獣人との宴
遅くなりすいません。PV1000オーバー。ユニーク600超えました。ブックマークもありがとうございます。
夜の帳が下りた獣人の集落は、、活気に満ちた熱狂の渦に包まれていた。いくつもの焚き火がパチパチと音を立て、その炎が獣人たちの毛皮を照らし、影を踊らせる。
「今日は飲め! 食え! 騒げ!」
集落の長ラオが、岩をも砕くような重厚な声で咆哮した。その声は、獣人たちの本能を揺さぶり、彼らの歓声が夜空に木霊する。
「おー!」
獣人たちは、トランスたちをまるで長年の家族であるかのように迎え入れた。彼らは、リルの無事な帰還と、トランスたちがもたらした平穏に、心からの感謝を表している。
トランスは、集落の中心から少し離れた場所で、静かに焚き火を囲んでいた。全身を覆う古びた鉄色の鎧は、周囲の賑やかさとは不釣り合いなほど、静寂と孤立を纏っている。
彼の隣には、山盛りになった豪快な肉の塊が置かれていた。獣人が狩ってきたばかりの獲物だろう。獣人たちは、その肉を豪快に手づかみで食らい、満足げに唸り声を上げている。
トランスもまた、その肉に手を伸ばしたが、すぐに動きを止めた。
「むぅ……」
彼は、兜の奥で小さく唸った。目の前の肉は、血こそ拭われているものの、一切の味付けが施されていなかった。
彼は記憶を失う前、騎士としてどのような食事をしていたのか、全く思い出せない。だが、この、生命力そのもののような、野性的な肉の塊を、ただそのまま口に運ぶことに、彼の本能がわずかに抵抗を示していた。
その時、背後から、軽薄な笑い声とともに、大きな手がトランスの肩に回された。
「よっ、トランスの旦那! 楽しんでるか?」
それは、トニーだった。彼は、満面の笑みを浮かべている。
「いやー、俺っちも冷や汗かいたぜ。トランスの旦那たち、もし戻ってこなかったら、俺っちまでラオの旦那に八つ当たりされるんじゃないかって、冷や冷やしてたんだ」
トニーは、冗談めかして愚痴をこぼしたが、その目には、トランスたちの無事を心から喜ぶ色が宿っていた。
トランスは、肩に回された手を振り払うことなく、目の前の肉を指差した。
「……味がない」
「ハハッ、そりゃそうだろ! 獣人は基本的に素材の味を楽しむんだ。でも、人間にはちょっと物足りねぇよな」
トニーはそう言うと、調理小屋の方へと振り返り、誰かを呼び寄せた。
「ピピ! ちょっと来いよ! 旦那に美味い食い方を教えてやるんだ!」
トニーに手を引かれて、一人の小柄な女性がやってきた。水色の髪と、両腕から生えた薄い翼を持つ鳥人の女性、ピピだ。彼女は、周囲の喧騒とは無関係に、常にどこか夢見がちな表情を浮かべている。
「……トニー。私、今、焚き火の火力を、観測して、いた」ピピは、単語を区切りながら、ゆっくりと話した。
「観測は後だ、ピピ。ほら、これ持ってこい」
トニーは、腰のポーチから小さな革袋を取り出すと、ピピに手渡した。中には、細かく砕かれた岩塩と、乾燥させた香草が入っている。
トニーは、トランスの前に置かれた肉の塊を指で軽く叩いた。
「いいか、トランスの旦那。この肉はな、そのままでも美味い。だが、ここに一工夫するんだ」
トニーは、肉の表面に岩塩をパラパラと振りかけ、さらに香草を丁寧に擦り付けた。
「これをかけたほうが、肉の旨味が際立って、もっと上手いんだって。ほら、試してみろよ」
トランスは、トニーが味付けした肉片を手に取り、ゆっくりと口に運んだ。
一拍の沈黙の後、トランスは小さく頷いた。
「……塩と、香草の調味料か。理解した」
「だろ? 俺っちの舌は間違いないんだぜ!」トニーは得意げに胸を叩いた。
ピピは、トランスの反応を見て、純粋に感心したように目を丸くした。
「トランス……。塩と香草。確かに、旨味の、増幅が、計測、できる」
そして、ピピはトニーに向き直り、真剣な表情で言った。
「トニー。知ってる。親友のトレボンヌでしょ」
「誰だよそれ! トレボンヌって! トランスだよ! 」トニーは、ピピの天然ボケに、全力でツッコミを入れた。
