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亡国の騎士  作者: 黒夢


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中継都市サザンイース

一行の目の前に、中継都市サザンイースの巨大な城壁が姿を現した。それは辺境の街ハガイとは比べ物にならない、文明と軍事力の結晶だった。


「何だ? あの壁は……」

トランスの低く、押し殺したような声が漏れた。彼は記憶を失って以来、これほど巨大で堅固な人工構造物を見たことがなかった。その威容は、彼の奥底に眠る、かつての騎士としての記憶をわずかに刺激するようだったが、すぐに極度の寡黙さの中に沈み込んだ。


「半分に分かれてんな!」

トニーが興奮気味に声を上げる。サザンイースの城壁は中央で明確に色を違えていた。一方は帝国領を示すかのように威圧的な黒鉄色、もう一方は王都側を示すかのように明るい石の白さを保っている。


サラは懐かしむように、その光景を眺めていた。

「ええ、ここがサザンイースです。交易拠点ですが、ドラゴンの巣の噂があるため、過剰なほどに堅牢な備えをしています。黒が帝国側、白が王国側――物理的にも、そして経済的にも、常に牽制し合っている街なんです」


トランスの背中に揺られていたリーゼは、その巨大な壁を見上げて、ただ「あぅ……」と小さな声を漏らし、きょとんとした表情を浮かべた。彼女の透き通るような翠色の瞳には、城壁の堅牢さではなく、その向こうにある未知の賑わいへの純粋な好奇心が宿っているようだった。


「では、王都側の入り口から入ります」

ロブが馬車を止める。彼は深緑のジャケットの襟を整え、落ち着いた仕草で一行を見回した。

「税金は私がまとめて支払いますので、皆様はご心配なく。ただし、トランスさん」


ロブに視線を向けられたトランスは、無言で頷いた。


「ベックさんからの指示通り、鎧姿を極力見せないようにしましょう。特殊な状況は、この街の緊張感の中で、不必要な疑念を招きかねませんから」


ベックは、片手に短剣の柄を触りながら、ぶっきらぼうにロブの言葉を補足した。

「ああ。騎士団は厄介だ。リーゼを腕に抱いてローブ状態にしろ。そして、トランス」

ベックはトランスの兜を見上げた。

「お前も、できるだけ兜を外しておくんだ。外套を着込んだ騎士が街を歩けば目立ちすぎる。特に、お前の鎧はただの鎧じゃねえ。目線は低く保て」


トランスは自らの過去と、失われた記憶に苛まれる不安を押し殺すように深く息を吐き、リーゼを背中から前へと抱き直した。

リーゼは、まだ覚醒しきっていない様子で、慈悲のマントに包まれてはいるものの、ふらつきそうになる。トランスはすぐさま彼女を抱きかかえる形で、その小さな身体を支えた。


