それぞれの思惑
「くそくそくそ、くそがぁぁ!」
豪華なテーブルやタンスが、ナーシスの手によって次々に破壊されていく。人払いは済んでいるようだが、あまりの物音に、時折メイドや兵士が怪訝そうに立ち止まるが、宰相が向かうのを見て、頭を下げると足早に離れていった。
「荒れておるな」
「ダンツか……。何の用だい?」
「ふん、どうしてくれるのだ。戦闘力は大したことなかったが、治癒魔法とあの防御力は想像以上だ。あの青二才につかれると面倒だぞ」
ダンツの言葉に、ナーシスの視線は槍で貫かれた左手へと向かう。傷一つのない腕だが、彼の自尊心は今までにない程に傷ついていた。しかし、それ以上にもう剣を握れないのではないかと思われた負傷を、一瞬で治したことに意識が向き直り、目先の怒りよりも今後の価値に意識が傾く。
「あれだけの情報をくれてやったのに、仕留め損ねるとはな」
「……殺すのが惜しくなっただけさ。あれだけの治癒魔法があるなら、利用方法はいくらでもあるだろ」
「ほぉ、さすが博愛でおられる。味方に引き込むつもりか?」
「ふっ、あえて花を持たせたやっただけさ。美しい女性なら良かったが、僕という損失を世界にさせないためには、贅沢は言ってられないようだ」
宰相ともあろうものが王を青二才と呼び、博愛と呼ばれる騎士は、謁見に来たトランスを殺そうとしていた。その事実が、誰かに知られることはなく、宰相のくぐもった笑い声が部屋に響いていた。
「良かったのですか?」
「うん? あぁ、逆に好都合だ」
王城の一室では、傷だらけの鎧を着た騎士と、若き王が言葉を交わしていた。王の間での軽薄な雰囲気はなりを潜め、その瞳には活力が満ちている。
「近衛に抜擢……という結果には弱かったしな。待ったがかかって騎士団に編入でもされたら、近くに置けなかっただろう。それ以前に、危うく芽を摘まれるところだった。良く止めてくれたな。ガウデイ」
「まさかあの場で殺そうとするとはな。思わず本気で攻撃してしまい、危うく陛下の騎士を殺めるところだった」
「もう腕が使い物にならなくなったんじゃないかと思ったが、治癒ってレベルじゃなかったな。とんだ掘り出し物だ。ま、結果的にいい薬になっただろう。恨みを買ったお前には悪いがな」
「こちらが恨むことはあれ、恨まれる筋合いはない」
「……そうだな。すまない」
「王たるものが、安易に頭を下げるものではない」
臣下と王というよりも、孫と祖父といった様相の2人。ナーシスとダンツとはまた違った意味で、トランス達を巻き込む形で、何かを考えていることは明らかであった。
「騎士団に入らなくて良かったんですか?」
「あぁ、あれが上司になる可能性がある段階で……な」
「あいつはナーシス、博愛の称号をもつ騎士だ。性格は博愛なんてもんじゃないんだがな」
あてがわれた一室でトランス達は謁見の間でのことを話していた。戦った騎士の名前をベルクが心底嫌そうな顔で語った。それに釣られるようにして、サラにしては珍しく表情を崩した。
「たしかに、あまりお近づきになりたい人ではありませんでしたね」
「あくまでリーゼの呪いを何とかするためだ。……誰かに仕える気はない」
「はは、肝を冷やしたよ。王様の前で膝をつかないだなんてやめてくれよ」
「あっぅーあう」
「リーゼちゃんは喜ばないで……」
ベルクとサラが肩を落とすものの、リーゼはきゃっきゃっとトランスの兜を叩いている。膝をつかなかったのではなく、つけなかったということを、トランスは説明ができず、ただ押し黙るしかなかった。
時は少し前、謁見の間で、騎士は堂々と立ち声を張り上げていた。
「騎士団に所属はしない。あくまで冒険者として、望まれたことには従おう。そして要件が一つある」
「き、貴様! 王に対して何たる無礼か! 要求をできる立場だと思っているのか!」
「ふふふ、よい、要件を聞こう」
「陛下! 冒険者風情が王に意見をするなど――」
「――なら貴様はいいのか? 余がいいと言ったのだ」
「いっ――、失礼……しました」
トランスの不遜な物言いいに、ダンツが怒鳴り散らすが、冷たく低い声で王が囁くと、蚊の鳴くような声になり黙り込む。騒音とも言えるほど騒がしかった声が静かになると、それにならうようにして周囲の喧騒も静まり込む。
「解放の巫女との謁見。リーゼに、祝福を受ける権利を」
謁見の間に、トランスの声だけが響いた。