ナーシスの焦り
「おかしい。こんなのおかしい」
ナーシスは誰にも聞こえない程の声で、ぶつぶつと呪詛のようにおかしいと繰り返す。行きの軽薄な感じはすっかり鳴りを潜め、まるで病人のように顔は真っ白だ。
博愛の名を冠するナーシスは、ある意味で騎士団をもたない騎士団だ。入団率が高いが、退団率も高い。メンバーはころころと変わり、人数の変動も多い。今回の鈍鉄の騎士団の件のように、ナーシスがなりふり構わず功を焦って突っ込み。それを周囲が一切の被害無視でフォローしてしまうということが原因にあった。
今回の遠征でトランスを取り込み、前線にでても死なない治癒魔法使いを得ることが出来れば、まさしく減ることのない自分だけの騎士団を存続できると踏んだのだった。
「何故僕になびかない……。むしろ何故すでにこんな状況に……」
警戒の強いガウディと一緒にいるトランスを落とすことは無理そうだったので、まずは周囲を取り込んだ。だが、なぜかいつの間にか周囲の洗脳とも呼べる自分の能力から解放されてしまっている。挙句明らかに槍と内傷を負わせるような一撃が仕留めている大物のグリフォンの死体は、ナーシスが功を主張しても認められることはないことを物語っている。
「僕は一番じゃなきゃだめなのに……。このままじゃ僕は……」
幼いころからの癖である、不安になると爪を噛む仕草をしようとして、手甲をつけていたことを思い出し歯噛みする。その視線の先には、楽しそうに笑いあう鈍鉄の騎士団とトランスたちの姿があった。そしてふと目が合う、トランスの背に背負われたリーゼの視線が、狼狽するナーシスの眼をジッと見ていた。思わず目を反らしたナーシスは、だれとも目を合わせることを拒むように、城につくまでうつむいていた。
道中魔物に襲われることもなくついた一行は、グリフォンの死体を引き渡した。トランスはだいぶ開けてしまったので宿に一度戻りたいことを伝えると、ため息をついたガウディが、報告のため王のもとへと向かった。ナーシスはまるで別人のようにおとなしく、無言で場を離れようとしたときに博愛に騎士団団員とすれ違う。
「あー、団長、帰ってたんですねぇ」
「俺達飲みにいってますんで、用があるときはまた」
「……あぁ」
「おっ、あんたらも無事帰ってきてたのか」
行きの熱烈な送迎とは似ても似つかないたんぱくなやり取りに、トランスとサラは動揺する。ナーシスに至っては怒るどころかその背中には哀愁すら感じた。心なしか自分たちに対する敵意も薄れている。
そう、博愛の能力の欠点は、傍にいればいるほど好意を持たせることができるが、離れているとそのぶんだけ効果が薄れていくという欠点があったのだ。それゆえ、ナーシスは歪んだとも言える。
「ま、子供を連れてくと聞いたときは正気かと思ったが、無事帰れてよかったなぁ嬢ちゃ……」
子供好きだったのか、博愛の騎士の団員の一人が、リーゼの頭にぽんと手を乗せる。すると、一瞬固まったかのように動きを止め、ギギギと音でも聞こえそうなほど力の入った首をナーシスに向かって回すと、おもむろに抜剣した。
「な、ナーシスぅぅぅ、お前! お前はぁあああ!」
「な、なんで! くそっ、正気か!」
団員の表情は憤怒の表情をしており、噛みしめた唇からは血がにじみ出ていた。とっさとは言え、さすがは団長ともいえる動きで剣を弾き飛ばすと、騒ぎを聞きつけてた警備兵に団員は取り押さえられ、何事かを叫びながら連れられて行った。もう一人の団員に関してはぽかんとした表情であっけにとられており、ナーシスはまるで信じられないものでも見たかのような顔でリーゼを見ている。
「ぼ、僕は気分が悪い! 失礼する!」
まるで逃げるかのように走り去るナーシスの背中を、トランスとサラは茫然と見送り、ベルクだけは真剣な表情で見ていた。