4. 飛べ、北の丘へ(挿絵あり)
「……ざけんなよ、白魔女! くそっ、こんなイカれたビジュアルの奴に凍り漬けにされてたまるもんか」
灰色猫は焦っていた。体は雪だるまの懐へ胸の上まで沈み込んでしまっている。
流星刀で、巨大雪だるまに斬り込んだまでは良かったが、どこからともなく流れてくる”いいね♡”の声に、気を取られた一瞬に、敵の炭団の口に吸い寄せられてしまったのだ。
― ほほほほ……無駄な抵抗は止めて、さっさと髪の先まで凍りついておしまい。その後は我の中に取り込んで、もて遊び……いや、よそう。貴様は小狡い野良猫。油断していると、体の中から汚い爪を立ててきそうだ。ここで完全に息の根を止めるとしよう。魔法の国の”真の支配者”である我の邪魔をこれ以上させぬためにもな ―
「この国の”真の支配者”を勝手に名乗るんじゃねぇ! それに、思い通りにゆかない者を一々、始末してたら、最後には誰も残らないぞ。たった一人だけしかいない国なんて、廃墟も同然! そんな国に意味などあるもんか」
― ふん、偉そうに。あの近衛兵たちも然り、保身のために力ある者に無条件にかしづく者は無数にいる。万が一、この世のすべてが我に逆らう時が来たとしても、廃墟の国と呼ばれる前に、きれいさっぱり、滅ぼしてしまえば良いだけのこと ―
「大口をたたくな! お前の”滅びの歌”は、謎の図書館長に封印されて、今は歌えねぇんだろっ。ううっ、寒さで体が痺れてきた……畜生っ、氷漬けになんてされてたまるもんか!」
* *
北の丘の中腹では、白い甲冑で武装した百合香の”いいね♡無双”が続いていた。
「おりゃああああっっ」
少女の膝当て越しの鋭い回し蹴りを次々に受けて、雪だるま兵たちは崩壊し、見る見るうちに、元のベーシックフィギュアの近衛兵に戻ってゆく。
甲冑に变化しているベルベットが、百合香に非難の声をあげた。
「あのね、ちょっと、やりすぎじゃないの。 彼らは白魔女に操られていただけなのに」
「気にしなくたって平気っ。 後で、京ちゃんがささっと、作り直してくれるからっ」
「お気楽な娘! 我が主なら、きっとこう言うわ。”命の在り方をそんな簡単に語るな”って」
「っ……」
百合香の心臓がどきりと波打った。
「でもっ、私は、マウザーのためにっ……」
その時、百合香の頭上で、巨大な大鷲が声を荒らげた。
― 姫っ、灰色猫の様子がおかしい。お遊びは切り上げて、早く行ってやらないと、もうこの戦いには後がないっ ―
「えっ、嘘っ? 」
安堵がとたんに不安に変わった。
― 我が主、すぐに、お傍に! ―
ベルベットが、いち早く甲冑の形を解いて身を翻す。百合香の体を離れたかと思うと、それは、空気の中にするりと溶け込んだ。
「ベルベットっ、勝手に消えないでぇ! あんたが消えら、私、また、裸?」
いつぞやのミラージュの部屋での災難?を思い出した百合香は、慌てて両手で胸元をガードし、その場にぺたりと座り込む。あんな乙女の危機をそう何度も経験してはたまらない。おそるおそる上目使いで空を見てみると、
― ……姫、何をしている? ―
ミラージュの怪訝そうな声に、百合香はほっと息をついた。大丈夫みたいだ。甲冑の下には、元々着ていた絹のワンピースドレスをしっかりと身に付けている。しかも、胸元がやけに暖かく、こんな雪の中でも少しも寒さを感じない。
妙な違和感を覚えて、百合香はこっそり自分の胸の中を覗いてみる。すると、そこに忍ばせておいた【RINNAI】と書かれた文字板の文字が、
「ん、光って……る?」
胸の上で黄金色に輝いていたのだ。
にわかに、24時間風呂の末路を語ったベルベットの言葉を思い出す。
”私は、本懐を遂げて、壊れていったリンナイが羨ましい。私も傍にいて、リンナイのように、あの方を命をかけてお守りしたかった”
その時だった。
― 光ってるぞ! ―
空で停止飛行を続けていた大鷲が、らしくない声で叫んだのだ。
「ちょっと、ミラージュっ、失礼すぎるわっ。いくらなんでも空の上から、乙女の胸を覗くなんて、騎士道精神の風上にも置けないんじゃないの!」
― 胸? 何のことだ。 俺は最低限の騎士道精神はちゃんと守っているぞ……そんなことより、姫っ、今は、戯言を言っている場合じゃない。北の丘を見てみろっ。白魔女が变化した大雪だるまから、妙な光が噴き出している ―
「妙な光?」
ミラージュに促されるままに、北の丘に視線を向けると、青白、白、黄、オレンジ、赤と、眩く輝く光の束が、”白魔女第二形態”の体の四方八方から飛び出している。
― 一度、あの剣を手にした俺には分かる。あれは、 灰色猫の流星刀の星の輝きだ。だが、拙い。あの光は徐々に明るさをなくしている ―
「ええっ、ミラージュっ、私をあの丘の上まで連れてって。灰色猫が助けを求めているなら、絶対に私が助けるんだからっ」
― 無茶を言うな。か弱い姫に何ができる ―
「か弱い? ふっ、何言ってんだか。あんたの1番目の妻も言ってたじゃない。”13番目の妻”……じゃなくて、”13番目”は、勝利の女神にもなれる”って。私は特別枠なんでしょ? 24時間風呂のリンナイだって、魔法のマントのベルベットだって、体を張ってあの魔法使いを守ってる。だから、私も頑張るの。近衛兵長ミラージュっ、私を北の丘に運びなさいっ。これは”勝利の女神”からの命令よ!」
その言葉に絆されて、大鷲は下降し始めた。
この姫の言うことは、いつも滅茶苦茶だ。だが、このひた向きさに、俺は心惹かれる。
少女の体を両足の爪に引っ掛けると、雪空に舞い上がりながら、ミラージュは問うた。
― 姫、今一度、聞かせてくれ。なぜ、そこまで、灰色猫に肩入れする? 単なる恋愛感情か。いいや、あのバスタブやマントまでが総出となれば、そんな理由ではないな。だが、今は共闘していても、あの魔法使いは敵。姫の兄、魔法大皇帝とは所詮は相容れぬ立場。ならば、奴の何が姫たちをそんなに魅きつける ―
「えっと……ね」
少し考えてから、百合香は言った。
「だって、あの魔法使いは、私に夢を見せてくれたもの。白薔薇の城を創った時に、彼が使ったのは、私にとっては最高で最強の魔法の呪文! どきどきするような、これから素敵な未来がやって来るような、わくわく心が弾むような。あの時の気持ちを私覚えているから」
にこりと、少女は笑顔を見せる。
「多分、リンナイとベルベットにも、灰色猫は同じような魔法をかけたのよ」
そして、
だからねと、後付してから、百合香は声を高めた。
「飛べーっ、ミラージュっ、 北の丘へ!」
少女を抱えて、吹き付けてくる雪風をもろともせずに飛ぶ大鷲は、風切羽を力強く羽ばたたかせながら胸に思う。
別に俺は奴の魔法に囚われたわけではないがな。
夢を見せてくれたから……か。
諦めを捨てて、生まれ直す未来への夢。
そうだったな。
実は、あの魔法使いに自分の夢を託しているんだよ。
この俺も。




