1.黒魔女と京志郎
「ぎゃぁああああっ、飛ばされるぅううっ! 助けよっ、ミラージュっ、なぜ? なぜ、助けぬぅううっ!」
台風並みの強風に吹き上げられながらも、黒魔女は愛人のいる下界に懸命に手を伸ばした。ミラージュは魔法の国の錚々たる近衛兵の中でも最高峰といわれる騎士だ。当然、形振り構わず愛しい我を救いに来るはずだと。
……が、黒魔女は眉根をぴくりとつりあげた。天に乞うような悲壮な想いを下界から感じ取ってしまったからだ。
― どうか、どうか、そのまま、黒魔女を吹き飛ばしてくれ。二度とこちらへ戻って来れない遠い場所へ ―
「ミラージュ……あれほど愛でて、部下の連中にも散々便宜を図ってやったというのに……この外道! 恩知らず! きぃぃい、許すまじ、お前だけは許すまじ!」
可愛さあまって憎さ百倍とはこのことだ。黒魔女は、唇を歪めてぎりりと歯ぎしりした。その時、
チチチ、チチチ
一羽のナイチンゲールが天上へと舞い上がっていったのだ。
「待てっ、お前! 我の頭上を飛び越えるとは何たる不敬っ!」
今は羽ばたく小鳥にさえも怒りを感じる。黒魔女は、強風に吹かれるまま、ナイチンゲールの後を追った。
そして……
「……お前は誰じゃ!?」
行き着いた場所は、言わずもがなの図書館、地下1階。
目前に立つのは、眉目秀麗な顔を盛大にしかめた黒エプロン姿の少年。
「また、変な奴が来やがった。おい、いい加減にしてくれよ! 僕が作ったジオラマの国は、僕の物! お前らパーツが好き勝手に変えていい世界じゃない!」
フローリングの床から背伸びをして、辺りを見渡した黒魔女は、 図書館の地下に広がる広大なジオラマの国と、どこかで見たことのある少年の顔の記憶を頭の中で反芻する。
ジオラマの国……? だが、この小さな街は、我らの魔法の国とそっくりじゃ。それに、この少年の顔は、 魔法の国の空に見た巨大な顔と瓜二つ……。
”僕が作ったジオラマの国。この国は僕の物”
まさか、この小僧が? だが、こいつは魔法の力は露ほども持ち合わせていない……。
それでも、黒魔女は気づいてしまう。
魔法の国の真の支配者の正体に。
― 魔法大皇帝 ―
魔法の国の生きとし生ける全ての者たちの畏怖の象徴だったその存在が、”頭とお顔は抜群に良いけれど、”何の魔力も持たない、ただのジオラマの製作者、
― 相良京志郎 ―
なのだという絡繰りに。
* *
「痛いっ、いきなり、何すんだよっ」
「お黙りっ! どうやらこの場では、我も魔法が使えぬようじゃが、これは魔法大皇帝を抹殺できる最大の好機。逃してなるものか!」
京志郎は血が滲む右腕を抑えながら、長い爪をこちらに向けて襲ってくるゴスロリ幼女を睨みつけた。
頭につけたデカすぎる紫のリボン。群れた黒蛇のような髪、紫の唇、凶器と化した長い爪。図書館の中に現れたかと思うと、突然、襲い掛かってくるなんて、前に来たシーディとは違って、危険この上ない奴としか思えない。それでも、こんなちんちくりんなガキに負けるもんか。
「そんな攻撃で僕を抹殺できるなんて思うなよ!」
通常は冷静な京志郎だって、理不尽が続くとブチ切れる。
「くそっ、返り討ちにしてやるっ」
「あっ、止すのじゃ!」
「宣戦布告してきたのは、そっちが先だろっ!」
京志郎に髪をひっつかまれ、腕をねじりあげられる。黒魔女は、ぐぅぅと白目を向いて身動きが全くできなくなってしまった。だが、ちらりと、耳元に見える京志郎の丹精な横顔を横目見ると、ずるりと舌なめずりをして呟いた。
「おお……美味しそうな少年……」
「……」
気色悪くて胸が悪くなりそうだ。京志郎は強引にゴスロリ幼女を自作のジオラマの横へ引きずってゆく。そして、その体をぐいと持ち上げた。
もう、ジオラマの国がどうなろうと構うもんか。京志郎は、黒魔女をジオラマの中へありったけの力で突き落とした。
「僕はもう我慢なんてしないから、ぶっ壊してやる。自分で自由にできない国なんて!」
その時、図書館の古時計の上にいたナイチンゲールが囀りだした。
” あちらとこちら
夜啼き鳥の道しるべ
嘘と、真実は
もう同じ”
そして、ナイチンゲールはジオラマの中へ飛び立っていったのだった。