トニーは、何かに気づくと、ピピの手を引いた。
「ほら、ピピ。俺たちもあっちで食うぞ。トランスの旦那、ゆっくり楽しんでくれよな!」
トニーとピピは、賑やかな獣人の群れの中へと消えていった。
トランスが、再び味付けされた肉を口に運ぼうとしたその時、背後から重々しい足音が近づいてきた。
「おぅ! 飲んでるか?」
ラオが、大柄な体躯を揺らしながら、トランスの前に立った。その隣には、穏やかな笑顔を絶やさないロブが立っている。
「トランス殿、お疲れ様です。私も、少しだけお相伴にあずかろうと思いまして」ロブが、品の良い笑顔を浮かべた。
ラオは、トランスの目の前に座り込み、改めて真剣な眼差しを向けた。
「リルも救われた。集落の危機を救ってくれたこと、改めて礼を言おう」
トランスは、肉を噛み締めながら、簡潔に返答した。
「……問題ない。これが、俺の責務だ。したいようにしただけだ」
「したいように、か」ラオは、トランスの言葉を噛み締めるように繰り返すと、深く頷いた。
「さすがは獣王の牙、森の主に認められただけのことはある」
ラオの言葉に、ロブが驚いたように声を上げた。
「ん? ラオ殿、どういうことですかな? 獣王の牙とは、トランス殿の剣のことですか? 私は何も話していませんよ?」
ラオは、ロブの驚きを意に介さず、トランスの腰に帯びた、切っ先が欠けた古びた剣――今やオーガの角が補填され真紅に輝く『獣王の牙』を指差した。
「この剣のほうから、語りかけてきたのだ。森の主の力が宿り、オーガの血を吸った剣。その持ち主が、獣王の牙に認められた、真の騎士であると」
トランスは、ラオの言葉に、硬直した。彼は、自分の剣が、まるで意思を持つかのように語りかけているという事実に、強い違和感を覚えた。この剣は、ただの道具ではない。そして、その剣が認めた「騎士」という存在が、記憶を失った自分自身であるという事実に、言いようのない不安が押し寄せる。
ロブは、ラオの言葉に目を輝かせた。
「なるほど! 剣そのものが、トランス殿の真価を証明しているとは! 商人として、これほど確かな保証はありませんよ!」
「お前は、どこまでも商売人だな」ラオは、呆れたようにトランスに視線を戻した。
トランスは、この機会に尋ねた。
「……ロブと、ラオは、知り合いなのか?」
「ああ、トランス殿。その通りです」ロブは笑顔で答えた。
「私は、王都で商売をしていた頃から、この集落と取引をさせていただいておりましてな。ラオ殿とは、もう十年以上の付き合いになります」
ラオは、ふんと鼻を鳴らした。
「まさか、お前が護衛を連れてくるとはな。しかも、こんなボロボロの騎士鎧を着た、記憶喪失の男を」
「色々バタバタしてましたからねぇ。それに、鎧はボロボロですが、その芯は金剛石のように硬い。人を見る目は、商人の私にもありますよ」ロブは胸を張った。
「それでよく村に通したな……。お前は警戒心が足りん」ラオはため息をついた。
「でも大丈夫だったでしょう? ほら、この通り、集落の危機を救ってくれたんですから。私の目に狂いはありませんでした」
ロブとラオの、まるで漫才のような対照的なやりとりに、トランスは珍しく、兜の奥でわずかに口角を緩ませた。それは、恐怖や不安から逃避するためではなく、心から湧き出た、穏やかな感情だった。
「……そうか」トランスは、短く応じた。
ロブは、トランスの穏やかな反応を見て、さらに親しみを込めて話を進めた。
「いやあ、ラオ殿の厳しい性格も、私にとっては慣れたものです。何せ、私の妻も、獣人なんですよ」
ロブは、一気に秘密を打ち明けるように、目をキラキラと輝かせた。
「もちろん、娘は獣人と人間のハーフです。だから、この集落の皆さんのことは、他人事ではないんですな」
トランスは、その言葉に、静かに耳を傾けた。彼の記憶には、家族や愛する者の像は何も残っていない。だからこそ、ロブの語る「家族愛」に、深く興味を惹かれた。
ロブは、左手の薬指にはめられた、古びた金の結婚指輪を慈しむように触れた。




