4.交渉決裂
「痛あっ、指を刺されたっ。くそっ、癪に障るっ」
京志郎の苛立ちは最高潮に達していた。
目の前にあるのは、自分自身が作ったジオラマの国。
それなのに、不意に北の丘に現れた氷柱の塔は京志郎の手に、敵意向き出しで鋭い切っ先を向けてくる。
当然といえば、当然のことだった。この塔の素材は、皇宮を死守するために配備された雪だるま兵たちなのだから。
……が、もとを正せば、彼らは京志郎がジオラマの中でミニチュアゲームを楽しむために製作したフィギュアではないか。
くそっ、このジオラマの国は僕のモノなのに、勝手に誰かに作り変えられて、壊すこともできないなんて!
京志郎は、怒りを止めることができない。
そして、むくむくと大きくなる破壊の衝動。
「こうなったら、城は後回しにして壊せる所から順番に叩き潰してやるっ!」
京志郎が城下町の方へ手を伸ばそうとした時、
「京ちゃあああんっ、暴力はダメぇええっ!」
不意に、顎の下から聞き覚えのある声が響いてきたのだ。京志郎がぎろりと瞳を下に動かすと、5cmほどの灰色の翼を持った白い動物が視界に入ってきた。
よく見てみると、その上には、小さな二人が、ぴったりとくっついて乗っている。
「は? グレイ・マウザー? ……で、後ろに乗ってんのって……姉ちゃんか! でも、そのちんまいサイズは何なんだよ! まさか、グレイ・マウザーに魔法をかけられて、言いなりにされてんのか」
「違うっ、言いなりになんて……シーディはそんなことしないわっ」
「分かるもんか! そいつは、僕の目を盗んで、ジオラマの国を乗っ取ろうとしてる奴かもしれないんだからな。だいたいな、姉ちゃんも悪いんだ。お姫様とか、変なコスプレにかまけてるから、おかしな世界に引きこれまちまうんだ」
「あーっ、よくもそんなことを。京志郎だって、学校、サボって、お城のジオラマにかまけてばかりいるくせにっ!」
「はぁっ、よく言うよ。僕のジオラマはちゃんと世間に認められてるし。姉ちゃんのコスプレみたく、自己満足だけじゃないし」
「自己満足で何が悪いっ!」
「話を歪曲するなよっ。悪いなんて、僕は一言も言ってないじゃないか!」
「言ってんのと同じじゃないのよっ」
背中の後ろで、弟との口喧嘩をヒートアップしてゆく姉。
背中越しに百合香の甲高い声を耳にしながら、シーディは、まずいと顔をしかめた。
おいおい、姉弟喧嘩してる場合じゃねぇだろ。この場は姉のユリカに交渉してもらった方が丸く収まるだろうと思ってたけど、これじゃ逆効果だ。
仕方なく、ベルベットとリンナイが合体した灰色翼の白鹿に仮の名前を付けると、
「ベルリンっ、上昇!」
シーディは、京志郎の目の位置までベルリンを飛ばして、二人の会話に割って入った。
「京志郎っ、これだけは言っとく。俺は悪い魔法使いじゃないし、ユリカを魔法で操ったりもしない。それに、お前が自分が作った国を好き勝手に変えられるを嫌うのも分かる。ただ、俺たちが今、生きているのは、この国なんだ。だから、僕らの国が壊されるのを黙って見てるわけにはゆかないっ!」
僕らの国ぃ?
その一言が余計に京志郎のムカつきのツボを押してしまったのだ。
「姉ちゃん、そいつはやっぱり二枚舌の似非魔法使いだ。灰色猫じゃなくって、ただの猫だよ。そんな奴と一緒にいないで、さっさとこちらの世界へ帰って来い」
ん? ただの猫……。おお、そのくらいが俺には、灰色猫を名乗るよりプレッシャーがなくていいんだけど。
だが、シーディがほっと息を吐いたと同時に、姉を取り戻そうとした京志郎が、ベルリンに手を伸ばしてきた。
魔法の動物は俊敏で、彼の指の間をするする抜けて飛び回る。ただでさえ、苛つく場面なのに、その後の百合香とシーディのリアクションが、事態を余計に悪くさせた。
「ひやぁぁっ、怖いぃぃ、シーディっ」
「ユリカっ、何してんだよ。だから、しっかり、捕まってろって言ってんのに」
「ぎゅっ」
「あっ、ちょっ、ムネがっ」
百合香とシーディに悪意があるわけではない。彼らは京志郎の巨大な手から逃げているだけなのだ。けれども、京志郎からしてみれば、二人がいちゃついてる風にしか思えない。
「くそぉ、もう、姉ちゃんがどこにいたって、この国に誰が住んでいたって構うもんか。こんなジオラマは、建物もフィギュアも粉々に壊してやるっ。そして、燃えるゴミと燃えないゴミに分類して、ゴミの日に廃材として捨ててやるんだからなっ!」
そう言うと、京志郎は道具箱からトンカチを取り出して、城下町の上にそれを振り下ろした。
* * *
氷柱の塔では、白魔女が塔の中に呼び寄せた近衛兵長ミラージュに、新たな命令を下していた。
「ミラージュ、よくお聞き。あの魔法大皇帝の正体は、ただの少年にすぎぬ。だから、お前は、ここにいるナイチンゲールの後を追って、天上を抜けた場所にある、あやつの根城の図書館に行け」
「ナイチンゲールとは、陛下がお持ちになっているその鳥籠の中の鳥のことか。しかし、その後を追って天上の図書館へ行けとは? 俺にはさっぱり意味が分からないが……」
ふんと鼻を鳴らして白魔女は言う。
「ミラージュ、お前は四の五を言わずに、ナイチンゲールの後を追ってゆけばいいのだよ。そして……」
― あの少年を殺してこい ―
邪悪な微笑。
その残酷さにミラージュは、ぶるりと身を震わせた。




