森の異変2
風が木々を撫でるように吹くと、ざわざわと葉が擦れあい、まるで波の音のように響き渡る。騒がしいようで静けさも併せ持つ森の様相に、冒険者達の足音など飲み込まれて行ってしまうようだ。
「うわーこれウリちゃんがやったんですよね」
「うぉ、ぐっろいなぁ。真面目に村に攻めてきてたらやばかったんじゃね?」
ウリに体当たりで押しつぶされたと思われるゴブリンの死骸が、あちこちに転がっている。3~4匹かと思っていたが、すでに10匹以上は死骸があり、オークも2匹倒れていた。呑気に声も潜めない二人にベックが注意を促す。
「これは異常だ。警戒しろよ」
「あぁ……」
「お、おぅ」
「すいません……わかりました」
死屍累々の森の中を一行は進む。先ほどまでの森の清々しい空気はそこにはなく、血生臭い臭いに包まれていた。奥に進めば進むほど、その臭いは濃厚になっていき、周囲の木々が投げ倒されたりしている。
「おいおい、何だってんだよこりゃ……」
「うぅ、気持ち悪い……」
声を潜めてはいるが、トニーとサラは青い顔をして恐怖にひきつっている。
「ぎゅうぅぅぅ、ぎゅううぅう!」
急にウリが威嚇音をあげ、一行に目配せのような物をした。ベックはすぐに反応する。
「俺とトニー、騎士さんとサラをペアで左右に展開、木々の隙間に隠れるようにして移動する」
ベックの鬼気迫る表情に、一行はすぐに行動に移る。ウリはそれを待っていたかのように、走り出した。すぐに、何かがぶつかり合うような音が聞こえ、しんと辺りが鎮まり返る。
「――ぎゅいいぃいぃぃい!」
痛々しい叫び声が聞こえたと思うと、ウリが木々をへし折りながら吹き飛ばされてきた。ごくりと唾を飲む音が聞こえる。それぞれが自分のものか、誰かのものかもわからなかったが、ウリが吹き飛ばされてきた方に、目線はそれぞれが向いているだろうことはわかった。
ウリの三倍はあろうかという体躯の大猪が倒れており、その足元には、血まみれの真っ赤な鬼が立っていた。その双眸は黒く窪み、まるで炎のように真っ赤な瞳が揺れている。大猪のものだろうか、身体の中央には折れた角が突き刺さっており、右腕は押しつぶされ使い物にはならなそうだ。額の角は折れ、痛々しく流血しているものの、憎々しげにウリを睨みつける瞳は、震えあがるほどの恐ろしさがあった。
ベックの声が響く、それは意を決したかのような声だった。
「オーガだ! 今は手負いだが、いずれ回復する! 今やらないと倒せる算段がない! 倒すぞ!」
「承知!」
あえてトランスも大声で返事を返す。あれだけで場所を特定されるとは思えないが、ベックのほうへ迷わず攻撃をされるとも限らない。今は相手が複数いるということを意識させ、標的を迷わせることを優先した。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
逡巡したような様子をみせるが、すぐにオーガの雄たけびが静まり返った森の中で反響する。ビリビリと身体中が震えるような雄たけびは、身を竦ませるには十分だろう。事実、サラとトニーは身を竦ませてしまっていた。オーガは迷わずウリのほうへと駆け出し始めた。
「ちぃっ、迷いがない。戦い慣れてやがる」
ベックは舌打ちすると、すぐにウリのことは諦め、どう対処するかを思案し始めた。その時、ウリの前に無謀にも飛び出す騎士を見る。
「馬鹿な! 死ぬぞ!」
「もう目の前で、誰も死なせるものか! リーゼ!」
オーガにとって矮小な人間など取るに足らない。そう判断してか、全く怯むことなくその左腕を振り上げ、渾身の一撃を繰り出した。トランスがマントを、身をくるむように左手で翻し、リーゼが叫ぶ。
「あー! あー!!」
<反転>
「グルルアアアア!?」
オーガの強靭な腕から繰り出された左ストレートは、威力を倍加させそのまま反転する。吹き飛ぶものの、たたらを踏みながらも態勢を立て直した。オーガは、違和感を感じたのか、咄嗟に腕を引こうとした。勢いに乗った腕は止まることはなかったが、図らずも反転の威力を弱らせるには成功したのだ。
「ガアアアアアア!」
「来い、お前の相手はこの俺だ」
片や憎悪と怒りをその双眸に込めて、片や騎士の矜持をその身に秘めて、鬼と騎士とが睨み合う。