12.誰が支配者か
太陽が南西に傾き、雪原に落ちた皇宮の塔の影が針のように長くなる。
もともと、皇宮には二つの塔があった。だが、そのうちの一つは灰色猫が呼びこんだ流星と、京志郎の手はたきによって壊され、塔の影は、今は一つしか見ることができない。
美しい魔法の国を一望できる北の丘。だが、そこから見える城下町は、白魔女が落とした雷の炎と、超低温の氷に焼かれ、南の森にあった白薔薇の城も崩壊した。
京志郎が精巧に英国の中世の世界を再現したお伽の国は、廃墟寸前にまで成りを変えてしまっている。
「おのれ、灰色猫! 両目が潰れて見ることはできぬが、風下から流れてくるこの血の香り……分かるぞ。お前も深手を負っているのだろう。ふふ、我を見くびったことを今になって悔やんでも遅い。 あの小癪な声の主に『滅びの歌』は封印されても、我にはそれに次ぐ秘策の呪文がある!」
― 滅びの歌 ―
灰色猫はその名前を聞くだけでも恐ろしいと思った。
傷ついた右肩を押さえ、雪原に倒れたまま、痛みと奮えで顔を強くしかめる。魔法の国の生きとし生ける者と物をすべて消し去る暗黒の呪文。それを口ずさむことは、即ち、すべての死を意味する。
だが、それに次ぐ秘策の呪文とは?
「くそぉっ! させるかっ。俺は、じいちゃ……いや、初代グレイ・マウザーの夢を全部引き継いでるんだ。この国は俺がもらうっ。白魔女ごときに好き勝手されてたまるかっ!」
「笑止! あの魔法大皇帝の名を騙る少年を始末して、この国を支配するのは私だ。お前たちのような小童が大きな口をきくんじゃないよ!」
白魔女が引きつった声をあげた瞬間、雷鳴が轟き、灰色猫の真上に閃光が落ちてきた。
「あっ……!
「我が主っ! 危ないっ!」
寸でのところで、彼の上に覆いかぶさった魔法のマント。灰色の襞から幾重にも溢れ出た魔力の波が、強力な防壁になって、主を守り、落雷の衝撃を辺りに吹き飛ばす。
「大丈夫です。私に流れ込む貴方からの魔力は、まだ萎えてはいない。私は信じています。貴方こそが、この国を統べる真の支配者! 大魔法使い、灰色猫は必ず白魔女に勝つことができる!」
頬に感じた柔らかな感触と、それに反した力強く凛とした声。
灰色猫は一瞬、呆気にとられたように、自分の顔を覗き込んできたベルベットの顔に目を向けた。青白く透き通る肌、ほとんど色はないが水晶のように清らに澄んだ瞳。ほっそりとした顎の上で、薄い唇が強い意思を伝えるように小刻みに奮えている。
― 私たちには魔法の力など露ほどもありません。これは、すべて、貴方からこぼれ出た魔法の力がなせる技なのです ―
灰色猫は、以前のベルベットの言葉を思い出し、少し首を傾げた。
その魔法のマントは、彼が使う魔法のエフェクトにすぎず、その励ましの言葉は、自分で自分を鼓舞しているだけのもの……のはずだった。けれども、ベルベットには魔法とはまた別の……とても柔らかな生命の力が働いているような……そんな気がしたのだ。
「……前は紗がかかってて、姿がよく見えなかったけど……」
戦闘中の魔法使いは、少し笑って言った。
「ベルベット、お前って……すっごい美人だったんだな」
* * *
京志郎、ミラージュ、百合香、パッシュフル、グランピーが防空壕の流し台からのトンネルを抜けた先は、北の丘に建つ皇宮の地下 ― 近衛兵長ミラージュの部屋のクローゼットの中だった。
クローゼットを蹴破って部屋に出た時、百合香の目に最初に飛び込んできたのは、机の上に置かれていたあの写真立てだった。ぷぅと頬を膨らませたが、その中の写真が、ミラージュの母と子ども時代の彼だと、勘違いしていたのは百合香の方だったのだ。
この部屋でミラージュと、深~い仲になるかもしれなかったことを思うと、今だに焦ってしまう。とはいえ、まだ、百合香は13番目の妻の座を辞したわけではなかったのだが。
「ミラージュっ、これ、大切な奥さんと子どもの写真なんでしょ。こんなとこに置いてないで、ちゃんと持ってなきゃ、焼けてなくなっちゃうわよ」
ミラージュの腕をぐいと引っ張ると、彼の上着のポケットに、百合香は写真立てを押し込む。ふっと微笑んだ近衛兵長と目と目を交わした時、どきりと胸が高鳴った。 だが、百合香は無言で京志郎の後を追って、地上に出る階段を駆け上がっていった。
そのとたんに、彼らの視界に飛び込んできたのは、白魔女 vs 灰色猫の血で血を洗うような熾烈な光景だった。
一方、魔法大皇帝たる相良京志郎は、作業袋を探り、そこに見つけたオペラグラスを取り出すと、北の丘に焦点を合わせた。
「うわぁ、灰色猫ぉ、もうボロボロじゃん! 白魔女はヤケクソ気味に叫んでるし……これは何とかしてやらないと本当にヤバい!」




