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桂丞が起きると空はすっかり朝日に照らされた空色のキャンバスが窓越しに広がっていた。

 やっべ、寝すぎた。今日は彼奴と久々に出会う約束している。

 寝ぐせ塗れの髪の毛をシャワーで梳かしてドライヤーで一気に乾かす。染めた茶髪の髪に少し取ったワックスで髪を形作り、事前に準備していた洋服に着替えて住んでいるアパートを飛び出した。

 待ち合わせ場所の駅の中、細く長い駅内を支える巨大な柱の整列。コンクリートタイルで敷き詰められた道を歩き続けて待合室に到着した。中に入ると、既に彼女が座って待っている、iPadを左手に持ち右手の指で弄っていた。

「おいっす」

 桂丞の声に気付いて彼女は顔を上げた。

「久しぶりね、桂丞」

 iPadをバックの中に仕舞って歩み寄ってきたのは高校時代から付き合いである月島碧だった。

小腹が空いたし、10時のおやつに何か食べようかという話になり、スマホで予約サイトを使って最寄りのファミレスやレストランがないか探してみる。徒歩5分で行ける場所に紅いピンが突き刺さっている。すぐにマップが示す店までスマホに散歩…いや、誘導されると言った方が正しいだろうか。

お洒落なファミレスに足を踏み入れて綿が詰められたテーブル席に座る。注文ボタンを押して厨房などいるオーダーを構えた店員を呼び出した。

二人はメニュー表をぺらぺら捲り、なにが食べたいのか品定めする。

「ご注文は」

「チーズケーキと紅茶一つお願いします」

「俺はステーキ250gとコーラ」

 碧は少しぎょっとした顔で桂丞を見た。

「畏まりました」

 店員が厨房まで歩み去っていくと、びっくりした口調を包み隠さず容赦なく曝け出して言った。

「おやつにしては重すぎない?」

「昨日の昼から何も口にしていないんだ、別にいいだろ」

 碧は妙に納得した。高校時代、桂丞と一緒に食事に行くときは彼女の倍の量のご飯を平らげる程の大食漢であることはよく知っているからだ。

 話しは注文した食べ物から仕事の内容へと舵を取る。

「碧は今何しているの?」

「イラストレーターよ、上司も先輩も優しく教えてくれるし、今は物凄く楽しいわ。桂丞は?」

「今はしがない小説家さ」

「つまらなくないよ、十分に売れているじゃない」

「まだ発展途上だって言った方が良かったか?芸術を嗜む身としては高みを目指すのは当然だろう」

「まあ、私も今の実力に満足していないけどね」

 二人の笑い声が店内に軽く響いた。

「あのさ」

「どうした?」

「もしよかったら、お願いしたいことがあるんだけど」


~~。


高校2年の頃、3年生である佳樹が全国のインターハイで優勝を飾った後、引退し就職活動に踏み込み始めていた。兄が目指すのは父親が言っていた某有名大学。習わしなのか、大学縛りなのかそういった点では兄がとにかく可哀想に思えてくる。財閥やら馬鹿でかい会社の社長の子孫達は親の模倣を創り上げるための英才教育なのだろう、これでも兄はどう考えているのだろうか。大好きだった運動系の部活を必然的にやめることにより始まる地獄の受験戦争。その競争に勝つため、そして片桐財閥の椅子に座るため、こんなレールを敷かれた人生を兄は望んでいるのか。そんなことはあいつ自身しか分からないことだ。

こっちも高体連が終わり、先輩方が部活を引退、就職に向けて新たな一歩を歩み始めている。2年生である俺達と後を追う可愛いくも生意気具合が残る後輩達、次世代を担う十数人は秋口に行われる大会に向けて一生懸命練習に励んでいた。

太陽が顔を覗かせる時間も徐々に短くなり、青々と活き活きとした葉っぱが赤く枯れる色に変化し始めている。俺は部活のメンバーが全員練習を辞めた後でも自主練を繰り返していた。すっかり日は暮れて東から星屑を散りばめた黒い模様が空を支配していく、もうこんな時間か。

そろそろやめて帰る準備しないと…。流した汗をタオルで拭いきり、鞄の中に入っていたスマホを取り出してLINEメッセージの通知からトークチャットを開いた。

碧 18:56“今練習終って帰るよ、何処にいるの?”

