2.ベルベットの告白
灰色猫に遮断されて魔法の国の支配権を失い、ふて寝していた”声の主”は、夢うつつのまま窓の外を見た。
窓にあたる日の光が眩しい。雪景色の街路樹や家々の屋根が銀色に輝いている。
― おかしいな。こっちは晴れてるのに、あっちの空は真っ暗だ ―
その時、ゴロゴロと猫が喉を鳴らすような雷鳴が響いてきたのだ。時をおかず、遠くの空に縦に光の亀裂が走った。
― 稲光? ―
と思うやいなや、凄まじい音が耳をつんざき、家の屋根が激震した。
― ひやぁっ、落雷っ? も、もしかして、これも灰色猫のせい? ―
その時、ライティングデスクのパソコンが突然、カタカタと起動し始めたのだ。ダウンしていたパソコンが、雷が落ちて復旧するというのも妙な話で、”声の主”は、恐る恐る、いつも使っている小説サイトのマイページを開いてみた。
案の定、自分の作品のはずだった小説が、知らぬうちに更新されてしまっている。
― うわぁ、ちょっと寝てる間に、白魔女と灰色猫の戦いが、生きるか死ぬかのデスマッチみたいになってる。駄目でしょ、灰色猫は、主人公なんだからね、ここで死んだりしたら、本当に話がバッドエンドになるっ ―
主導権を灰色猫に奪われた時は、もうどうにでもなれと毒づいたが、やはり、自分が手掛けた作品は可愛いのだ。ただ、どんなにキーボードを叩いてみても、編集機能は使うことができず、”声の主”が物語に介入することは不可能なようだった。
諦めきれず、あらゆる場所をクリックしてみる。……と、
― あ、”いいね♡” だけは、クリックできる ―
それも、1回だけでなく、何度でも。(いい加減な小説サイトだ……)
― ううっ、自分の作品に ”いいね♡” を連打だなんて、超絶に不本意だけど、今はとにかく、灰色猫を応援しなきゃ ―
”声の主”は、形振り構わず、手にしたマウスを連打した。
”いいね♡” ”いいね♡” ”いいね♡” ”いいね♡” ”いいね♡” ……
”いいね♡” ”いいね♡” ”いいね♡” ”いいね♡” ”いいね♡” ……と。
* *
一方、灰色猫は、
「くそっ、硬すぎて、首を落とすどころか、途中までしか剣が入らねぇっ、おまけに、さっきから、頭の上がムズムズして、すごく気が散るっ」
第二形態に変化した白魔女 ― 巨大雪だるま ― の弱点は首。そこを斬って、陽の光にさらしてしまえば、一巻の終わりだ。だが、果敢に巨体の首元に流星刀を振るうも途中で刃が止まってしまうのだ。
二進も三進も行かない。おまけに、上の方からはおかしな声まで響いてくる。
”いいね♡” ”いいね♡”
「その声を止めろ、気が散るっ。俺の邪魔をするんじゃねぇっ」
*
片や、近衛兵たちと一旦、退却し、丘を少し下った場所から上の様子を伺っていた百合香は、
「マウザーっ、その雪だるまが暴れ出さないうちに、そこから離れてーっ。それっ、絶対に危ないんだからーっ」
その時だった。
「は、馬鹿なことを。あの方が、危ないからって、戦いの場から逃げるとでも思ってるの」
きょとんと目を瞬かせて、百合香は隣りに目を向ける。すると、パープルグレーのゴシックドレスを身にまとった美女が、上目線でこちらを見返してきた。
青白磁のような透き通った肌と、グレーサファイアを思わせる輝く瞳。上品さと可憐さを同時に持ち合わせたドレス姿はスレンダーで落ち着きがあり、とっても大人っぽい。
にわかに、互いに傷付いた時、灰色猫と手を手を取り合って、恋愛劇めいた場面を演じていたあの美人を思い出す。
「まさか、ベルベットなの? マウザーのマントが、こんな場所で何してんのよ」
ベルベットの姿を見た近衛兵たちが、”絶世の美人だ……”と、嬉しそうに囁き合っているのも、百合香のムカつきのツボを押しまくった。
確かに魔法の力は持っているけれども、この子の正体は、ただの”布地”なんだからね。マウザーといい、近衛兵たちといい、そこんとこ、何か、勘違いしてない?
魔法のマントはつんと澄まし顔をして言った。
「我が主の命令がなかったら、あんたみたいな馬鹿娘は放っておいたのに……正直言って、私は、愛するあの方のお傍を一瞬たりとも、離れたくはなかった」
「あ、愛する……って、あのー、それ、マウザーのこと?」
ちょっと、ちょっと、臆面もなく、マントごときが、”愛する”なんて言葉を使って、告白?
百合香は焦った。たとえ、マントであったとしても、自分の知らぬところで、あの小柄な魔法使いにそんな思いを抱く者がいたなんて。そして、その後のベルベットの言葉は、百合香をさらに驚かせた。
「いいえ、違うわ。私が愛しているのは、この世の中で最高の大魔法使いの灰色猫。私は、本懐を遂げて、壊れていったリンナイが羨ましい。私も傍にいて、リンナイのように、あの方を命をかけてお守りしたかった」
「えっ、リンナイが壊れたって?」
……まさか、これじゃ?
丘に落ちていたホーロー材の残骸の中から拾って、胸元に入れていた【RINNAI】の文字板。
ベルベットにそれを差し出そうとした時、
― グレイ・マウザー、あいつは、自分は最高の魔法使いだと、大口を叩いているくせに……何をぐずぐずと手間取ってやがる。結局のところはポンコツか ―
頭上から響いてきた声と激しい鳥の羽ばたきに、百合香は驚き、慌てて空に目を向けるのだった。




