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亡国の騎士  作者: 黒夢


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道中での雑談

おっさん三人の雑談です

辺境の村を包んでいた朝霧が、太陽の光を受けてゆっくりと晴れていく。


村人たちは、昨夜の焚き火の残り火のように、静かに一行の出発を見守っていた。彼らの視線は、ロブの引く頑丈な馬車と、その隣を並んで歩く二人の護衛、そして何よりも、全身をくすんだ騎士鎧に包んだトランスに注がれていた。


トランスは、前夜の出来事を一切口にしなかった。アーシャもまた、彼の前ではいつもの快活な姉御肌の顔を崩さなかった。彼女は、馬車の窓から顔を出したサラに「道中気をつけな」と声をかけ、トランスには一瞥もくれずに、ただ村の出口を指差した。


「……向こうだ。あんたたちの旅路に、森の加護があらんことを」


その言葉の奥に隠された感情を、トランスは理解しようとはしなかった。ただ、一瞬だけ、全身を覆う鉄の甲冑が、いつもより冷たく、そして重く感じられた。彼は短く頷き、ウリの背に乗る代わりに、重い足取りで馬車の横へと進み出た。


新しい森の主となったウリは、村を出発する一行の前に姿を見せなかった。それは、森の掟に従い、人間が踏み入るべき領域と、獣が守るべき領域を明確に分けた故だろう。


村を完全に離れ、一行が森の深部へと続く荒れた道をしばらく進んだ時だった。


「きゅおおおおおおおん!」


森の奥深くから、地響きを伴うような、しかしどこか幼い響きを残した咆哮が、一度だけ、力強く響き渡った。それは、威嚇でも、悲嘆でもなく、明確な「送別の雄叫び」だった。トランスは立ち止まり、その音のする方角へ、兜の奥の視線を向けた。


ベックが、口元に微かな笑みを浮かべながら、トランスの隣で呟いた。


「あれが、新しい森の主の挨拶ってわけだ。粋な真似をするじゃねぇか」


トランスは返事をせず、再び歩き出した。彼の背中には、純白の慈悲のマントに包まれたリーゼが、穏やかな寝息を立てている。マントは、周囲の魔素を静かに吸収し、彼女の小さな体を包み込んでいた。


***


道は次第に険しくなり、ロブは御者台で手綱を握る手に力を込めた。トランスとベックは、馬車の両脇を並走している。


ベックは、トランスの歩調が乱れないことに感嘆していた。あの重い鎧を着たまま、これほどの長距離を歩ける人間は稀だ。しかし、彼が今最も驚愕しているのは、その騎士の剣術でも、耐久力でもなかった。


「おい、トランスの旦那」


ベックは口を開いた。彼の口調は、以前の侮蔑的な響きを失い、今は純粋な好奇心と、わずかな敬意が混ざっている。


「アーシャ嬢の怪我を治した時だが……あれは、治癒魔法だったな」


トランスは、一拍置いて答えた。


「……そうだ。治癒は完了した」


「完了した、じゃねぇよ。旦那は騎士だろう。なぜ、あんな高度な回復魔法を使える?」


ベックは腕を組み、不機嫌そうな顔をした。


「治癒魔法は信仰と結びつく特殊な魔法だ。辺境どころか、王都の教会ですら、まともに使える者は片手で数えるほどしかいない。まして、お前さんのような騎士が、あれほど完璧な治癒を行うなど、聞いたことがねぇ」


トランスは、胸の穴が空いた古びた鎧を軽く叩いた。


「……詳細は不明だ。だが、この鎧が、私に力を与えている」


「鎧が、か?」


「ああ。時折、必要な技術が『流れ込んでくる』。まるで、私がかつてそれを知っていたかのように」


トランスは、話すうちに頭の中にノイズが走るのを感じた。思い出そうとすると、夜毎蘇る、血と鉄の匂いがする悪夢。誰かの絶叫、後悔、無念の念。そして、親友の声。しかし、その声が誰のものなのか、なぜ戦っていたのか、核心に触れようとすると、全てが朧げな霧となって消えていく。


トランスは、頭を軽く振った。その動作は、頭痛を振り払うためか、それとも記憶を呼び起こすのを諦めるためか、判別できなかった。


「……曖昧だ。それが、現状だ」彼は簡潔に結論づけた。


御者台のロブが、二人の会話に加わった。彼の声は優雅だが、その言葉には深い知識が宿っている。


「ベック殿の言う通りですな。治癒魔法は、通常の属性魔法と異なり、自己の魂の純粋さと、神への強い信仰が不可欠とされています。故に、高位の治癒師は、往々にして聖職者か、特定の血筋に限定される」