桂丞 19:05“グラウンド”

碧 19:06“おっけー、分かった。すぐ行くね”

桂丞 19:06“了解”

 寒空を歩いていくにはこの格好じゃあっという間に風邪をひいてしまう。汗で濡れた運動服を着替えて制服を上から更に着る。

 この前買ったばかりのBremenのアルバムを聴きながら待つこと数分、友人たちにLINEを返していると桂丞の彼女、“月島碧”がこっそりと顔を出してきた。肩までかかった茶色のショートヘア、クリっとした栗色の瞳が特徴的な綺麗な女性だ。

彼女も制服のままの姿だった。

「待っていた?」

「うん、300年待っていた」

 他愛もない冗談を口にし、少し笑みがこぼれた。

「帰ろう、お腹空いたし。今日の晩御飯何かな」

「俺は個人的に餃子が食いたい」

「餃子いいね、醤油と辣油、酢は必ず入れるよね」

「俺は醤油で十分だ」

「えー?なんか物足りなくない?」

 不満げそうな顔で桂丞を見る。

「辛みと酸味はあんまり入れたくないんだよ、米と一緒に頬張った方がいいな」

  コンクリートで作られた無粋な校舎の壁を通り過ぎ、敷地内を出ていく。あまり車通りの少ない道を二人は左端を歩いていた。雲一つない宇宙空間を映し出している暗色で統一された大空に金粉を散りばめたような星々が輝く中で異様な存在感を放つ月の光が町を照らしている。月光と街灯の明かりを頼りに長年の帰巣本能で自然と沁みついた帰り道から家までの道のりを歩んでいく。

電柱に取り付けられた道を照らす街灯に蛾や小さな虫たちが群がる、虫が苦手な碧に気を配って桂馬は敢えて通路の左側を通っていった。

「前から思っていたんだけどさ」

「虚ろな目をして、誰の影を見ているの?」

 自分の考えていることが全て見透かされているような変な感覚が神経系を走り抜けた。桂丞は立ち止まって街灯に照らされた足元をじっと見つめる。数分間何を言えば分からず途切れた言葉で結局お茶を濁すことしかできなかった。

「何も…」

「嘘言わないでよ、本当のことを話して」

 深刻そうな顔してれば案の定聞きたくもなるか、諦めが肝心だな。

「あそこの公園でいいか?少し話す」

「いいよ」

 二人は町中に設置され、夕暮れ時の時点でもうすでに人気のなくなった公園に足を踏み入れた。アスファルトから砂利に足場が一気に変わって踏みつける感覚やら全くもって変わっていく。

2本の鉄の棒で支えられた一本の棒に括り付けられた鎖に吊り下げられたブランコに揺られて俺は未だに他人に話したことのなかったこと、嘘を交えて言わずに全て話した。

 その間、碧はスマホをいじるわけでもなく夢中になって桂馬の話に聞く耳を持っていた。

「そっか、桂馬も色々あったんだね」

「努力しても認められないなんて、どうかしているよな」

「うんうん…」

 俯いていたままブランコに揺られる桂丞の頭を碧は優しく撫でる。

 見てもらえるのはたった結果の高さで出来た塔の天辺。そのために今迄積まれた積み石の数々は無意味も等しい。夜風に煽られて靡いた前髪を鬱陶しそうに毛先が眼球をつかないように片手でどかす。

「ごめん、長話に突き合わせて」

「大丈夫だよ、桂丞のことを改めて知れてよかった」

「ありがとう、碧」

 ガールフレンドに輝かしい笑顔を見せてそこでもう今日はお別れだ。

家に戻れば既に21時を回っている。あの後も結構お互いの話をしていたからだろう、いつも通り二人でいられるということがこんなにも幸せなんだという思いに浸っていた。

 灯りがついていない一階の廊下、その途中からの部屋から電灯の明かりが漏れる。あそこは親父の部屋だ。片桐財閥をいい方向に動かしていく為に色々と規格やこれからの活動などを考えているのだろう。すぐに飯くって勉強タイムに入ろう、と考えていたその時。

