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 満月が登る夜の桜並木のある車が通ることのできない小さな道。小説のアイデアやネタを練るためにメモ帳とボールペンを持参して眺めていた。昼の桜もいいが、夜の桜も幻想的な魅力がある。

 一吹きの風で木の枝が揺れて末端に咲いている桜の花びらが散っていく。所謂桜吹雪だ。

「綺麗だな」

 俺以外誰もいない場所でぼそっと独り言が出てきた。

 碧と一緒に見に来ればよかったけど、今の時期は修羅場の真っただ中らしい。昨日もLINE通話で遊びに誘ったが、元気のない声で「ごめん、忙しすぎて今回は無理かも、誘ってくれてうれしいけど、今回はパスするね」結構マジな喋り方だったので「分かった、じゃあね」で仕事に支障が出てこないようにすぐに電話を切った。

 一眼レンズカメラを取り出して何枚も何枚も撮影してはいい感じの写真が出来たら保存、気に入らなければ削除していく。

 これも小説のネタにするための材料なんだが、学園系や花見シーンでしか今あるイマジネーションでは物語を作りあげられない。勿論、案があれば練って物語の下地にでも何にでも加工するつもりだ。

 ある程度写真を撮り終えると月に背を向けて桜並木を後にしていく。



 3月、桂丞達が桜の花びらと共に飛び立つ特別な日。よくよく考えるとあっと言う間だった、瞳を瞑れば今日を終わらせて明日を跨ぎ、まるでハードル走のような一日を繰り返していた。終わりが見えない無限の砂が落ちるのを眺めるのは退屈だったが、周りを見渡せば環境や人間関係がすぐに移り変わっていくのが一目瞭然。

3年前の入学式が懐かしい。これからどんなことを学ぶのかワクワクしていたし、しっかり人間関係を作れるのか不安もあった。掛け替えのない友にも出会えたし、ガールフレンドもできた。一番充実していて楽しい時間を過ごせた分、寂しさが込み上げる。

クラスメイト全員で卒業写真を撮った後、笑い合い、泣きあった。

打ち上げを夜にしようという話になり、一度制服から着替えるために家に戻ろうとしたが、兄が校門前に佇んでいた。

「兄貴」

「よっ、卒業おめでとう」

「なんでここに居るんだよ」

「いいだろう、弟の卒業式くらい来てもさ」

 現在佳樹はフリーランスで仕事をしつつ、世界各国を旅していると聞いた。最初の方に書いてあった自由気ままに旅をしたいと書いてあったから夢の卵が現実で羽化したのだろう。

 川の下流域を跨ぐ無粋なコンクリートでできた大きな鉄橋。交通量の多いこの道を二人で歩んでいく。

「というより、なんであんなことしたんだよ」

 真実を知ったうえで態とその質問のプラカードを掲げた。

「いいか、桂丞。俺は頑固おやじが営む財閥の総帥務めるより、お前と徒競走する方がはるかに幸せなんだ」

「…知っているよ」

「うぇ⁉何で知っているんだよ」

「分かりやすいところにあんなノート置いておくからだ」

 今の一言で真実を察した佳樹はドッキリを仕掛けといて逆に相手側から騙された気分になっていた。ネタばらしの伏線を自ら張っていたことに気付かず、無言で承泣のツボをから生え際まで手で覆い隠す。

「まあいいか、いつも練習していたんだろ?やろうぜ、徒競走。」

河川敷におり、大きな川を跨いでいる巨大な橋の石柱を指さした。

「うん」

「位置について、よーいどん!」

 クラウチングスタートの構えから思いっきり爪先を蹴り上げて走り出す二人。

内燃機関のスピードが徐々に上昇していき、息を吸う喉の奥が苦しくなってくる。春先の冷たい空気が高鳴る鼓動で低く燃えあがる体内に吸い込まれて温度差か、もしくは走りによるものなのか彼らにとってはどちらでもよかった。

彼らは引退してから実質相当なブランクがある。しかし佳樹も桂丞も毎日欠かさず走り続けている所為か、大差なかった。更に加速するためにやや前傾姿勢になり風の抵抗を減らしていく。

間に合うか…。

 石柱の横を通り過ぎるまでおよそ0.5秒差、ギリギリ桂丞の勝ちだった。

「お前の勝ちだ、桂丞」

何だろう、この感じ…初めて兄に勝ったという達成感が心の中を満たしていった。長年表に出さなかった劣等感の塊で出来たインクが潮の満ち引きみたいに引き下がっていく感覚が心の中で起きている。

やっとだ。

どんなに天才と謳われる壁が立ちふさがろうと努力次第でそれは超えられるのだ。

 仰向けに倒れて大空を見上げる。大分呼吸がマシになってくると兄が大声で笑いだした、あまりにも急な大声に反射的に震源地に目線が向く。

「ははは!これが負けか、中々悪くないな、また時間が出来たらここで走ろうぜ、次は負けないからな」

「望むところだ、兄貴」

 佳樹が桂丞に向けて拳を差し出した。それに応えるように桂丞も握りこぶしを作って指を軽くぶつける。

 春先の陽ざしが彼らの小さくも激しい勝負の行く末を照らしていた。

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