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亡国の騎士  作者: 黒夢


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35/142

厄介事

「すげえな、おい。本当に半分こじゃねぇか!」

トニーが目を丸くして、興奮した声を上げた。彼の琥珀色の瞳は、帝国側の重厚な石造りの建物と、王国側の華やかな装飾を持つ木造建築の間を忙しなく往復している。トニーの好奇心は尽きず、新しい街の喧騒に、辺境の若者らしい憧憬を抱いているようだった。


トランスは何も言わず、ただその光景を静かに見つめていた。彼は今、ロブとベックの指示で重い兜を外し、記憶喪失に苛まれた素顔を晒している。


「建物は大丈夫ですよ? ギルドは中立地帯に建っているんですから、変な戦闘には巻き込まれません」

サラが落ち着いた声音で、トランスの隣で言った。彼女は外套をしっかりと纏い、露出度の高いローブを隠している。理知的で隙のない彼女の姿は、不安を抱える一行にとって導きの光だ。


リーゼはトランスの腕の中で、大きな翠色の瞳をきょとんとさせていた。彼女にとって、この街の喧騒も、黒と白の対比も、すべてが初めて見る光景だった。彼女はトランスの胸に顔を寄せ、「うー」と小さな息を漏らした。トランスは無意識に、抱きしめる腕に力を込めた。この小さな命を守るという目的こそが、彼の心を覆う霧を払う唯一の光だった。


巨大な冒険者ギルドの建物は、まさにその黒と白の境界線、噴水広場に面して威容を誇っていた。石造りの外壁には、帝国と王国の紋章が並んで掲げられ、中立の証として機能している。


「さあ、行きましょう。早く納品を済ませて、ロブさんたちと合流しないと」

サラが促し、一行はギルドの重い扉を潜った。


ギルド内部は、予想通り、熱気に満ちていた。冒険者たちの喧騒、依頼の掲示板をめくる音、酒の匂い、そして剣と魔力の微かな残滓が混ざり合っている。


サラは迷わず買取カウンターへと向かった。トランスは壁際で、リーゼを抱いたまま、背後の壁に背を預けた。彼の視線は常に、周囲の冒険者や、ギルドの奥深くへと注がれている。


「買取をお願いしたいんですけど」

サラが、落ち着いた笑顔で受付の女性に話しかけた。彼女は手慣れた様子で、討伐した魔物――主に森で仕留めたオーガの牙や、ゴブリンの耳などの部位をカウンターに提出した。


受付嬢が査定を始める間、トニーは掲示板の前で依頼内容をチェックしていた。


「へへ、やっぱサザンイースはでかい依頼が多いぜ」

トニーが軽口を叩いたが、すぐに表情を引き締めた。

「っと、トランスの旦那。あそこの騎士たち、なんか揉めてるぜ」


トランスはトニーが指し示す方向を見た。

ギルドの一角で、二人の騎士が受付嬢と激しく言い争っている。一人は全身を漆黒の重厚な鎧で覆った騎士、ゴルド。もう一人は、清潔感のある銀色の鎧を纏った騎士、シルヴィスだ。


