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亡国の騎士  作者: 黒夢


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旅立ち2

夜明けの寒気が、辺境の街ハガイを覆い尽くしていた。街の入り口、石畳が途切れる場所に、王都へ向かうための頑丈な馬車が一台停められている。馬車を引くのは、太くたくましい二頭の挽馬。荷台には、ロブが厳選した上質な交易品が積み込まれていた。


ロブは、深緑のジャケットを完璧に着こなし、優雅な笑みを浮かべながら、二人の冒険者と向き合っていた。


「トニー君。今回の護衛はギルドからの正式な依頼です。人選をこちらから一方的に変更することはできないのですよ」ロブは丁寧な口調ながら、商談における絶対的な譲歩の余地がないことを示唆していた。


ベックは、顎を覆う無精ヒゲを苛立たしげに撫でた。彼の視線は、まだ薄暗い街の奥へと注がれている。


「トニー、お前のような若造一人では、王都への護衛は心許ない」ベックの言葉は、トニーの軽薄な性格に対する不信感と、自身の力の絶対的信頼が見てとれた。


トニーは、即座に反論した。


「おいおい、ベックの旦那。俺を舐めるなよ。この前だって、オークと戦ったんだ! それに、外の世界を見るチャンスなんだぜ?」


ちょうどその時、朝靄の中から、重厚な足音と共にトランスとサラが現れた。トランスの背中には、純白の『慈悲のマント』に顔以外を覆われたリーゼが、静かに眠っている。


トニーは、トランスたちを見つけると、すぐに駆け寄った。


「トランスの旦那!サラのお嬢さん!ちょうどよかった。頼む、俺にもこの護衛に参加させてくれ!ベックの旦那が、俺を街に残そうとしやがるんだ!」トニーは、芝居がかった身振りで訴えた。


サラは、トニーの無鉄砲さに呆れつつも、場を収めようと宥める。


「もちろんベックさんと比べたら頼りないかもしれませんが、トニーさんも頼れる冒険者ですよ。まぁ、依頼書を無視して直談判というのはいただけませんが……」お互いの顔を潰さずに場を収めたり、足りない部分を指摘するのも受付嬢として必要なことだ。困ったような表情で視線は二人の間を彷徨っていた。


ベックは、トランスに視線を向けた。そのくすんだ鉄色の鎧と、胸に空いた穴をじっと見つめる。


「……騎士殿。貴殿の力量は測りかねるが、この旅は遠路だ。若造の気まぐれに付き合っている暇はない」


トランスは、ベックの言葉に一拍置いてから、静かに答えた。


「それについては、問題ないだろう。」


彼は、腰のポーチから、ギルドマスター・バラックから受け取った分厚い羊皮紙の束を取り出した。それは、王都ギルドへの紹介状と、今回の護衛依頼書だった。


トランスは、ロブに依頼書を差し出した。


「これを見ろ。ギルドからの正式な依頼だ」


ロブは、受け取った羊皮紙を慎重に広げた。


「ふむ、これは……ギルドマスター・バラック殿の直筆ですな。王都への護衛依頼、トランス殿、サラ殿、そして……」


ロブは、依頼書に記載された護衛のメンバーリストを読み上げ、目を見開いた。


「ベック殿、そして、トニー君。四人全員が指名されていますな」


トニーは、歓喜の声を上げた。


「やったぜ!見たか、ベックの旦那!俺っちも戦力として認められてるってことだ!」


ベックは舌打ちをした。


「ちっ……バラックの親父め、余計なことを。まあいい。ギルドの決定なら従う。だが、トニー。無駄な蛮勇は慎め。俺は、お前の尻拭いのために王都へ行くわけじゃない」ベックは、不機嫌さを隠そうともしなかったが、プロの冒険者として、依頼の遂行を了承した。


ロブは、柔和な笑みを浮かべた。


「これで全員揃いましたな。トランス殿、リーゼ嬢を背負ったままで申し訳ありませんが、馬車へどうぞ」


トランスは頷き、馬車の昇降口へと向かった。


しかし、彼が馬車に片足を乗せ、全身の体重をかけた瞬間、事態は発生した。


重厚な鉄色の鎧、そしてその内側に秘められた彼の頑健な体躯の重量は、並外れていた。馬車の車体全体が、軋んだ音を立て、大きく沈み込んだ。


「うおっ!」トニーが思わず声を上げる。


馬車の車輪のサスペンションが悲鳴を上げ、車体が地面に数センチめり込んだように見えた。


トランスは、すぐに足を戻した。周囲の空気が一瞬、凍り付いた。


ロブは、慌ててトランスに駆け寄り、恐縮した様子で頭を下げた。


「も、申し訳ありません、トランス殿!まさか、そこまで重いとは……私の馬車は、少々華奢でして。このままでは、馬に過度の負担がかかってしまいます」


トランスは、馬車を見下ろし、背中のリーゼの寝息を確認した。彼の感情は、一切動揺していない。


「……気にするな。徒歩で並走する。その方が、周囲の警戒も容易だ」


ロブは、安堵の息を吐いた。


「ありがとうございます!ですが、お疲れになりませんか?」


「問題ない」トランスは断言した。



ロブは、すぐに別の視点から状況を評価した。


「なるほど、徒歩で並走ですか。それは素晴らしい。その威圧感は、盗賊への最高の牽制になりますな。これだけ重厚な鎧の騎士が護衛についているとなれば、迂闊に手出しはできまい」


