突き立ててきたのだ。彼らの目には、恐怖ではなく、決意が宿っていた。
トランスは、子供たちを傷つけることを恐れ、剣を抜くことも、動くことも躊躇した。その一瞬の隙を、フードの人物は見逃さなかった。
「パラライズ」
かすかな囁きが、トランスの耳に届いた。
その瞬間、トランスの全身を、強烈な痺れが襲った。それは、彼の魔力回路全体を硬直させるような、強力な麻痺の効果だった。
トランスは、重い鎧を支えきれなくなり、膝から崩れ落ちる。
「く……っ!」
彼は、全身の制御を失いながらも、最後に残った僅かな力で、背中にしがみついていたリーゼを前方に庇うように、自らの体を盾にした。リーゼの翠色の瞳が、恐怖に大きく見開かれる。彼女は、トランスの絶対的な献身を、間近で感じ取っていた。
広場にいた全員が、一斉に膝をついた。
ゴルドもまた、重装甲のまま地面に倒れ伏し、メイスを手放した。
「な、なんだ、これは……」王都兵のロッソは青ざめ、手足を痙攣させている。
トニーは、状況の異変にいち早く気づき、弓を構えようとしたが、動きを封じられたシルヴィスが、その首元に剣を突きつけていた。
「動くな、狩人殿」シルヴィスの声は冷徹だった。
サラは、魔法を使おうと杖を握りしめたが、トランス達や子供達を巻き込むことを強く恐れ、魔力の放出を躊躇してしまう。
「これは……付与魔法か!」
地面に倒れ伏したゴルドが、呻きながらも叫んだ。騎士団屈指の防御力を誇る彼でも、麻痺効果の前には無力だった。
「ご名答ですよぉ、ゴルド殿」
フードの人物が、間延びした口調で答えた。
「その通り。子供たちが手にしていた、ただのペーパーナイフや木の枝。それらに麻痺効果を付与してありますぅ。接触しただけで、即座に効果を発動するよう、丁寧にね」
トランスは、麻痺で動かない体で、その人物を見上げた。その声は、彼がサザンイースで世話になった、あのシスターの声だった。
「リリア……だな?」トランスは、途切れ途切れの、か細い声で問いかけた。
フードの人物は、ゆっくりとフードを外した。
現れたのは、紫色の淡い髪を丁寧に結い上げた、シスター服の女性、リリアだった。彼女は、豊満な胸元に揺れるロザリオを両手で握りしめている。
「リリア院長……!」ロッソが驚愕の声を上げ、トニーとサラも困惑に満ちた表情を浮かべた。
シルヴィスは、リリアの行動を予期していたかのように、静かに沈黙を守っていた。
リリアは、トランスとゴルド、そして子供たちを見つめた。その穏やかな笑顔の裏には、深い悲しみと、国への激しい憎しみが宿っていた。
「私のせいで、皆さんに迷惑をかけてしまいましたねぇ」
リリアは、いつもの間延びした、のんびりとした口調を崩さない。
「でも、これは、未来のためですよぉ。この子たちの、未来のためなんですぅ」
彼女はロザリオを強く握りしめた。
「この子達が、人身御供だってことを、あなた方が知らないわけがないでしょう?」
リリアの瞳から、一筋の涙が流れ落ちた。しかし、その涙は、彼女の顔に刻まれた、自責と決意の憎しみの表情を洗い流すことはなかった。
彼女の告白は、広場にいる全員の心臓を、冷たい氷で貫いた。
場面は、孤児院の院長による、裏切りと告発という、衝撃的な状況で締めくくられた。




