引き渡し
早朝の空気はひどく湿り、中継都市サザンイースの孤児院は、まだ夜の冷たさを纏っていた。
トランスは、全身を覆う錆びついた古びた鎧を軋ませながら、孤児院の門の前に立っていた。腕の中にはリーゼがしがみついている。彼女はトランスに顔を埋め、微かな呼吸音を立てていた。
帝国側と王都側の兵士は、すでに不穏な空気で対峙していた。
王都側の兵士**ロッソ**は、革鎧に身を包んだ若者で、トランスに気づくとすぐに笑顔を作った。
「トランス殿、おはようございます!王都兵のロッソと申します。本日はよろしくお願いします」
対照的に、帝国側の兵士**バーゴ**は、鉄の胸当てをつけた大柄な男で、トランス一行を侮蔑の眼差しで見下ろした。
「チッ。子供連れの冒険者など、何を考えているんだ!こんな任務、我が帝国騎士団の恥だ!」
バーゴの露骨な不満に対し、トランスは感情を動かさず、ただ視線を彼に向けた。
「……任務だ。私情は挟まない」
トランスの低い声は、バーゴの不満を押し返すように静かだった。
その時、門が開き、**シスター・リリア**が、孤児たちを引き連れて現れた。彼女はいつもの質素なシスター服に、豊満な胸元でロザリオを揺らし、太陽のような慈愛に満ちた笑顔を浮かべていた。
「皆様、お待たせいたしましたぁ。さあ、みんな、護衛の騎士様たちにご挨拶をするのですよぉ」
リリアの呼びかけで、十名の孤児が整然と並んだ。彼らは皆、年齢の割に妙に落ち着いており、これから旅立つことへの期待よりも、どこか覚悟のようなものが瞳に宿っているように見えた。
「ああ、なんて健気なんだ!」
馬車の手綱を握りながら待機していた**トニー**は、琥珀色の瞳を潤ませた。
「あの子供たちの笑顔……!俺っち、絶対この子たちを無事に送り届けてやるぜ!」
隣に立つ**サラ**もまた、静かに目元を押さえていた。
「全く……。トニーさん、貴方まで。ですが、本当に心が洗われる光景です。リリア様は、まさに聖女ですね」
リリアは一人一人、子供たちを抱きしめ、別れを惜しんだ。そして卒業記念として、小さなぬいぐるみや、まだ手に余るようなペーパーナイフを渡していく。トランスは、その光景を無言で見つめていたが、ある一点に、得体の知れない違和感を覚えた。
リリアは、子供たちの耳元に顔を寄せ、何かを囁いている。その瞬間、一人残らず、子供たちの表情が、一瞬にして硬い覚悟を秘めたものへと変わるのだ。
彼女の穏やかな笑顔の裏に、深い悲痛が滲んでいるのをトランスは見逃さなかった。
子供たちが馬車に乗り込み始める。リーゼは、じっとリリアを見つめていた。
「……では、行ってらっしゃい」
リリアは、馬車の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
馬車は出発した。御者は兵士が務め、サラとトニーは馬車の後部で周囲を警戒し、リーゼはトランスの背中にしっかりと抱きついている。いつ戦闘があってもいいように、兜を被っている。
道はまず、サザンイースの北側にある広大な荒野を横断し、その後、山道へと入る予定だった。
「全く、こんな任務、さっさと終わらせたいものだ!」
バーゴは隣のロッソに聞こえよがしに大声で不満をぶつけた。トランスが兜をかぶったことで、騎士崩れであると認識したのか不機嫌さが最高潮であった。
「子供連れの冒険者に護衛を任せるなど、騎士団の沽券に関わる!トランス、貴様、足を引っ張るなよ!」
トランスは視線を向けることなく、冷静に言い放った。
「……私の責務を果たす。貴官の心配には及ばない」
