サザンイースの孤児院
全身を覆う鎧が、鉛のような重さを感じさせていた。トランスは、昨日の帝国騎士ゴルドとの押し問答、そして結果的に引き受けざるを得なかった「孤児の護衛」という任務について、深く内省していた。
翌朝、宿の扉を叩いたのは、王国騎士シルヴィスだった。彼女は銀色のフルプレートアーマーを纏い、澄んだ声で謝罪の言葉を述べた。
「昨日のゴルド殿の強引さ、誠に申し訳ありませんでした。あの者は、騎士としての誇りよりも、任務の遂行を優先しすぎるところがある」
サラは外套の下で、露出度の高いローブの裾を握りしめながら、冷静に応対した。
「いえ。我々も報酬をいただくことになりました。サザンイースの現状を鑑みれば、騎士団の事情も理解できます」
トニーは、部屋の隅で弓の手入れをしながら、肩を竦めた。
「まあ、しゃーないって。威張り散らしてりゃ、誰も逆らわねぇんだ。ゴルドの旦那は、威勢がいいだけだろ?」
「では、孤児院へご案内いたします」シルヴィスは簡潔に告げた。「道中、少々立ち寄る場所がある。ついてきてほしい」
一行はサザンイースの石畳を歩いた。この都市は、帝国と王国の共同管理下にあり、表面的な秩序と、その下に潜む抗争の予感が、冷たい空気のように街全体を覆っていた。
シルヴィスは騎士団の詰所とは反対方向、活気のある市場区画へと一行を導いた。そして、大きなパン屋の前に立ち止まると、店の中に入っていった。
数分後、シルヴィスは両手いっぱいに抱えきれないほどの、焼き立てのパンの包みを持って戻ってきた。香ばしい匂いが、トランスの鎧の鉄錆の匂いを打ち消した。
「これを持ってくれ。孤児院の子供たちへのお土産だ」
トニーは目を丸くした。「へぇ、騎士様がパンを配るたぁ、粋なことをするじゃねぇか。あんた、堅物に見えたが、意外と人情家なんだな」
「これは、私の個人的な責務である」シルヴィスは表情を変えずに答えた。「子供たちの笑顔は、何よりも価値がある」
サラはパンの包みを一つ受け取り、その温かさに少しだけ心が和むのを感じた。「分かりました。トランス、トニー、協力をお願いします」
トランスは無言で頷き、パンを受け取った。リーゼが、パンの香りに反応して、小さな「うー」という不明瞭な声を漏らした。彼女の翠色の瞳は、パンの包みに注がれ、微かな希望の光を宿していた。
やがて一行は、街の比較的裕福な区画にある孤児院に到着した。
トニーが思わず声を漏らした。「おいおい、すげぇ立派な建物じゃねぇか。孤児院ってもっとボロいと思ってたぜ」
石造りの建物は清潔で、手入れが行き届いている。帝国と王国の共同出資という名目が、この施設の富裕さを担保しているようだった。
扉が開くと、紫色の淡い髪を結い上げたシスター服の女性が、柔らかな笑顔で一行を迎えた。彼女の胸元にはロザリオが揺れ、その体躯は母性的な豊かさを感じさせた。
「まぁ、シルヴィス様、ようこそいらっしゃいましたぁ。そして、護衛の皆様、ご苦労様ですぅ」
彼女の口調は、のんびりとした間延びしたトーンだった。
「わたしが、この孤児院の責任者、リリアと申しますぅ」
シルヴィスはパンをリリアに手渡した。
「リリア、護衛の者たちだ。明日の護送について、詳細を詰めてくれ」
リリアはパンを抱えながら、サラに視線を向けた。「ありがとうございますぅ。明日の朝、10名の子供たちを護送していただきたいんですぅ」
サラは驚きを隠せなかった。「10名ですか。一度にそんなに大人数を?」
「えぇ、本当は小分けにしたいのですが、最近、野盗の襲撃が増えていましてぇ」リリアは不安げにロザリオを握りしめた。「騎士団の方から、安全のため、数をまとめるようにと指示がありましてぇ。皆様には、どうかご尽力いただきたいんです」
その時、リリアの視線が、トランスの背中にいるリーゼに注がれた。リーゼは、リリアの清らかなシスター服と、その穏やかな笑顔に、目を輝かせていた。
「あら、この子もかわいらしい子ですねぇ。トランス様のお子さんですか?」
トランスは、一拍の沈黙の後、簡潔に答えた。
「……いや。訳ありで、行動を共にしている」
リリアはリーゼの、その瞳に宿る不屈の意志を静かに見つめた。
トランスの心に、迷いが生まれた。この孤児院は、表面上は安全で、清潔で、愛情に満ちている。もし、リーゼをこの孤児院に預けることが、彼女の不遇な運命を終わらせる最善の道なのではないか。
トランスの鎧の下で、感情が揺れ動くのを感じ取ったのだろう。リーゼは微かな嗚咽を漏らし、トランスのマントの裾を、小さな指で強く掴んだ。その力は、彼女のトランスに対する絶対的な依存と、別離への強い恐怖を示していた。
トランスは、その小さな手の温度に、迷いを断ち切った。
「すまん」彼は言った。声は重厚で、断定的だった。
リリアは、トランスの決断と、リーゼの安堵の息遣いを静かに受け止めた。彼女の柔和な表情が、一瞬だけ、硬質なものに変わった。
「……そうでしたかぁ」
リリアは、周囲に聞こえないほどの、囁きのような声で呟いた。その声には、一切の間延びした調子は含まれていなかった。感情を抑え込んだ、芯のある、静かな怒りにも似た響きがあった。
「本当に大切だと思うなら、手放してはいけませんよ」
それは、トランスの決意を肯定する言葉であると同時に、血の滲むような警告のように聞こえた。彼女の瞳の奥には、深い苦悩と憎しみが垣間見えた。
トランスは、リリアの言葉に込められた真意を測りかねた。しかし、この孤児院が、単なる慈愛の場所ではないことを、本能的に理解した。
「了解した」トランスは改めて言った。「明日の護送、万全を期す」
リリアは再び、柔らかな笑顔を浮かべた。「ありがとうございますぅ。どうぞ、お気をつけてお戻りくださいませ」
一行は孤児院を後にした。リーゼは疲れたように、しかし安心したように、トランスの鎧に顔を埋めた。




