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亡国の騎士  作者: 黒夢


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リルの奪還

川べりの湿った土の上、先ほどまで激闘が繰り広げられていた場所には、夜の静寂が戻っていた。トランス達は倒れた騎士達を残し、森の奥へと避難していた。


トランスは、古びた騎士鎧の胸元に空いた穴から冷たい風が通り抜けるのを感じながら、作戦の成功に安堵していた。全身を覆っていた錆びた鉄色の鎧は、一時的にサラと密着し、リーゼの「慈悲のマント」の力を借りて、まるで漆黒の魔王が纏うような異様な装いを装っていた。


「怖かったですけど、上手くいってよかったです」


サラが、乱れた息を整えながら、心底安堵したように胸に手を当てた。彼女は魔力効率化のために着用していた露出度の高いローブの上に、急いで外套を羽織り直している。今回の作戦では、彼女の放つ魔法で相手を気絶させ、リーゼの反転、トランスの衝撃波と連携させるという、高度な技術が求められた。制御不安定という致命的な欠点を持つサラにとって、魔力放出を最小限に抑えつつ、正確に魔法を放つことは、精神をすり減らす作業だった。


「顔ばれもしてないしな」ベックは、使い終えた魔糸付きのナイフを念入りに拭きながら、冷ややかな視線を周囲に走らせた。「あの偽装のおかげで、俺たちじゃなく『異形な姿の魔物』の仕業ってことになっただろ。騎士団はそっちを追うだろうよ。まあ、一番の功労者は、この変な仮面かもしれんがな」


ベックが軽く顎で示したのは、サラが装着していた、アーシャの村でもらったという魔除けの木彫りの仮面だった。おじいさんが、丹精込めて掘り上げた魔よけの仮面らしい。子供にが怖がるなど不人気だったらしいので、押し付けられたの間違いかもしれないが……顔を隠し、相手に恐怖を与えるという役割も果たしていた。


「この仮面、あまり趣味が良いとは言えませんが……今回は助けられました」


「皆さん強いんですね」フェンが、休ませていた妹、リルにそっと寄り添いながら言った。「僕、匂いで追跡はできましたが、正面から騎士団を相手にするなんて、考えもできませんでした。リルも無事でよかったです」


フェンは興奮気味に尻尾を振った。騎士たちが返り血の匂いを消しきれていなかったことが、追跡の鍵となった。その鋭い嗅覚が、彼らの命運を分けたのだ。


リーゼは、トランスの背中から顔だけを覗かせ、フェンの安堵の言葉に小さく「うー」と頷いた。

トランスは、リーゼが今にも眠りに落ちそうな様子を見て、静かに背中を撫でた。


「……感謝する。全員の連携が、成功の鍵だった」


トランスの言葉は、普段の必要最低限な言葉遣いからは珍しく、やや熱がこもっていた。


その時、横たわっていたリルが、かすかな呻き声と共に目を覚ました。


リルの瞳は、まだ状況を把握できていない恐怖と混乱で大きく見開かれていた。彼女の視線が、まず最初に捉えたのは、全身が錆びついた鉄で覆われ、胸に不気味な穴が空いた、大柄なトランスの姿だった。


