ある森人の話
思ったより長くなったので、分割です……
唐突だが、昔話をしよう。ある森人の集落に、1人の少女がいた。小さな集落の族長の1人娘であった彼女は、大切に育てられ、すくすくと育っていった。ただ一点、魔法が使えないという点を除いて。
「稀に目覚めが遅い子もいると聞く。きっと大丈夫だよ」
「えぇ、えぇそうね。ちょっと過保護にしすぎなのかしら? 精霊様と触れる機会をつくってみてはどう?」
「そうか、そうだな。次の魔物狩りに一緒に連れていこう。あの子はみんなにも可愛がられているからな。連れていくとなったら止められそうだから、2人でいってくるよ」
「気を付けてくださいね? あの子になにかあったら……」
「大丈夫だ。一匹や二匹狩ったらもどってくるよ」
少女が寝静まった深夜遅く。両親が話し合う。どこか重々しい空気が漂っていたが、まだその雰囲気は、どこか楽観的なものが見て取れた。
「お父様? どこへいくの?」
「うん? 族長として大切な仕事があってな。今日はその見学だ。たまには集落の外の空気を吸うのもいい経験になる。ただ、1人で絶対に出てはいけないよ?」
「はい、お父様。1人で出るようなことはしません。だって、怖いもの」
「ははは、良い子だ」
少女を連れ立って集落を出た父親は、恙なく魔物を弓で仕留めた。狼の魔物だ。あまりにも呆気なく終わってしまった予定に、父親はしばし逡巡すると、過保護かもしれないという妻の言葉を思い出し、意を決したように少女に声をかけた。
「さ、一緒に行こう。まだ息があるかもしれないから、決して私の側から離れず、魔物の近くに言ってはいけないよ?」
「はい、お父様」
少し血を見たら気分を悪くするかもしれないが、今日はそれぐらいで終わりにしよう。そう考えた父親は、つかず離れずでついてくる娘に意識を割きながら、ゆっくりと仕留めた狼の魔物に近づいていった。しっかりとこと切れており、安堵した父親に娘の言葉が届く。
「ねぇ、お父様。この子は?」
「――っ?!」
丁度娘の側の草むらから顔を出した狼の魔物の子供が、何が起きたのかわかっていない無垢な瞳で少女の近くに歩み寄っていた。見た目の可愛さに警戒心の薄れた娘は、あろうことかゆっくりと手を差し伸べようとしている。慌てた父親がとった行動は、短剣を咄嗟に取り出し、狼の子供の首筋に突き立てることだった。噴き出した血が父親の手を、少女の顔を血濡れにしていく。むせかえるほどの血の臭いに意識を失う寸前、少女が思ったのは恐怖ではなく、可哀そうという感情だった。
何日たっただろうか、あれからというものの、少女は家に半ば軟禁状態であり、外出も許されなかった。きっと自分の行動がいけなかったんだろうと謝ってみても、両親から返ってくる返事はなぜか謝罪だった。そして数日後、何の妨害もなく族長の家に押し入った強盗に、少女は攫われた。
馬車に揺られ、ぼろきれのような服を着た少年少女たちが、皆一様に猿轡をされ、両手両足を縛られている。表情は暗く、涙を浮かべている者ばかりだ。集落で聞いたことがある。きっとこの人たちは奴隷商人なんだろうと少女は思った。このまま連れていかれ、魔道具である首輪をつけられたら一生まともな生活は送れないだろう。少なくとも少女の知識にはそういう認識があった。親からの態度の変化にも、気丈に振舞っていたタガがここで外れてしまった。無表情とも、無感情とも思えた表情は崩れ、大粒の涙が溢れる。
「は、はふ……へて……」
「あん? おい、静かにしやがれ」
いい子であるべきと育った彼女は、始めて心の奥底から望んだ願いを必死に叫ぶ。猿轡をされてまともに喋ることができないが、必死で助けてと叫んだ。両親も助けてくれない。集落の人がいう精霊様は助けてくれない。それどころか、生まれてこのかた、呼びかけに答えてもらえたこともなかった。
「はふへて!――はふへて!」
「うるせぇ! だまれガキが!」
「あぐぅ……、たふ……へて……」
「おい、商品を傷つけんなよ!」
「はっ、どうせこんな出来損ない……」
芋虫のようにはいずり、叫ぶ少女を奴隷商の一味と思われる男が殴る。何か言いかけたところで、周囲の喧騒がそれを止め、動物のそれとは違う禍々しい唸り声が響きわたった。
「魔物の群れだ! なんでこんなところに!」
「くそっ、ガキどもを数人囮に降ろせ!」
「うぅぅぅ……ふぁふへて! ふぁふ……ぐぅっ!」
「うるせぇ! こんな騒ぐガキがいたらすぐ追いかけられちまう、惜しいがこいつはいらねぇ!」
慌てふためく男たちに、縋りつくように這い寄った少女を、乱暴に男が蹴り上げ、見繕った少年少女と一緒に道端に放り投げる。逃げ惑わせて少しでも時間を稼がせるため、両手両足の拘束は解かれたが、魔物の群れを見て絶望し放心したり、泣くばかりで動こうとするものはいない。馬車は魔物を避けるようにして行ってしまった。だが、少女だけは諦めていなかった。心のどこかで拠り所として残る、暖かな家族を、居場所を想い叫ぶ。
「私は……私は帰るの! 邪魔しないでよ! あっちへ行って! くるなー!」
少女がやけくそになり手を前に向けると、一度も成功しなかった魔法が、眼前に近寄っていた魔物を黒い炎で焼いた。
「ああああああ、うわあああああ!」
慟哭のような叫び声をあげながら、滅茶苦茶に黒い炎を飛ばし続ける少女。その後ろに隠れるようにして一緒に落とされた少女と少年が目を見張ってその光景をみていた。
数十匹の魔物を焼いたぐらいでどうにかなる群れではなかったが、何かに導かれるように、魔物達の群れは少女らを襲うことなく散り散りになった。その場には、気絶した少女と、放心した状態の子供達が取り残されていた。