「桂丞か、あまり夜遅くまで出歩くんじゃない。息子がこんなんじゃ家の名に傷がつく」

 仕事に勤しんでいた父親が俺の気配に気づいて小言を吐きつけた。他人に唾を掛けられたような不快感が募り、腹が立ったので言い返した。

「あんたには関係ないだろ」

 威圧を込めた瞳が実の父親を睨みつける。

 白髪交じりの黒髪を乱雑にかき乱し、分かりやすいため息で肩に入れっぱなしだった力を一気に抜いた。背凭れに凭れかかる。

「今まで育ててきた親に対してよくそんな大口が叩けるな」

「俺は親だってことすら思いたくねぇよ。」

 苛立ちを堪え切れず階段一段一段に怒りをぶつけるような歩みで階段を上り、自分の部屋に一直線に進んだ。開かれた扉を乱暴に閉めて自分の世界に入る。

「ふん、片桐家の出来損ないが」

 父親はチッと舌を鳴らして他人に聞こえないくらいの蚊が鳴く声で呟いた。

 はあ…。心の中で一気に作成されて行き場のない怒りを抑えるのにベッドに転がって思いっきり胸椎の部位を使って壁を蹴りつけた。一回蹴っても収まらない、怒りに任せて何度も蹴りつける。

隣に誰か居住者がいるアパートなら苦情が飛んでくるだろうな。

 家に帰ればもう話せる相手は一人しかいない。勉強の邪魔になることは分かっていたが、どうしても今話したかった。すぐ隣の兄の部屋、扉に取り付けられたドアノブを引いて入っていった。

「兄貴」

「桂丞、どうした?」

「少し話しないか?」

「いいよ、丁度息抜きしたかったところなんだ」

 小さな嘘でタイミングよさそうな風を装う佳樹は勉強机から背を向けて桂介の方向を見やった。二人とも胡坐をかいて部屋の床に尻餅をついている。

「部活はどうだ?」

「まあ、いい方だよ。県大会にも毎回いけているし」

 ちらっと壁際の箪笥に飾られた全国大会のトロフィーを羨ましそうに二度見した。

“20××年高校陸上全国大会短距離走の部、優勝片桐佳樹”

 俺も何度か県大会では優勝しているが全国大会では準決勝で敗退か決勝7位くらいで毎度終わっている。トロフィーに視点を移すのは止めにした、消しかけていた苦汁と辛酸しか残っていない記憶が蘇ってくるからだ。

「そうか、俺も嬉しいよ。弟のいい結果を聴けるの」

総裁の椅子でふんぞり返っているやつはそんなこと眼中になさそうだけどな。

「中々できないことだと思うぞ、大会で優勝できるのは。努力してもその上がいる。質と量を両方兼ねそろえた練習法を重ねた末に得られる栄光、その時間は一瞬でも人生の宝物になると思うな」

「…話変えるけどよ」

「ん?」

「兄貴はどうなんだ?自分のやりたいこととかないのか?」

「そうだな、人の役に立てることをしたい」

「それは特定の人間に対してだよな?」

「今更不満はないさ、それより時間だし早く寝よう。ちょっとトイレ行ってくる」

「ああ」

 ガチャッ…。バタン。

 勉強していた風景を覗き見ると一生懸命勉強に励んでいた痕跡が見受けられた、周りを見ていくと勉強道具の中に混じっていたノートがあった。

「何だこれ」

そこに置いてあったのは自由な人生を送りたいと書かれた一冊のノート。兄のやりたいことがぎっしりと詰まっている。

“自分の赴くままに自由に旅をしたい”

“友人たちと部屋にこもって夜遅くまで酒を飲みたい”

“弟とまた河川敷で徒競走をしたい”

 ペラペラ…ペラペラ…。一文一行余すことないきれいな字で埋め尽くされている。そのやりたいことの題材の下には一口大で噛み砕けるように細やかに内容が記されていた。そして最後の一ページ。もうさっきみたいな呪文の如く書かれた文字の羅列はすでに見られず、多くの余白を残して中央に立った一言があった。

「何だよ、兄貴こそ…今の状況に不服じゃねえか」

“桂丞みたいになりたい”と兄の心の叫びとも取れる数文字のメッセージだった。

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