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「えー、皆さんどうもこんにちは。片桐桂丞です」
俺は今日、とある会場で新作小説の発表イベントに出ていた。老若男女問わず小説好きの人たちが集まってきている。
久々に大勢の人が集まる会場に足を踏み入れたのは久しぶりだからやけに緊張している。それとも新作を早く見せたいという高揚感が正体なのかもしれない。
自分の作品を説明するのが途轍もなく楽しい、中々表には出てこない秘話を語ったり、ファンとの交流である握手会とサイン会も立て続けに行われた。
「大ファンです!」
「ありがとうございます」
「先生の比喩表現の仕方や文章がすごい好みです」
「そういっていただけると嬉しいです」
握手を交わしサインを渡すたびにファンからの笑みがより一層零れていく。やっぱりこうも自分に対しての正の感情を出してくれるとなるとこっちも嬉しくなる。ポジティブに満ちた笑顔は無条件に心を和ませてくれる、感情の伝達というものだろうか。
「本日はありがとうございました」
今回行われたイベントは幕を閉じた。彼のこれから活躍を自分もファンの人たちも心の中で祈りながら。
~。
気付けば受験シーズンが過ぎ去ってあと1か月で卒業といった時期。もうそろそろ俺は3年学級に上がって兄貴は卒業して大学生か、財閥の為に働きずくめの人生を送るんだろうな。突然兄のことを思うと気の毒になってきた。
掃除当番も部活もないし、友達2人誘って一緒に帰ることになった。いつもの通学路を辿りながら
「片桐さ、進路とかどうしたのー?」
「進路?」
拍子抜けの高くて腑抜けた声が思わず出てしまった。
「そうだよ、今のうちに考えとかないと後々大変だよー」
無駄に語尾が切れずに伸びている話し方をする友人が催促してくる。
「進路かぁ、部活や勉強のことで精いっぱいすぎて全然考えてなかったな」
確かにそういえばそうだ。今迄部活と勉強、文武両道で進んできたものの、自分の将来については何も考えていなかった。
今度部活休みの日で進路相談室とか行くか…。
数日後、昼休みの時間帯になり手作りの大盛弁当をあっという間に平らげてそのまま進路指導室に向かった。
パソコンの前で休みを削ってまでも仕事に没頭している指導担当の先生に声を掛けて相談する。
「ん~。片桐は自分の好きなこととかやりたいことは無いのか?」
「やりたいことですか…」
いくら頭を絞り出しても答えの一粒は一切出てはこなかった。先生は一呼吸おいていった。
「俺はあんまりお前らに後悔してほしくないんだ。適当に選び過ぎた結果自分に合わない職場に入って1か月で辞めたり、自分の時間を無駄にするような生き方をしないでほしい。」
今の時間とこれからの仕事を天秤で計ったうえでの話だった。それを言われて尚更桂丞は悩んだ。
「…」
「片桐はどうしたいんだい?取り敢えず進路希望の紙あげとくからこれに希望とか書いてみて提出してくれ」
「分かりました」
授業間の休み時間、昼休み、放課後、家に帰ってからの自分だけのフリータイム。色々考えたものの、候補として挙がったのは“小説家”などのクリエイター関連の仕事だった。
まあ小説は読むのも書くのも好きだし、趣味を仕事にするのも悪くないと思ったのだ。
進路指導室で自分のやりたいことを相談したその日、桂丞はグラウンドで一人になっても練習に励んでいた。今年の大会ではいい結果を残せなかった。全国大会決勝、5位、2位。兄の見てきた頂まではあとすこしというところだ。
来年の高体連では絶対に天辺を取る。
とは意気込んでいたものの、雨が降り始めてやむを得ず夜練を中断し傘をさして片桐家に戻ってきた。いつも通りただいまの声は玄関に響かず、ドアの開閉音しか聞こえない。バタンと扉をしめ切ったらいつも静かなはずの父親の部屋からいざこざが起きているのが分かった。
もう一つの声の正体は兄、佳樹だった。
怒っている父親に気付かれないよう、足を忍ばせその部屋の前まで移動した
部屋のすぐそこで盗み聞きしていると会話の全貌がハッキリと聞こえてくる。張り詰めたパリっとした空気感と雰囲気が漂う部屋の入り口を通る気にもなれなかった。
「何故、合格できるはずの大学に落とされた?答えろ」
バンッ握りこぶしで机を叩きつけた音で桂丞は不意を突かれて反射的に動いた。
「これは自分の実力不足で」
狼狽えるようすで質問の内容に答えようとしたが、怒りの炎にガソリンを撒くだけ撒いただけのようだ。親父はさり気無い佳樹の言葉をズバッと遮った。
「一目瞭然の嘘をつくな、見苦しい」
「父さん」
落ち着いてきたところで再び口を開いて
「なんだ」
「もう、ここまで来たら引き下がれないからすべて話します」
「ほう、なら聞こうか。佳樹お前の弁解を」
「俺は片桐財閥の総帥になる気は一ミリもない」
桂丞は改めて兄の本当の願いを聞いたような気がした。いつも父の為、片桐家の為に頑張ってきた兄貴が自分を誇示し始めたのが驚きだった。
「他人のレールに敷かれた人生を歩み続けるのはもう懲り懲りなんだ」
「貴様、今まで総裁の座に継がせるためにどれだけの金と時間を投資してきたと思っている!」
「俺はあんたの道具でも機械でもない、一人の人間だ。自分を模倣した後継者を創り出したいならAIでもその椅子に就かせたらどうだ?」
もう父親の思い通りに踊っていく操り人形ではない、片桐佳樹個人になれたのだ。
「もういい、貴様もあのゴミクズ同然だな。才能があっても意思が無ければ凡人になり果てるのだな」
「俺の弟をゴミクズとかいうな、あいつも日々努力していたのは知っているんだよ。泥を這いつくばってまでも頂をつかみ取るためにな」
「はあ、もういい部屋から出ていけ、もう貴様に等期待しない」
腹底から分かりやすい大きなため息を出し切り、あきれた様子で椅子にふんぞり返った。
「分かりました」
兄が廊下の方に歩んでいくのが足音でよくわかる、廊下に顔を出したところで桂丞と目が合う。何も言わずに片手だけであいさつすると階段を上って自分の部屋に戻っていった。
兄の願い事ノートを見た後に決意を聴くとなると尚更心が痛くなる。
自由になりたい…ね。
桂丞は自分の部屋のベッドに寝転がると疲れと眠気に押しつぶされてそのまま眠りについた。




