3.三者三様~ユリカの場合
魔法の国の北の丘に聳え立つ石造りの皇宮。
外観の屈強さとは裏腹に、本宮の床には白亜の大理石が敷き詰められ、逢魔が時を迎えると、その白の輝きは暗黒に色を変える。
怪しげに灯る壁の松明にゆらゆらと照らされながら、地下への階段を下ったすぐ手前が、近衛兵長ミラージュの部屋だった。
意外にも、そこは壁に白ペンキを塗っただけの小さな箱のような部屋だった。
「近衛兵長の命令だ。あの人が戻ってくるまで、そこにでも転がってろ!」
門番の近衛兵は、百合香を縄でぐるぐると三重巻きにすると、部屋のベッドの上に無造作に放り投げた。
「ひやぁあ!何すんのよっ、人を荷物みたいにっ」
「うるさい! 俺は早く家に帰りたいんだ。そこで、大人しく、近衛兵長を待ってろ」
門番の近衛兵は部屋の外に出てから、がちゃんと扉に鍵をかける。その時、ふと手を止めて首を傾げた。
近衛兵長が目をつけるだけあって、随分、可愛い娘だけど……あのお姫様って、けっこう太ってたな。
好みが変わったのか……ミラージュって男は、スリムな女を好むと思ってた。ちなみに、俺はぽっちゃり型の方が……いや、そんなことより、俺もさっさと家に帰らないと、嫁さんとの熱い語らいの時間がどんどん減っちまう。
門番とその嫁の濃密な時間がどうなろうと、百合香には知ったことではなかったが、通常時だったら、太っただなんて言葉は(そう思われたことを察知したとしても)、年頃の娘にとっては禁断のワードだ。
京志郎が、からかい半分に「姉ちゃん、太った?」などと言うものなら、マジ切れするほどなのだから。
だが、今の百合香は、にんまりと人の悪い笑みを浮かべて、かなり”膨らんだ”自分自身のボディに猫なで声をあげた。
「ベルちゃんっ、もういいわよ」
その瞬間だった。ぽっちゃりと肉付きよく見えていた百合香の体がしゅんとスリムに縮んだのだ。そして、三重巻だった縄がぱらりと解けた。
百合香が纏っている白のドレスは、もともとは、魔法の力を持ったシーディのマント ― その名は言わずと知れた”ベルベット” ― だ。
ベルベットは、百合香が縄で縛られる前に、ドレスをかなり膨張させていた。それは、門番の近衛兵に、百合香が”少し太ったお姫様”のように思いこませるためだったのだ。強く縛られた縄もベルベットが元の薄さにもどれば、たやすく解ける。
「よしよし、ベルベットは、本当に賢い! いい魔法使いねぇ!」
百合香に褒めちぎられたベルベットは、純白のドレスの裾をひらひらと波打たせて、まんざらでもなさそうだ。
それにしてもと、百合香は回りを見渡す。
白ペンキで塗られた壁に、木製の質素な机と椅子。あとはベッドが一つあるだけの殺風景な部屋。
「京ちゃんが皇宮の地下だからって、手抜きをするはずないのにな。あの颯爽としたイケメンのミラージュには、ここは全然、相応しくないわ」
そう思うと、このジオラマの国は、もう弟の京志郎の範疇ではなくなってしまっているのかもしれない。
ふと、百合香はジオラマの国に入り込んで最初に訪れたシーディの家のことを思い出す。
あの家の内装だって、京ちゃんというより、シーディの好みで作られていた感じに思えたし。
ふんわりしたソファや、天井にとどく程の背の高い本棚や、良い香りのするハーブの匂い。この部屋に比べてあの部屋の居心地の良かったことと言ったら……後々には、あの家もシーディの魔法で白薔薇の城に変化されられちゃったんだけどね。
……と、その時、百合香は突然、頬を赤らめた。
― ユリカ、愛しの姫 ―
脳裏に白薔薇の城のバルコニーで、テンションがあがった魔法使いに、突然、膝まづかれ、手の甲にキスされた記憶が浮かび上がってきてしまったのだ。
思い出すだけでも、心臓がどきどきと高鳴る。
そういえば、シーディはどこへ行っちゃったんだろ?
……あ、でも、待てよ。
私、ミラージュとは、本当にキスしたんだっけ!?
あれは、囚われの姫が馬上で敵将のミラージュと交わした、ものっすごくエモいキス。うわわっ、シーディに手にキスされたのを思い出して胸をトキめかしている場合じゃなかった。
何をどうしたらいいの? 私、自分の気持ちをどう整理したらいいかが分からない。
いやいや、ここは、とにかく落ち着け。
百合香は深呼吸をすると、もう一度、辺りを見渡してみた。すると、机にぽつんと置かれた写真立てが、視界に飛び込んできた。
「古い写真?」
写真立ての中から、ブルネットの長い髪をした美しい女の人が、こちらに微笑みかけていた。彼女が抱いている小さな子どもは、金髪に緑の瞳。鼻筋が通り、近衛兵長ミラージュの面影をたっぷりと留めている。
「これ、多分、ミラージュの小さい時の写真だ。ってことは、この綺麗な人は、ミラージュのお母さん?」
粗末な部屋で、実家にも帰れず、あの珍竹林でゴスロリな黒魔女の世話をさせられている近衛兵長が、哀れでたまらなくなる。おまけに日が昇ると、白魔女の呪いで雪だるま姿になってしまうなんて……。
ううっ、今度はミラージュの方が心配になってきた。ああ、やっぱり駄目だ。さっきまでは、シーディのことを心配していたのに、私って気が多すぎるわ。
百合香を諫めるかのように、ベルベットがぎゅっと、ドレスのウエストをぎゅっと締めて抗議する。
「分かってる。分かってるって! 心配しないで、ベルベット。私は、どんな時でもシーディの味方よ。ミラージュは敵! 今は情けを感じてる場合じゃない」
だが、百合香が反省しきりの時だった。
「待たせて悪かったな。まだ、起きているか?」
ぎいと扉が開いて、哀愁をたっぷりと帯びた顔の近衛兵長が、脳内大混乱のお姫様の元へ戻ってきてしまったのだ。
 