「うむ……」

トランスは、リーゼの小さな頭を自分の肩に寄せたまま、重い兜を静かに持ち上げ、脇に抱えた。記憶喪失由来の不安を隠すため、その表情は極度に寡黙で硬い。


その様子を見たサラは、思わず口元を緩ませた。

「なんだか、親子みたいですね」

サラは、自身の露出度の高いローブを隠すように外套をしっかりと羽織りながら、トランスの献身的な姿に温かい感情を覚えた。


トニーは、肩を竦めて軽妙なジョークを飛ばす。

「過保護な親だけどな。まあ、トランスの旦那がリーゼちゃんを抱えてりゃ、ただの旅の親子連れに見えるだろ。誰も、亡国の騎士と呪われた少女だなんて思わねえさ」


リーゼは、トランスの腕の中にいる安心感からか、ニコニコと微笑み、彼の首にしがみついた。


ロブは門番の兵士たちとスムーズに交渉を進め、準備しておいた税金を支払った。彼が提示した冒険者ギルドのプレートは、一行の身分を保証するのに十分だった。


「鉄級二人、銅級二人、銀級一人か。なるほど、護衛として手堅い構成ですな」

門番はプレートを確認し、ロブの洗練された態度に好感を持ったようだった。


その時、トランスの腕の中で、リーゼが元気よく「あー!」と声を上げた。彼女の翠色の瞳は、兵士の持つ槍の先端の輝きに興味を示したようだ。


兵士はリーゼの無邪気な声に一瞬戸惑ったが、すぐに顔を綻ばせた。

「元気があるのは良いことだ。さあ、通ってくれ。街は賑わっているぞ」

彼らは、リーゼの姿を、ただ旅の途中の子どもだと認識したようだった。ロブの交渉術と、トランスの「親子」の装いが功を奏した形だ。


城門をくぐると、石畳が敷き詰められた広大な通りが視界に開けた。ハガイの土埃舞う道とは違い、サザンイースの街並みは秩序立っており、活気に満ちている。香辛料や革製品、遠方の国からの絹物など、様々な匂いが混ざり合い、人の話し声や馬車の車輪の音が、辺り一面に響いていた。


「さて、まずは宿の手配と、情報収集が必要ですな」

ロブは指輪を触りながら言った。


「宿は俺とベックで探す。トランスの旦那たちは、まずギルドで納品と依頼の確認だ」

ベックは、周囲の喧騒を警戒しながら、冷静に提案した。


「分かりました。ロブさん、ベックさん、ありがとうございます。ギルドの場所は私が知っています。案内しますね」

サラは、知識豊富な案内役として率先して名乗り出た。彼女は、トランスをサポートする役割を果たすことに、義務感と喜びを感じていた。


ロブとベックが宿の手配のため人混みに消えると、トランス、サラ、トニー、そしてトランスに抱えられたリーゼの四人は、広大な街路を歩き始めた。


トニーは、外の世界への憧れを強く持つ彼にとって、サザンイースの賑わいはたまらないものだった。彼はすぐに露店に目を奪われた。


「おっ、あれ美味そうじゃねぇか!」

トニーは、一行から少し離れ、煙を上げている露店へと駆け寄った。彼は数枚の銅貨を払い、香ばしい串焼きを四本購入した。


「ほいっ、小腹減ったろ?」

トニーは戻ってくると、一本をトランスに、一本をサラに差し出し、最後の一本をリーゼの口元に持っていった。彼の軽薄な言動とは裏腹に、仲間に対する細やかな気配りが光る。


串焼きは、カウカウという獣の肉で、香辛料が効いており、香ばしい香りが食欲をそそった。


「トニーさん、ありがとうございます。美味しいです~」

サラは、少し緊張していた表情を緩ませ、串焼きを嬉しそうに頬張った。彼女は、トニーのような楽天的な存在が、旅の緊張を和らげてくれることを感謝していた。


トランスは、串焼きを受け取り、無言で一口噛みしめた。

「すまんな」

彼は短く答えたが、その声には、トニーの心遣いに対する確かな感謝が込められていた。彼は、感情を表に出すのが苦手だが、仲間の優しさには敏感だった。


リーゼは、串焼きの香りに興奮したように「あぅあぅ!」と声を上げ、トランスの腕の中で身をよじった。トランスは串焼きを少し冷ましてから、彼女の口元にそっと運んでやった。リーゼは満足そうに目を細め、小さな身体をトランスに擦り付けた。


「納品に時間かかりそうだから腹に入れとこう。それにしても、トランスの旦那のおかげで、俺っちもすっかり金回りが良くなったぜ」

トニーは、道中での魔物の換金額を期待し、満足げに笑った。


サラは、ふと、トランスの左手に提げられた兜に目をやった。彼の素顔は、記憶喪失と過酷な旅路の疲れが色濃く出ていたが、リーゼを抱きかかえるその姿は、確かに優しさに満ちていた。


「トランスさん、ギルドはこの噴水広場の向かいです。ハガイのギルドよりずっと大きいですよ」

サラは、串焼きを食べ終えると、再び案内役に徹した。彼女は、トランスたちを導くことで、自身の存在意義を確認しているようだった。


一行は、賑わう街の中心にある広場に出た。噴水の水が光を反射し、多くの人々がその周りで休息を取っている。


その広場の最も目立つ場所に、石造りの重厚な建物がそびえ立っていた。


「ここがサザンイースの冒険者ギルドです!」

サラは一歩進み出て、建物を見上げた。


トランスは、リーゼをしっかりと抱き直し、硬い表情でそのギルドの入口を見つめた。彼が踏み出す一歩は、彼の騎士としての運命を、さらに深く切り開いていくだろう。

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