12. 俺は天才級の魔法使い
「マウザーっ、 立ちションなんて小学生にも劣る所業よっ、し・か・も、敵の目の前で! そ・れ・も、戦闘中に!」
背中越しに聞こえる百合香の声を知らぬ顔で受け流し、灰色猫はチュニックシャツの裾をわざとらしく、めくったりする。
「あ~、ダメだあ。もう、漏れそう~」
さすがに、これには、白魔女も黙りを決め込むわけにはゆかなかった。
「は、灰色猫っ、我の神聖な氷壁のドームに、かような穢れを放出するなど、下衆の極み! そんな真似をすれば、お前に”吹雪”と”雪崩”と”落雪”に閉ざされる身も凍るような極刑が下るぞっ」
激昂した白魔女の声が大きくなるにつれ、籠っている氷のドームの壁の厚みが薄くなる。
そうそう、もっと、怒れ。怒って貯めた力を失ってしまえ、灰色猫がにやりと笑う。
「”吹雪”と”雪崩”と”落雪”に閉ざされる身も凍るような極刑? くすっ、勿体つけやがって。それって、結局は同じことを言ってるだけじゃん。”雪に埋めてやる”で事足りるんじゃね? お前さ、もっと、簡潔な言葉を使えよ。それに、この雪降る国じゃ、そんなの今更、怖くもないし」
「ううっ、その不遜な口を閉じないと、お前にもお前の仲間にも、恐るべき苦難がもたらされるぞ!」
「はっ、それは、底辺の魔女や占い師が、脅しに使う套常句だ」
「くっ、お前の愛する者には最大の災いを……」
「おお、人にとっての最大の弱みをついてきたか。だが、及第点にはほど遠い。せめて”骨の髄まで呪う”とか、”髪の先まで凍りつかせる”ってなフレーズを入れないと、具体性に欠ける」
「ええいっ、イラつく奴めっ」
ついに白魔女の我慢が限界を通り過ぎてしまった。その証拠に、固く体の周囲を守っていた氷のドームの壁が見る見るうちに溶けてゆく。白濁し、中を見通せなかった氷の内側に、わなわなと憤る白い姿が現れる。つり上がった眉の下で、白魔女が黒魔女から借りた両の赤目が、ぎらりと嫌な光を放った。
邪心を穿つ灰色猫の漆黒の視線と、毒気まみれの赤目の視線が交わる。その瞬間、白魔女を覆っていた氷の壁がどろりと溶けた。
「今だ、ミラージュっ、白魔女の袖をぶった斬れっ」
「了解だっ、灰色猫っ!」
その瞬間、氷のドームの後ろに控えていたミラージュが跳躍した。白魔女の背後からベルスリープの右袖に向けて、袈裟懸けに流星刀を振り下ろす。
「イアアアアアアッッ」
振り抜くだけで、胴体から斬り放された白魔女の右腕がするりと宙を舞った。氷柱のフリルで固く強化されているにもかかわらずだ。さすがは大魔法使いの至極の剣と、ミラージュはその斬れ味に心躍らす。
『よく聞け、ミラージュ。流星の欠片で鍛えられた流星刀を以てしても、白魔女の凍りついた体を一刀両断にすることはできない。だが、白魔女の放つ吹雪は、すべてドレスの袖から吹き出している。だから、あのクソ女の両腕を斬ってしまえ、スパッとな。そしたら、白魔女の攻撃力はないも同じだ』
灰色猫に、耳打ちされた言葉が、ミラージュの脳裏に蘇る。
「よしっ、次は左腕をもらうっ」
しかし、そうは上手くはゆかなかった。
「おのれ、ミラージュっ、この裏切り者めがあっ」
左のベルスリープの袖口から、ミラージュに向け放たれた氷柱の弾丸。
「ぐああっ!!」
それは、彼の胸元を真っすぐに貫いた。
「ああっ、ミラージュがっ!!」
「隊長ーっ」
灰色猫の後ろで、様子を見守っていた百合香と近衛兵たちが絶叫する。……が、彼ら自身にも猛吹雪の脅威が襲いかかってきたのだ。
怒り心頭の白魔女は腕をぐるぐると回しながら、辺り構わず氷点下の突風を吹き散らす。しかも、低温火傷を引き起こすドライアイスの弾丸までを混ぜ合わせて。
地吹雪が辺りに巻き上がり、ホワイトアウトの危険な空間が、北の丘に広がってゆく。
灰色猫は後ろに向かって声を張り上げる。
「全員、息を止めて伏せろっ、あの吹雪に巻かれると、ドライアイスの毒素と低温火傷で、あの世行きになっちまうぞ!」
「マウザーっ、無理っ、息を止めてたら、それだけで窒息死!」
「ちょっとの間くらいで死ぬかよっ、うだうだ言ってねぇで、俺の言う事を聞けっ」
「でもっ、ミラージュが……」
「あいつは、なるようになるっ」
灰色猫は、慌てふためいている百合香をどんと後ろに突き飛ばすと、狙いすます敵を指さして声を荒らげた。
「Squall!(突風)」
ホワイトアウトの白で塗りつぶされ、方向感覚も距離感も掴むことができなかった北の丘。その不可視の視界が、灰色猫の呪文がおこした風に払われ、一瞬にして大きく開けた。
「俺ってやっぱり天才級の魔法使いだな」
小柄な大魔法使いは、どうだと言わんばかりに、雪景色に向かって自画自賛した。




