8.予想不可能な未来
シーディが、霧化した黒魔女とそこそこハードな戦いを強いられている間、ミラージュの部屋に閉じ込められた百合香は、衣装問題に頭を悩まされていた。
敵に対抗するために剣に変化したベルベットのアイデアは、すごくイケてたと思う。けど、そのせいで、ミラージュの前でハダカになるなんて、間抜けもいいところだし、第一、恥ずかしすぎる!
「魔法で出来たドレスも素敵だったけど、何かもっと安全に着れる物を探さなきゃ」
体に巻き付けたシーツをずるずると引きずりながら、百合香は部屋にあったクローゼットの扉を開く。
ベルベットといえば、剣に変身した姿のまま、ベッドの上で、ふて寝している。せっかく気を利かして、敵に情けの一撃を送るドラマチックな剣に変化してやったのに、百合香から褒められるどころか盛大にクレームをつけられてしまった。はいはい、安全でなくてゴメンねと。
そんな気持ちには露ほども気づかず、百合香はクローゼットの中を物色中だ。
「外套に開襟シャツ、礼服、騎馬服。ふぅん、ミラージュって見かけ通りのお洒落さん。衣装持ちねぇ。あっ、この正装用の軍服なんていいかも。派手な肩章を外して、長めの丈をベルトで引っ張り上げてやれば、ドレスコートみたいに着れるわよ」
そこのところは、さすがにコスプレーヤーの本性発揮で、百合香は、赤地にロイヤルブルーの袖がついた軍服をクローゼットから引っ張り出すと、あれよあれよという間に改良を加え、自分サイズに合ったドレスコートに仕上げてゆく。
そして試着。
クローゼットの鏡に姿を映してみると、
「あっ、良い。お洒落なワンピースみたい」
衣装問題が解決して安堵すると、今度は眠気が襲ってきた。そういえば、ミラージュが部屋を出て行って以来、外からの音が何も聞こえなくなってしまったが、どうなっているんだろう。
気にはなったが、眠気に逆らえずに、百合香は新しい衣装を着たままでベッドに突っ伏した。
逢魔が時はあと少しで明ける。
けれども、明けの金星が東の空に昇る前に、百合香は寝落ちしてしまったのだ。
すやすやと気持ちよさげな寝息をたてている少女。ベルベットは、仕方ないなぁと、再び魔力を発動した。
剣の刀身が銀色に輝く。次の瞬間、それは光を纏いながら宙に浮き、柔らかな羽布団に変化した。そして、
”だって、そのまんま寝たんじゃ風邪をひくよ”
今や、保護者本能が身に付いてしまった魔法の布地は、少女の上にふわりと舞い降りてくるのだった。
* * *
「助けてぇぇ!捕まえてぇっ、みらーじゅゅぅ……」
「女王陛下っ!」
上空から吹き下ろしてきた突風に巻き上げられ、叫びながら、こちらへ手を伸ばす黒魔女。だが、近衛兵長ミラージュは、一旦、伸ばしかけた手をあえてズボンのポケットの中へしまい込んだ。
叫ぶ金切り声が次第に小さくなってゆく。
唖然と空を見上げていると、裂かれた黒雲の隙間から恐ろしく巨大な少年が顔を覗かせ、つぶらな瞳でこちらを眺めている。
「なっ、何だっ、あれはっ!?」
ミラージュは宙を仰ぐ。天上から見下ろす巨人と思しき人物。
まさか、あれが魔法大皇帝……? 白魔女の勝手気ままな振る舞いに業を煮やして、ついに魔法の国に鉄槌を下すつもりか。
ミラージュは恐怖に震えた。だが、胸の奥の秘めた場所に湧き上がる仄かな期待。
― どうか、どうか、そのまま、黒魔女を吹き飛ばしてくれ。二度とこちらへ戻って来れない遠い場所へ ―
だが、彼の傍らに倒れているシーディは、そんな近衛兵長の繊細な気持ちなど、どこ吹く風で空に叫ぶのだ。
「こらぁっ、京志郎っ! こっち、来んな! お前に関わられると、ややっこしくなるって、言ってんのにっ!」
まだ、黒魔女の黒霧に巻かれた悪寒が続いているのか、おえっと嘔吐いて立ち上がることもできない小柄な魔法使い。
こいつの無神経な振る舞いは、いつも不愉快なこと甚だしい
ミラージュはシーディの襟首を捕まえると、近くにいた白鹿姿のリンナイに向かって冷やかに言った。
「選択肢は2つだ。お前の主人はこれから俺が地下牢にぶち込むところだが、ここで、俺に斬られるか、お前の主人と一緒に地下牢に入るか。もう答えは決まっているよな」
ミラージュが疲労困憊のシーディを引きずりながら、城の中へ戻ってゆく。リンナイは今はその後ろを大人しく着いてゆくことに決めた。
逢魔が時が過ぎ去った時、
その時、黒魔女を失った白魔女は、どんな顔を見せるのだろうか。
夜が明ければ、雪だるま姿に戻るであろう近衛兵長にとって、それは、予想不可能な未来だった。