ベックは、トランスの足元をちらりと見て、短く言った。


「馬車に乗らねえ方が、警戒もしやすい。いいだろう」


こうして、護衛体制は整った。ロブが馬車に乗り込み、ベックとトニーは交代で斥候をこなすようだ。


トランスは、馬車の右側を。サラは、トランスのすぐ左側を歩き始めた。


街道は、ハガイを出るとすぐに、広大な草原へと続いていた。朝靄は晴れ、太陽の光が、風に揺れる黄金色の草の穂を照らしている。風は心地よく、旅の始まりとしては悪くない。


リーゼは、トランスの背中で、深い眠りについていた。彼女の身体から発せられる微かな魔力の波動が、『慈悲のマント』を通じてトランスの鎧に流れ込んでいる。魔力同調の効果は絶大だった。トランスは、己の魔力回路が、まるで清流で洗われたかのように淀みなく機能しているのを感じた。


(……この疲労のなさ。リーゼの魔力が、俺の鎧を支えている)


トランスは、リーゼの存在が、彼自身の存在を補強していることを理解していた。彼は、魔物に対する恐怖心に打ち勝つために、常に感情を抑制しなければならないが、この魔力的な安定感は、彼の抑制を容易にしていた。


サラは、トランスの隣を歩きながら、馬車の荷台をちらりと見た。トニーは、荷台の端に座り、楽しげに口笛を吹いている。ベックは、遥か前方で様子を伺っているようだ。


サラは、自身のローブの胸元に提げられた銀細工のペンダントに触れた。


(この体質さえなければ……。私だってもう少し役に立てるのに)


彼女は、トランスの背中に静かに眠るリーゼを見た。リーゼの安らかな寝顔と、トランスのくすんだ鎧を覆うマントの清らかな輝きが、鮮やかなコントラストをなしている。


「トランスさん」サラは、静かに呼びかけた。


トランスは、視線を前方へ向けたまま、「なんだ」と短く応じた。


「リーゼちゃんの様子は?呪いの影響はどうですか?」


「魔力同調により、彼女の魔力は安定しているが、眠りが深くなっている」トランスは簡潔に報告した。


馬車の中から、ロブが顔を出した。


「いやあ、素晴らしいお天気ですな!このまま行けば、次の村には昼過ぎには到着できるでしょう」ロブは、常に人当たりの良い笑顔を絶やさない。「トランス殿、リーゼ嬢は、あなたのお子さんですかな?」


トランスの足が、一瞬だけ止まった。彼は、ロブの問いかけに、すぐには答えなかった。彼の内心では、記憶のない自分と、この少女の関係をどう定義すべきか、葛藤があった。


「……訳ありだ」トランスは、感情を排した声で答えた。「親族ではない」


ロブは、そうか、と穏やかに頷いた。


「失礼いたしました。しかし、とても懐いていらっしゃるように見えますな。私の娘も、リーゼ嬢と同じくらいの歳でして。王都で、妻と待っております」


ロブは、左手の薬指の結婚指輪を、慈しむように撫でた。


「本当に、利発で可愛くて。この旅路も、娘に土産を買うのが楽しみでしてな」ロブは、家族への深い愛情を隠さなかった。


トランスは、ロブの言葉を聞きながら、背中のリーゼの重みを改めて感じた。親族ではない。だが、彼女を守ることは、彼の『責務』だ。そして、その責務が、彼の存在意義を形作っている。


「そうか。それが貴殿の信念なのだな」トランスは言った。


ロブは、トランスの言葉に、商売人とは異なる、深い信頼の響きを感じ取った。


「ありがとうございます。トランス殿。あなたのような騎士が護衛についてくださるなら、私は安心して旅を続けられます」


馬車は、草原の真ん中を、規則正しい揺れと共に進んでいく。トランスは、その横を、重い鎧にもかかわらず、全く疲弊した様子もなく、淡々と歩き続けた。彼の視線は、常に周囲の警戒に注がれていた。


サラは、トランスの横顔を見上げた。彼の背負う重い責務と、それによって守られている小さな命。とても尊いものだと心で感じる。


(私にもできること。この不安定な力を、トランスさんの旅のために、最大限に活用すること)


彼女は、自身のコンプレックスを乗り越えるべく、歩調を速めた。


一行は、朝の光を浴びながら、王都への長い旅路を、静かに開始した。トランスの硬質な歩みと、背中のリーゼの穏やかな寝息だけが、草原の風に響き渡っていた。

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