そして、そのトランスの背中にいる、白い肌と金色の髪、そして神々しい金の刺繍が施されたマントを纏ったリーゼの姿。


「ひ……ひぃっ!」


リルは悲鳴を上げ、まるで蜘蛛の子を散らすように、トランスから距離を取ろうと必死にもがいた。


「悪魔がいるの! 助けて! お兄ちゃん!」


静寂を破るリルの叫びに、一同は一瞬固まった。


「リル!」フェンが慌てて妹を抱きしめる。「もう大丈夫だよ! 悪魔なんかいない! この人たちが、リルを助けてくれたんだ!」


ベックは、この状況を面白がっているのか、ニヤニヤと口元の髭を歪ませた。


「悪魔だってよ? そりゃそうか。この見た目じゃ、騎士団の連中も逃げ出すわけだ」


サラは、リルの素直な反応に苦笑いを浮かべた。


「ごめんなさいね、リルちゃん。あれは正体を隠すための偽装なの、悪魔ではありません」


リーゼは、トランスの背中の上で、リルの叫び声を聞き、少しだけ身じろぎした。「うー……」と、困ったような、わずかにかすれた音を発する。


フェンは、リルを落ち着かせようと、これまでの経緯を必死に説明した。


リルは、最初は半信半疑だったが、フェンの真剣な眼差しに、徐々に警戒心を解いていった。


やがて、彼女はトランスの方を向き直り、細い体を少しだけ震わせながら、精一杯の勇気を振り絞った。


「あの……助けて頂き、ありがとうございました! わ、わたし、リルっていいます!」


彼女の言葉は、か細くも、真摯な感謝が込められていた。


フェンは、妹の無邪気な感謝の言葉を聞き、目元を緩めた。


「トランスの旦那、サラさん、ベックさん。この御恩は一生忘れないよ。本当にありがとう」


兄妹は顔を見合わせ、心からの笑顔を交わした。その光景は、戦いの後の緊張感を、温かい絆の光で包み込むようだった。


トランスは、静かに一歩前に出た。彼の全身を覆う鎧は、リルの恐怖を再び呼び起こすのではないかという懸念があった。


彼は、極度に寡黙で感情を表に出さない人物だが、根底にあるのは誰にも等しく優しい心だ。特に、彼を動かしたのは、リルを救いたいという強烈な正義感だった。その正義感は、今、目の前の少女の恐怖を取り除きたいという配慮へと変わった。


「……鎧を見るのは嫌だろうが、すまないな」


トランスは、極力低い声で、感情を排して話した。そして、静かに右手を上げ、兜に手をかけた。


カシャン、と古びた金属が擦れる音が響き、兜が一時的に外された。


暗い影の中に隠されていたトランスの素顔が、月明かりの下に晒される。彼の顔には、疲労と、記憶喪失による不安が常に張り付いているが、今はリルへの配慮から、わずかな温かみが宿っていた。


トランスは、リルが再び悲鳴を上げるのではないかと身構えながら、数歩距離を取ろうとした。彼の鎧は、人間性が希薄になる原因の一つであり、彼自身の存在が、まだ幼いリルにとってトラウマになることを恐れたのだ。


しかし、リルは動かなかった。


彼女は、トランスの素顔を見つめた後、そのくすんだ鉄色の胸板に空いた穴をじっと見つめた。そして、怯えるどころか、むしろ不思議そうに首を傾げた。


そして、次の瞬間、リルはトランスに向かって、歩み寄った。


「あなたからは、優しい匂いがするの」


リルはそう言いながら、トランスの大きな、錆びた籠手こてを手で包み込んだ。彼女の小さな手のひらが触れた部分だけ、鎧の冷たさが少しだけ和らいだように感じられた。


「怖くなんてないよ?」


純粋で、何の悪意も含まないその言葉は、トランスにとって、何よりも強力な治癒魔法だった。


トランスは、全身の緊張が解けていくのを感じた。強烈な恐怖心から感情を抑制し続けてきた彼にとって、見ず知らずの、救うべき対象の少女からの心からの信頼は、過去のトラウマを一時的に忘れさせるほどの衝撃だった。


この瞬間、トランスの口元に、わずかながら、しかし、確かに温かい弧が描かれた。


それは、彼の根底にある優しさが、純粋な形で解放された、心からの笑顔だった。


周囲の静寂がさらに深まった。


サラは、トランスの稀有な笑顔に、目を見張り、息を呑んだ。普段の無表情で寡黙なトランスからは想像もできない、どこか頼りがいがあり、そして美しい、その笑顔に、彼女は一瞬で言葉を失った。


リーゼは、トランスの背中に寄りかかっていたが、その笑顔を感じ取ったのか、普段の眠そうな表情を捨て、トランスの横顔をじっと見つめていた。まるで、自分のヒーローの真の姿を見たかのように、彼女の翠色の瞳はキラキラと輝いていた。


そして、リル。彼女はトランスの笑顔に、まるで太陽を見たかのように目を細め、安心しきったようにトランスの籠手に頭を擦りつけた。


三人の女性が、トランスの笑顔に見惚れて、一瞬、時が止まったかのようになる。


居心地の悪さを感じたのは、ベックとフェンだった。


ベックは、そのあまりの表情の変化に、思わず自分の頬をピシャリと叩いた。


「おいおい、なんだそりゃ。お前、そんな顔もできたのかよ」


フェンも同様に、突然のリルの懐き具合に戸惑い、自分の尻尾をぎこちなく振った。


「な、なんだか、急に空気が甘ったるくなったな……」


二人は目を合わせ、揃って肩をすくめた。


トランスは、すぐに兜を再び装着したが、その笑顔の温もりだけは、彼らの間に残っていた。

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