4.北へ向かう魔法使い
小柄な魔法使いが、百合香との過去を忘れ、大魔法使い、灰色猫を名乗ろうとしていた、ちょうどその時、城門の外では、近衛兵長ミラージュにがっちりと抱きしめられた百合香が、大混乱に陥っていた。
心臓が咽喉から飛び出しそうに鼓動を打っている。イケメンの剣士からの熱い抱擁。私は前からこんなシチュエーションを夢見てた。でも……
「京ちゃん、あんたは曲りなりにもこの国の製作者でしょ。なら、そこでガン見してないで、この状況をどうにかしてよ!」
「はあ? 人目も憚らず、推しのイケメンと上手くやってる姉ちゃんが、それを言うか」
「あーっ、無責任発言!」
「僕が責任を持つのは、ジオラマの製作だけだから」
つんとすまし顔でそっぽを向く京志郎。その時、ミラージュが慌てて京志郎の足元にひれ伏したのだ。
「何とっ、この姫は、皇帝陛下の姉君であらせられたか。だが、それならば話が早い。どうか、姫を私の嫁に! この近衛兵長ミラージュ、全身全霊で一生涯、姉君を守り通しますゆえ!」
「え、姉ちゃんをミラージュの嫁にって? 」
さすがの京志郎もこの申し出には焦った。自分が作ったフィギュアに姉を嫁に出す弟……そんなことになれば、僕の義兄は自分の作ったフィギュアってことになって……。これって、カオスも度を過ぎてるぞと。
京志郎があれやこれやと悩んでいると、城下町の方向から激しく舞い上がる雪煙が見えた。騎乗したミラージュの部下の近衛兵たちが、こちらに向かって駆けてくる。
京志郎が、氷柱の素材から元の姿へ蘇らせてやったバッシュフル、スニージー、そして、ドービーにグランピーがその先頭にいた。
「近衛兵長ミラージュっ! ここにいたのかっ。皇宮を壊された白魔女が荒ぶって、城下町におかしな雪が降りはじめてる。女とよろしくやってる場合じゃないぞ」
「おかしな雪?」
「触れると即座に火傷する。危険なんで住民たちはみんな家の中に避難させたが、あの雪は積もった端から霧の毒になる」
火傷する雪? 霧の毒? 白魔女が今度は雪に呪いでもかけたか。
ミラージュは眉をしかめたが、傍にいた京志郎が物知り顔で言った。
「その白魔女が降らせた雪って、ドライアイスだろ。ドライアイスは二酸化炭素を超低温で冷やした氷だ。触れると皮膚が爛れるのは、火傷じゃなくって凍傷だよ。昇華して溜まった気体は有害だから吸わない方がいいぞ」
「ん、誰だ? ドライアイス? おかしなことを言う小僧だな 」
「小僧って言うな! 僕の名前は相良京志郎だ。人を小僧呼ばわりするなら、お前らもドライアイスくらいは知ってろよ。小学生向きの『遊遊サイエンス』にだって書いてある話だぞっ」
ちぇっ、こんな時にあの敏い魔法使いが、ここにいたら、あれやこれやと、対白魔女への策を一緒に講じることができただろうに。あいつは、拗ねて白薔薇城の中へ隠れちまったし。
ふくれっ面の少年を、胡散臭げな眼差しで睨みつける近衛兵たち。すると、血相を変えたミラージュが、声を荒らげた。
「お前たち、頭が高い。控えろ! この方をどなたと心得る。恐れ多くもこの国の創造者であり、真の支配者、魔法大皇帝陛下にあらせられるぞ!」
「ん? 魔法大皇帝? ええっ! この小僧……いや、この方が!?」
「んんっと……まあ、そういうことだから、口には気をつけてね」
「ははっー」
ひれ伏した近衛兵たちの姿に満足はしたものの、京志郎は、TVでお馴染みの時代劇の定番のようなミラージュの台詞に、少しばかりの恥ずかしさを感じてしまった。
「皇帝陛下、いがかなされた? もしや、お寒いのでは?」
忠臣ぶりも板についてきたミラージュは、すぐさま軍服の上着を脱ぐと、手慣れた仕草で(数多の女性にそうしているように)京志郎に自分の上着をそっと羽織らせる。一時、目を目を交わしたイケメンの近衛兵長と、顔を赤らめたお顔のいい少年のそこはかとなく、危険な香りの1シーン。
だが、
うわぁ、辞めてくれよ。腐った姉ちゃんの目の保養にされるのだけは、僕は絶対に嫌だ。
京志郎がおそるおそる百合香の方に視線を向けた時、北の空から鈍い音が響いてきたのだ。ごろごろと巨大な猫が空を舐めるような不快な響きが、徐々にこちらの空へ近づいてくる。
灰色の空に、突然、走った銀の光。その直後、耳をつんざく大轟音が響き渡った。
「ああっ、白薔薇城がっ!!」
見る見るうちに炎上し、崩れてゆく魔法の城。いけない、あの城の中にはマウザーがいる。だが、百合香に視線を向けた時、京志郎は姉の瞳の中にただならぬ困惑の色を見つけてしまったのだ。
巨大な白鹿に乗った灰色猫が、こちらに駆けてくる。
北へ、白魔女の根城に向かって。
ただ、結わえもせずに、灰色のマントのフードからなびく長い髪は闇のような漆黒。
何よりも、横を通り過ぎた時に百合香に向けられた瞳は、冷たく輝き、鋭利な刃物めいていて……
以前に知っている小柄の魔法使いとは、まるで違ってしまっていたのだ。