「いいか、言っているだろう! この街の治安維持は我々帝国の責務だ。貴様らギルドは中立を謳うなら、この緊急事態にこそ協力すべきだろう!」

ゴルドは、その威圧的な態度と、黒鎧の重さで、受付嬢を圧倒しようとしていた。彼の声は、ギルドの喧騒を突き破るほど大きく、傲慢に響く。


「申し訳ございません、ゴルド様。ですが、現在、銀級以上の冒険者は、すべて商人達の護衛依頼で出払っております。特にこの時期は、物流の移動が多く……」

受付嬢は顔を引きつらせながらも、毅然とした態度を崩さない。


「貴様、我々を愚弄するか! 商人のことなど、どうでもいい。今、我々が追っているのは、この街の均衡を崩しかねないものなのだぞ!」


「ゴルド、無理を言うな」

銀鎧のシルヴィスが、穏やかながらも強い口調でゴルドを諫めた。

「ギルドは中立という立場がある。彼らは我々の私的な捜索に協力する義務はない」


「シルヴィス! 貴様はいつもそうだ。呑気すぎる! 我々の使命を忘れたのか!」

ゴルドは苛立ちを隠さず、地面を足で強く踏み鳴らした。


トランスは、ゴルドの言葉を耳にしながら、内心で深く息を吐いた。騎士とは、かくも傲慢で、己の正義を絶対視するものなのか。彼自身の記憶には、騎士としての誇りと責務が断片的に残っているが、ゴルドのような振る舞いは、彼の根底にある「誰にも等しく優しい心」とはかけ離れていた。彼自身がまとっている鎧が、彼が騎士であることを示しているがゆえに、この状況は自己の存在に対する不安を増幅させた。


(彼らは、本当に正義を体現しているのだろうか……)


トランスは自身の古びた鎧に触れた。この鎧の真の力を知る旅。それは、騎士としての在り方そのものを見つめ直す旅でもあるのかもしれない。


その時、サラが査定を終え、トランスの元へ戻ってきた。


「トランスさん、トニーさん、ありがとうございます。オーガの部位、思った以上に高く売れました。これでしばらくは滞在費用に困りません」

サラは安堵の表情を見せた。


「へへ、そりゃよかった。でも、サラ嬢ちゃんが言うほど『たまたま』じゃねぇだろ。トランスの旦那がいなきゃ、俺っちもサラ嬢ちゃんも、オーガに丸呑みだったぜ」

トニーが肩を竦めて茶化す。


サラは頬をわずかに赤らめ、視線を逸らした。

「……たまたま連携が上手くいっただけ、です。私の魔力制御が不安定なままでは、いつ暴走するかわかりませんし」

彼女は、魔力制御補助用の小さな銀細工のペンダントを、無意識に握りしめた。彼女の謙虚さは、魔法使いとして以前のチームから役立たずとされたトラウマに根ざしている。


その会話を、近くにいたゴルドが聞き逃さなかった。黒鎧の騎士は、重い足音を立てて一行に近づいてきた。


「待て」

ゴルドの低い声が響く。彼はトランスの背丈を見上げ、次にサラの細身の姿を、そしてトランスの腕に抱かれたリーゼを、上から下まで値踏みするように見た。


「お前たちが、オーガを仕留めた冒険者か」

ゴルドは問いの形を取りながらも、すでに結論を下しているような高圧的な態度だった。


サラは反射的に、トランスの前に出て、ゴルドに向き直った。

「はい、そうですが。何か御用でしょうか」


「優秀だな。あの受付嬢が、銀級が出払っていると抜かしおって。新米のくせに、オーガを倒すとは見どころがある」

ゴルドは、褒めているのか見下しているのか判然としない、尊大な笑みを浮かべた。


トランスは無言で、ゴルドを睨みつけた。リーゼは、ゴルドの放つ威圧感に怯えたのか、トランスのローブを強く握りしめた。トランスはリーゼを庇うように、わずかに体を前に出した。


「そこの魔法使い。お前たちに、栄誉ある仕事を与えてやろう」

ゴルドは手を振り、まるで餌を与えるかのように言った。


「栄誉、ですか?」

サラは警戒心を露わにした。


「うむ。我々帝国騎士団の捜索に協力するのだ。貴様らの討伐技術があれば、必ずや成果を上げられる。これは、一介の冒険者にとっては、騎士団の栄誉を共有できるまたとない機会だぞ」


サラは、トランスとリーゼを一瞥し、冷静に答えた。

「申し訳ありませんが、私たちは別の目的地へ向かう旅の途中です。騎士団様の栄誉ある任務は、他の方にお任せください」


ゴルドの顔が、怒りで歪んだ。

「断る、だと? 貴様ら、騎士団の命令を拒否するつもりか!?」


「命令ではございませんでしょう? これは、依頼です。そして、私たちはこの依頼を受ける義務はありません」

サラは論理的に反論する。


トランスは、リーゼを抱きしめる力を緩めないまま、ギルドの奥へと視線を向けた。彼らの旅は、この街の騎士団の思惑に、早くも巻き込まれようとしていた。

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