16. 真の名前
白薔薇城の1階は、優美なバルコニーを持つ2階とは、まったく佇まいを異にして、元のこじんまりとしたキッチンに姿を戻していた。
灰色猫が魔法で建てたこの城は、どうやら、彼らが移動するのに合わせて、構造を変えているらしい。
外から、グランピーやハッシュフルたちが、雪見の24時間風呂を楽しんでいる声が聞こえてくる。
「はん、もう、驚く気にもならないよ。自宅の風呂がこんな場所で、近衛兵たちの露天風呂になるとはね」
皮肉っぽい笑みを浮かべながら、キッチンのソファに陣取っているのは、魔法大皇帝こと、相良京志郎。その左右の椅子に、それぞれ、かけているのは、近衛兵長ミラージュと、百合香だった。
「ところでさ、僕は明日にでも、魔法の国の君主の名乗りをあげようと思ってるんだけど」
「おおっ、ついにその時が来ましたか。それは、このミラージュ、近衛兵、共々の悲願……」
……が、その時、
「止せっ、それはまだ、時期尚早だって言ってるだろっ」
紅茶ポットから茶殻を取り出そうとしていた魔法使いが、慌てて少年を制した。
油断も隙もありゃしない。移動魔法で騎馬ごと、京志郎たちを白薔薇城に呼び寄せたは良かったが、こいつら、"敵”を多少なりとも攻撃したことで、ハイテンションになってやがる。
「まだ、あの謎の家の主の正体だって掴めてないのに、君主の名乗りを上げて、どうするんだ。また、おかしな力を使われて返り討ちに遭うのがオチだ」
「何だよ、灰色猫のくせに意気地がないな。もとの”とるに足らない者”に戻っちまったのか? だいたいな、お前が余計な魔法で邪魔しなかったら、あの家だって、僕が作った”カールグスタフM2”で木端微塵になってたんだぞ。それより、お茶!」
「あ、灰色猫が淹れたアールグレイ、美味しいし。私も!」
「ついでに、俺にも御代わりを」
京志郎に引き続いて、紅茶カップを差し出した百合香とミラージュに、灰色猫は怒り心頭だ。
「ざけんなっ、俺はここの給事係じゃねぇ!」
紅茶ポットをどんっとテーブルに置くと、小柄な魔法使いは、鋭い眼差しを脳天気な面々に向けた。
「この魔法の国の全てを手に入れる。それには、俺も異存はないし、絶対に実現させてみせる。(京志郎が君主っていうのは……留保だが)ただ、その前にやっておくべき事がある」
「やっておくべき事?」
「謎の館長の”真の名前”をつきとめて、あの家に乗り込むんだ。真の名前を押さえちまえば、あいつが、別の世界に逃げようたって、俺の呪縛魔法からは逃れられない。攻撃の宣戦布告はその後だ。抵抗するなら、流星刀でぶった切ろうが、バズーカ砲をぶっ放そうが、それは自由だ」
先ほどとはうって変わって好戦的な笑みを浮かべた灰色猫。つりあがった切れ長の瞳が、シャープかつ涼やかだ。突然、醸し出す彼のキレモノ感もまた良いと、百合香は頬をぽっと紅潮させた。
「それはそうと、白魔女はどうなっちゃったの? あんたが”命の鼓動の集結”でみんなを魔法の国に呼び戻したのだとしたら、あの女も戻ってきちゃってるんじゃないの」
「ああ、そのことなら」
おもむろに京志郎が座ったソファの後ろにある本棚に近づき、灰色猫はそこから一冊の古びた児童書を引っ張り出した。
「ナルニア国物語( The Lion, the Witch and the Wardrobe)。古今東西の世界中にこの本は出回ってるが、元祖灰色猫が魔法の国に召喚した白魔女は、この本の中に封印してある。だから、こうやって燃やしてしまえば、取り合えず、あの白魔女はジ・エンドってわけで……」
だが、シンクの横の暖炉に本をくべようとした時、京志郎に、その手をがしりと掴まれた。
「こらっ、反対勢力抹殺のために本を燃やすなんて、まるで、焚書坑儒だ。お前は『ナイチンゲールと紅の薔薇』も燃やしたんだってな。どちらの本も初版の稀覯書だったんだぞ。まがいなりなりにも、図書館員だった僕の前で、これ以上、貴重な本を燃やすのは絶対に許さない!」
面倒くせえ……それって、敵の家をバズーカ砲でぶっ壊そうとしている奴の言う言葉かよ。
灰色猫は、仕方なしに、カーテン留めの縄を引き抜き、それで本を十字に縛ると、”sealed(封印)”と低い声で呟いた。
「これで、文句はないだろ。本の内と外から封印の呪文をかけた。とりあえずは、これで、白魔女は100年間は外には出られない。……ってことでだ、そろそろ、本題に戻るぞ」
そして、キッチンに集まった面々をぐるりと見渡してから、右の手のひらを上に向けると、それに向けて声をあげた。
「ナイチンゲール!」
チチチチッ、チチチッ
その囀りは、異なる時空を超えて響き渡る究極の調べ。
手のひらの上で、褐色の尾を振る小鳥の姿。それを見留めて、薄く笑みをうかべると、
「ユリカっ、俺の体をちょっとだけ、見守っといて。これから、俺、謎の館長の所へ行ってくる」
その直後に、小柄な魔法使いは少女の膝の上に、がくりと膝から崩れ落ちた。




