11.俺の魔法書に正々堂々という言葉はない
白魔女が作った氷のドームは、分厚く白濁し、白魔女の姿は外からはよく見えない。
半円形のドームの屋根に反射した夕日が、オレンジから銀に色を変えていた。空が薄暮に逆らうように明るさを取り戻してゆく。それを見上げたミラージュの心に、一縷の不安がよぎった。
……変だ。あの夕日は、一向に沈む気配を見せない。いや、沈むどころか、太陽は輝きを増して再び天中に昇ろうとしている。
時が真昼に戻っている? 逢魔が時を嫌って……。
くそっ、魔法の国は壊れ始めている。この先、俺たちにできることなどあるのか。
だが、ミラージュは、頭を横に強く振った。ここで負けるわけにはゆかないと。
「 長槍兵っ、前進! 集中打撃で真正面から氷のドームを壊せ! バッシュフルとグランピーは、火矢に火薬をこめて次の攻撃に備えろ!」
……が、
「ミラージュっ、ここは退くんだ! 白魔女は、守るフリをして力を貯めてるだけだっ、下手に近づくと、全員、氷漬けにされるぞ!!」
その声がした方向を見ると、灰汁色のマントをたなびかせた魔法使いが、息せき切って駆けてくる。
「灰色猫?! 」
苦苦しいような、安堵のような、笑いたいような、不思議な気持ちが腹の底から湧き上がってくる。あの小柄な魔法使いは、ひどく面倒臭い。けれども、居てくれると何にも増して心強い。それでも、ミラージュは感情を押し殺した声で言う。
「お前、元のサイズに戻れたのか」
「……まあな」
「ふぅん、元に戻っても、相変わらず、貧弱な背丈だな」
「うるさい、放っとけ! それより、近衛兵たちを後ろに退げろ。馬鹿の一つ覚えみたいに真正面から攻撃するのは、時間と労力の無駄だ」
「貴様っ、魔法大皇帝から賜った俺の部下を愚弄する気か」
一瞬、睨み合う二人。だが、
「ふん、ここでやりやってても仕方ない。灰色猫よ、それは、他に策があるということか」
「ご立派な近衛兵長さんと違って、正々堂々なんて言葉は、俺の魔法書にはねぇから。要は、敵が力のゲージが満タンになる前に叩いてしまえってことだろ」
狡猾な笑みを浮かべて、灰色猫はちょっと耳をかせと、長身の近衛兵長を屈ませて囁きかける。その時、
「マウザー、ミラージュっ、喧嘩は駄目ぇええ!」
コロコロと転がるようなかん高い声が、響いてきたのだ。
「ああ、元気なお姫さまのお出ましだ」
ドレスの裾をたくし上げながら、丘を駆けてくる百合香を見て、ミラージュが目を細める。灰色猫といえば、こんな戦場にまで乱入してきやがってと、眉をしかめてしまっている。
「よし。お前の策に乗ってやろうじゃないか。あの姫を娶るのにふさわしいのは、俺かお前か、決めるのはその後だ」
「ミラージュっ、てめぇは妻が12人もいるんだろうが。それでも、足りないっていうのかよっ」
「13人目は特別枠だ」
「嫁は一人でいいんだよっ」
灰色猫の言葉を耳にしたとたんに、百合香は顔を赤くして、立ち止まってしまった。……が、
「あれっ、ここ、キラキラ光ってる」
百合香は雪原に散らばった白色の欠片をいくつも見つけてしまったのだ。その中に混ざり込んでいた金板に黒い文字のネームプレート。拾い上げると、そこには【RINNAI】と刻み込まれている。
それらは灰色猫をかばって砕けてしまった魔法のバスタブの残骸。
けれども、百合香がその悲劇に気付く前に、近衛兵長ミラージュの凛とした声が響いてきた。
「姫っ、それ以上は前に進むな! ここは俺と灰色猫に任せて後ろへ退がれっ! 近衛兵もだっ! 」
ミラージュは、颯爽とした仕草で腰の鞘から長剣を引き抜くと、最大の好敵手であり、一時的な共闘者である灰色猫と目と目を交わす。だが、いきなり、彼に剣を握った腕を掴まれてしまった。
「その見掛け倒しの剣じゃ、白魔女を斬るなんてできっこないぞ。俺の流星刀を貸してやるっ、持ってけ」
差し出された剣は、究極までに研ぎ澄まされ、星座の輝きを放つ至極の剣。
「いや……その剣は俺には合わない。というか、貴様の剣を借りるなぞ誰ができるか!」
「そんな台詞はすべてが終わった後にしとけ。流星刀は大魔法使い、灰色猫の剣。持っていて損はないぞ。その切っ先は、必ず、何らかの魔力的な奇跡を起こす」
「そんな魔力に頼るなど、俺は……」
だが、声に出そうとした言葉の続きをミラージュは、ぐっと喉の奥に飲み込む。意味のないプライドはもう捨てろ。今、頼るべきは、この男しかいないのだからと。
「分かった。ならば、残った仲間のことはお前に任せた! 俺たちの姫のことは、絶対に守れよ!」
流星刀を握りしめると、ミラージュは白魔女が籠城している氷のドームに向かって駆けていった。だが、真正面からくるりと身をひるがえして、ドームの裏側に姿を消した。
一方、灰色猫は、”俺たちの姫?”と、顔を強くしかめたが、自分自身は迷うことなく、氷のドームの真正面に向かって歩いていった。
後ろを振り返り、百合香と近衛兵たちが十分な距離をとって、逃げの体制を整えていることを確認する。良しと、頷き、拳でどんどんと厚ぼったい氷のドームを叩きながら、この世で最高の大魔法使いを自負する灰色猫は、中にいる白魔女に向かって声を荒らげた。
「こらあっ、隠れてないで出てこい白魔女! 俺は灰色猫だ! お前は俺を痛めつけたと思ってるだろうが、俺はすっかり元通りだぞ。けどな、お前がこの国をこんなに冷やして、氷のドームなんぞに籠もっちまったもんだから、俺はトイレに行きたくてたまらなくなってるんだ」
だから……と、ぺろりと舌で唇を舐めると、正々堂々なんてどこ吹く風の魔法使いは、ものすごく意地悪な声音で、こう言った。
「さっさと、出て来ないと、このドームに小便かけてやるんだからな」