ロブは手綱を握り直し、少し声を落とした。


「そして、騎士。騎士は国家の主力であり、高価な装備を与えられる兵です。その訓練は剣技と戦術に特化しており、魔法の造詣は浅いことが一般的。何よりも、トランス殿の鎧のように全身を覆う重装甲は、魔力の吸収効率を極端に下げます。魔法使いには、露出度の高いローブが推奨されるのは、魔力を効率よく外界から取り込むためですから」


ロブは、馬車の中にいるサラを一瞬気遣うように視線を向けた。


「貴殿の鎧は、その常識を覆している。まさしく、失われた技術の産物でしょう」


ベックは皮肉を込めて笑った。


「失われた技術ねぇ。だが、高効率の魔法使いが重装甲を纏う『魔法騎士』なんてのも、稀にいると聞く。大抵は、部分鎧だがな。魔力吸収効率と、見目の良さを両立させた奴だ。特にアテナの魔法騎士は、皆、見目麗しい女性が多いと聞く。俺にとってはその方が眼福ってもんだが」


「ベック殿、そのような軽口は慎んでください」ロブは窘めたが、その表情は楽しげだった。


トランスは、二人の会話を静かに聞いていた。彼らの知識は、トランス自身の特異な状況を、客観的な事実として整理する助けになった。


「……そうか。参考になった」


彼がそう言うと、ロブは本題へと移った。商人の好奇心が、トランスの秘めた力に強く惹かれているのが見て取れた。


「さて、トランス殿。一つ、私からお願いがあるのですが」


ロブは、トランスの腰に吊り下げられた、真紅に輝く片手剣に視線を向けた。


「その、赤く変貌した剣についてなのですが。貴殿は、真価を計りかねていると見受けられます」


トランスは剣の柄に触れた。確かに、彼はまだこの剣の真の力を探り当てていない。


「何か特別な力があるのは感じる……だが、詳細は不明だ」


「ええ。おそらく、その剣そのものが、極めて高位の魔物、あるいは神話的な存在の力を宿しているのでしょう」


ロブは続けた。


「商人にとって、最も重要な道具の一つは『知識』です。私には、長年の商取引と情報網を通じて培った、物の真価を見抜く特殊な術があります。それは、この世界に流れる、ありとあらゆる情報の集積地——『世界の記憶アカシックレコード』に、一時的に接触する試みです」


ベックが横から口を挟んだ。


「ロブの旦那の『鑑定』は本物だ。俺も何度か助けられた。特に、その物の歴史や背景を読み取る力は、並の鑑定師とはレベルが違う」


「ありがとうございます、ベック殿。ただし、鑑定の精度は、私の知識と経験の深度に強く影響されます。故に、まだ見ぬ未知の素材や、神代の遺物に対しては、断片的な情報しか得られない可能性もありますが……」


ロブは、トランスの目を見つめた。


「トランス殿の剣は、貴殿の魂と共鳴し、変貌を遂げた。その歴史はまだ浅いかもしれませんが、その力の根源を知ることは、貴殿の旅の助けになるはずです」


馬車の中から、トニーが顔を出す。彼の琥珀色の瞳は好奇心に満ちていた。


「へへ、旦那。ロブのおっさんの鑑定はタダじゃねぇぞ? 今のうちにタダでやってもらうのが一番だぜ! 俺もその赤い剣の正体、めちゃくちゃ気になるんだ!」


トランスは、トニーの軽薄な発言に一瞬眉をひそめたが、すぐに思考を切り替えた。


この剣は、彼の旅の道具だ。その性能を知ることは、責務を果たす上で不可欠である。そして、ロブの申し出は、彼らがトランスを「仲間」として受け入れている証でもあった。


トランスは腰から剣を引き抜いた。真紅の刃が、午前の光を反射し、血のように輝く。


「……承知した。試す価値はあるだろう」


彼は、重い剣をロブへと差し出した。


ロブは、その剣を受け取る際に、一瞬だけ、いつもの柔和な笑顔を消し、商人の、鋭い、本質を見抜く目になった。


トランスは、彼の顔を見つめながら、自分の過去の記憶もまた、解き明かされるべき「遺物」なのではないかと、漠然と考えていた。


「お預かりいたします、トランス殿。少々時間をいただきますが、必ずや、その剣の『真実』を貴殿にお伝えしましょう」


ロブはそう言い、馬車の御者台に座り直すと、集中力を高めるように、恭しく剣を膝の上に置いた。

リーゼがまさに空気 すやぁ……


誤字脱字報告ありがとうざいます。

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