5.我が名は猫(マウザー)
「あの図書館の中では、魔法大皇帝はただの少年。行け、ミラージュ! 今があやつを殺るチャンスじゃ」
残酷な笑みを浮かべる白魔女。
ミラージュは跪き畏まる様子を見せながらも、胸の中で舌打ちした。
魔法大皇帝の正体がどうであろうと、その存在を消してしまえば、この魔法の国はこの女の手に落ちるだけだ。灰色猫が滅した今、魔法大皇帝の復権だけが、この国を取り戻す最後の望み。部下たちは氷柱の塔に変えられて生きて戻れぬ姿になったが、残った住民たちのためにも、ここは俺が……
「陛下」
ミラージュは立ち上がると白魔女に歩み寄って、その手をとった。
「私はお慕い申し上げている貴方様をここに残して、持ち場を離れる気持ちは毛頭ございません」
持ち前の美形の顔と声を最大に生かして愛の言葉を上塗りする。そして、白魔女の腰に手を回し、ミラージュは自分の傍へぐいと引き寄せた。しなだれかかってきた体を支えながら、もう一方の手で護身用の短剣を握り、その背中に狙いをつける。
……が、握りしめた短剣がからんと下へ落ちたのだ。同時に、ミラージュの体が突然、収縮しだした。
くそっ、やられた。雪だるまの次はこの姿か!
背中に生えた翼を大きく羽ばたかせる。
頭から肩までが白く、褐色の体の大鷲に变化させられたミラージュに、拒絶の選択肢は残されていなかった。
逆らえない。この魔女には……
有無を言わさぬ魔力に急かされ、天上に飛び立っていった大鷲を氷柱の塔の窓から見上げて、白魔女は笑う。
「ふん、あんな色事師の言葉に我が誘惑されるとでも思っているのか。近衛兵長ミラージュを溺愛していた黒魔女は、愛人の本心を知った時点で力を失った。だから、我の中に取り込んできれいさっぱり消し去ってやったわ。後は、あんな男は利用するだけ利用して叩き殺してやるだけよ」
そして、傍の柱に吊るされていた鳥籠の扉を開いた。
「ナイチンゲール、さっさと、あの大鷲を魔法大皇帝の元へ導いてやれ。ぐずぐずと遊び気分でいると、ここで首を捩じ切ってしまうぞ」
残忍な脅し文句に、ぶるりと怯えたナイチンゲールは、チチチッと囀り、大慌てで空へ舞い上がってゆくのだった。
* * *
姉とシーディがじゃれ合う(ように見える)様子を見せつけられた京志郎は、怒り心頭でトンカチを振り下ろした。
「誰がどうなったって構うもんか。こんな理由の分からない国なんて、木っ端微塵にぶっ壊して、ゴミ箱の中に捨ててやるっ!」
「京ちゃんっ、止めてぇっ! でかいトンカチの一振りがここの国じゃ大災害っ!」
「ラップ調で言うの、イラつくから止めろ! しかも規則だってないしっ。そんなの姉ちゃんの友だちの猫が、魔法の力でどうにかしてくれるだろっ」
百合香たちのいる魔法の国は、元を正せば京志郎が作った1/150スケールのジオラマだ。魔法の国側から見上げた京志郎は、実寸の150倍の巨人というわけで、その口から発せられる声まででかく、怪獣映画そこのけの大響音だ。
京志郎は巨大トンカチを持って身を乗り出してくる。
だが、先程から眺めているだけのシーディは、灰色翼の白鹿の背に身を任せたまま、じっと黙ったままだ。
灰色猫を名乗るなんて、俺にとっては身の程知らずだ。けど、猫くらいなら……。
「ベルリンっ。迂回っ! 京志郎の下を離れて、城下町の上に行けっ!」
その声と同時に、突然、斜めに傾いた”機体”にバランスを崩された百合香は慌てて、シーディの背中にしがみついた。
「何、何っ、怖いっ。シーディっ、突如、移動なんて、予測不可能!」
「ユリカ、お前、混乱してんの? さっきから話し方が変だぞ。 いいか、よく聞け。俺の名前は今日から、猫だ!」
「猫?」
「そう。俺の名前は、”取るに足らない者”ではなく、マウザーだ! 」
その宣言の後に、彼の脳裏に鮮明に湧き上がってきた”『ナイチンゲールと紅の薔薇』の魔法の呪文”
― My roses are white. as white as the form of the sea, and whiter than the snow of the mountain ―
(私の薔薇は白い薔薇。その白は海の水面の泡沫のごとく深く、山の頂の雪より厚い)
一方、京志郎は、
「また、二人でごちゃごちゃと、内緒話か!? くそっ、目に物見せてやるっ!」
怒りの沸点に到達してしまった京志郎のトンカチが、ついに城下町の家々の上へ振り下ろされた。その瞬間に、マウザーと改名した魔法使いは、高らかな声をあげた。
「 Form of the Sea《海の泡》! Snow of the Mountain《山頂の雪》! この地を彩れ白き薔薇。純白の防壁をここに築け!」
その刹那に、眼下に広がった真っ白な空間。
百合香は吹く風に乗って立ち上ってきた、大量の白い花びらに目を瞬かせた。




