4.元の姿は……?
頬を紅潮させた少女が、えらくお冠の表情でこちらを睨みつけてくる。
誰だ? すると、 朦朧としていた灰色猫の意識の底から、その名がふわりと浮かび上がってきたのだ。
「ユリカ」
大魔法使いを名乗った時に、少女との思い出は記憶から消し去った。けれども、その名だけは覚えている。
……が、
「ふざけるな! お前のような、町娘が、この俺に命令するとは愚の極み。それに、俺の名は猫ではなく、灰色猫だ! 」
自分の言葉にちくりと胸を刺されながらも、残された左手の拳の中に凶器めいた光を増幅させてゆく。
その時、灰色猫の手を……彼のものとは違う別の手が制止したのだ。
「我が……主……いけ……ません」
はっと後ろに眼を向け、そちらに向き直る。
「ベルベットっ、お前、生きていたのか!」
今にも壊れてしまいそうな宝物に触れるように、恐る恐る、灰色猫は自分が傷つけてしまった乙女の頬に手を伸ばした。
「許してくれ、ベルベット! お前をこんな血まみれにしてしまったのに、魔法の国を取り戻すどころか、俺は白魔女の息の根さえも止めることが出来てないんだよ。俺を庇って砕けてしまったリンナイにだって、このままじゃ、顔向けもできない!」
「いいえ、我が主……あなたのためなら、わたしは……」
見つめ合い、とても盛り上がっている二人。
事情を知らない百合香は完全に蚊帳の外だ。
どういう展開、これ? 戦争ロマンス映画 (そんなものがあったら……だが)の中の感動の1シーンみたいに。しかも、あの美人ってベルベットなの? あれは、元々はマウザーのマントなのよ。それを相手に、あいつは何で恋愛劇みたいのをやってんの?
ヒロインの座をよりによって布地に奪われるなんて、百合香はムカつき焦った。ただ、マウザーの片腕は失われ、ベルベットはマジで死にそうなほどに傷ついている。
「あの……あのねっ、お取込み中なんですけどっ、二人ともボロボロだし、手当てしなきゃ。それに、さっさとしないと、白魔女がまた動き出しちゃうわよ。だから京ちゃんが言ってたみたいに、マウザーは元の姿に……」
だが、
「うるさい! 俺をマウザーと呼ぶのは止めろっ!」
灰色猫が百合香に向けて開いた手のひらから、鋭い光の刃が飛び出したのだ。
「あっ!」
その時、
「血迷ったか、灰色猫! か弱い姫にまで手に掛けようなどと! しかも、この姫は我が妻! 指一本でも触れれば、この私が許さんぞ!」
近衛兵長ミラージュが、寸でのところで、己の剣の一振りで灰色猫の光の刃を粉砕した。信頼していたマウザからの殺気にさらされた百合香は、ただ震えるばかりだった。
「我が妻? ……だって?」
「左様。つい先程、約束をとりつけた。彼女は俺の13番目の新妻だ!」
「……新妻?」
怯えた少女の瞳と、これ見よがしに彼女を抱き寄せた近衛兵長の自信満々の結婚宣言。灰色猫の心にぽっかりと穴が空いたような虚しさが吹き抜けてゆく。
13番目の妻? そんな順位でも、お前は……こいつの嫁になりたいのかよ。
”ユリカ”
ああ、何だか、もう気持ちが萎えてしまった。
ミラージュの後ろで、ぶんぶんと、首を横に振っている百合香。だが、灰色猫は空に目を向けた。
幾重にも重なった薄暗い雪雲が、風に吹かれては、また新たに現れる。
色褪せた古い絵日記のページをめくるみたいな雲。すると、頭の中に、この魔法の国よりも……もっと昔の自分の姿が、突然、浮かび上がってきたのだ。……そう、あの空の上にあった図書館の地下の段ボール箱の中……
俺はその中にいたんだ。
”助かりたければ、さっさと元の姿に戻れよ”
分かったよ。俺は所詮は、お前……魔法大皇帝こと相良京志郎に作られたフィギュアにすぎないんだよな。
灰色猫は、哀しげな瞳を少女に向けると、その足元の雪で埋まった場所を指さして言った。
「お前、俺の右腕、踏んでるし。それ、ちゃんと掘り起こして、拾っといてくれよな」
その直後に、灰色猫の姿は百合香の前から忽然と消えてしまった。いや、そうではなくて……
「マウザーっ、元の姿に戻れっていっても、戻りすぎよーっ。こんなに小さいお人形になるなんて、そんなのダメえぇ!!」
百合香は、雪原に落ちた灰色のフィギュアを拾い上げ、がくんと膝を落として座り込んでしまった。
近衛兵長ミラージュは、涙目の百合香に小さく微笑むと、その頭をぽんぽんと手で軽くたたいた。それから、丘の頂上に散らばったフィギュアをかき集めている部下たちに指示を出した。
「グランピー、ハッシュフル、スヌージー、仕事は終わったか! ならば、皇宮の皇帝陛下の元へ戻るぞ! 急げ、今、固まっている白魔女が息を吹き返さないうちに!」
三人の部下たちが、フィギュアを収納した袋を抱えて、あたふたと皇宮へ駆けてゆく。灰色猫のフィギュアを握りしめたままの百合香は、まだ、現実が捉えきれず唖然としたままだ。
ミラージュがそんな少女の腕をぐいと引く。
「姫も早く! ああ、それと……」
苦い笑いを浮かべて、彼女が座りこんでいるお尻あたりを指差して、ミラージュは言った。
「そこに埋まっている、灰色猫の腕のパーツも、ちゃんと掘り出しておこうか」と。
 