背中で、リーゼが不機嫌な音を立てた。
「ぶー!」
それはバーゴの無礼な態度に対する、明確な抗議のようだった。
ロッソは慌ててフォローに入った。
「はは、リーゼ様はトランス殿に心底信頼を寄せているんですね!それに、言葉は話せなくとも、感情表現が豊かで……もしかしたら、魔法の才能があるんじゃないですか?」
「魔法、ですか」
サラは、ペンダントをそっと握りしめながら、不安げに呟いた。彼女の魔力制御の不安定さは、常に彼女の心の重荷だ。
「この山道へ入ると、魔物の出現率が上がります。特に、最近はドラゴンの目撃情報が増えていると、受付時代に耳にしました」
トニーが馬車の後部から、不安を打ち消すように軽快な声で割って入った。
「へへ、サラねぇさん、ドラゴンなんて噂にすぎねぇって!もし出たって、トランスの旦那がいるんだ。それに、俺っちの弓の腕を見りゃ、逃げ足だって速くなるぜ!」
「噂にすぎません」と、ロッソは形式的に答えたが、その顔にはわずかな動揺が見て取れた。
しかし、バーゴはトニーの軽口に激昂した。
「任務に疑問を抱くな!貴様ら冒険者は、我々の指示に従っていればいいのだ!」
荒々しい怒鳴り声に、子供たちは馬車の中で身を竦ませた。
「こわっ……」
トニーが、馬車の中から小さく呟いた。彼の軽薄な態度も、バーゴの威圧感の前では萎縮してしまう。
馬車は荒野を抜け、いよいよ山道へと入った。左右から草が勢いよく生い茂り、視界が極端に悪くなる。空気は急速に湿気を含み、周囲の音も吸い込まれていくようだ。
トランスは、兜の奥で静かに息を吸い込んだ。
(……この静けさ、異常だ)
周囲の自然の気配が、何かを警戒しているかのように沈黙している。
「う、うー……」
リーゼは弱々しい嗚咽を漏らし、トランスの鎧に顔を深く埋めた。トランスは、リーゼの頭をそっと撫でた。彼女を守ることが、トランスの恐怖に打ち克つ唯一の支柱だった。トランスは二倍の警戒心で周囲を警戒する。
「なんだか静かすぎませんか?」
サラが小声で呟く。彼女の表情には、この密林のような山道に対する強い不安が滲んでいた。
「……」
トランスは、この任務が単なる護送ではないことを確信していた。リリアの囁き、子供たちの覚悟、そしてこの異常な静けさ。全てが、これから起こるであろう悲劇の予兆のように感じられた。
馬車が緩やかなカーブを曲がりきった、その時だった。
ロッソは手綱を強く引き、馬車を急停止させた。
「何だ!」
バーゴが怒鳴る。
だが、トランスはすでに前方に視線を固定していた。
草木が途切れた、僅かに開けた空間。一行の進行方向に、一台の馬車が停まっていた。それは、護送隊が使うものとは異なる、飾り気の少ない、堅牢な造りの馬車だった。
そして、その馬車の前には、二つの人影が待機していた。
一人は、全身銀色のフルプレートアーマーを纏った、小柄だが威圧的な騎士。
もう一人は、重装甲のフルプレートアーマーを着用し、金色の髭をたくわえた、大柄な騎士。
彼らは、一行の到着を、最初から知っていたかのように、微動だにせず立っていた。
「ゴルド殿!」
ロッソが驚愕の声を上げた。
「シルヴィス隊長までどうしたんですか!」
バーゴもまた、驚きで目を見開き、威勢の良さを完全に失っていた。
トランスは、胸の穴が不自然に脈打つのを感じながら、剣の柄に手をかけた。
「どうゆうことだ……?」
トランスの低い声が響いた。背中で、リーゼが「う~?」と、微かな疑問の声を上げた。
(……彼らが、ここで待っている理由は何だ)
トランスは、銀色の鎧と、重厚な鎧の騎士を睨みつけた。




