6.図書館の秘密①
チチチッ、チチッッ
骨董品めいた鳩時計の上で囀る鳥。その甲高い声が癇に障る。
俺の慌てぶりを見て笑ってやがる。絶対にそうだろ。
シーディはナイチンゲールを睨みつけると、自分の周りをぐるりと見渡した。
ユリカを助けようとして、巨大な手のひらに飛び乗ったまでは覚えているが、この場所は、ミラージュと大バトルを繰り広げていた魔法の国とは似ても似つかない。
ずらりと並んだ書架。背表紙の装丁が凝った沢山の蔵書。本が好きなシーディにとって、こんな非常時でなければ、ここは恰好の寛ぎの場なのだが……
顔をしかめた黒いロングエプロン姿の青年が、片手をぷらぷらと振りながら、こちらを見つめている。
年はシーディより少し年下なのかもしれないが、ここはどう見ても、エプロン姿の料理人のいる厨房とは思えない。
ちぇっ、綺麗な顔してやがるけど、こいつ、男だよな。
「ここはどこで、お前は誰なんだよっ!」
それはこっちが聞きたい話だと、京志郎はシーディを睨み返した。
黒のシャツに乗馬服のような裾の短いズボン。灰色の編上げブーツ。まるで中世の国からやって来たようなレトロな出で立ち。そして、背には剣? 京志郎は、突然、手の甲に感じた痛みが、その剣に突き刺されたせいだとは思ってもいない。
何だコイツは。 けど、この服装ってまるで……
けど、僕はジオラマの国のあいつのことは姉ちゃん以外に話したことはないぞ。もしかして、この男って、百合香のコスプレ仲間か何かか?
「お前の方こそ、どこから入って来たんだ! 地震で家も図書館の出入口も塞がってるっていうのに。姉ちゃんの友だちだとしても、怪しすぎるぞ!」
その時、京志郎の指先を見て、シーディははっと目を見開く。
絆創膏?
……そういえば、ユリカを摘まみ上げた手の指にも絆創膏が貼ってあった。
鼻をくんくんさせてみると、シンナー臭が微かにする。あのばかでかい手の上に飛び乗った時と同じ匂いだ。
突然、脳裏に閃くモノを感じ、シーディは、今いる場所の大半を占めている”中世風の城下町”の模型に目を向けた。その近くの床の上には、使いかけの塗料や絵筆。ごちゃごちゃした小さなパーツが入った段ボールなどが置いてある。
ここは、あの玩具みたいな町の制作場所……なのか?
不意に、ユリカと二人で宴会をやった時の会話が頭に浮かび上がってくる。
”これが、魔法書? ……これって、京ちゃんのバイト先の図書館から借りた本なんだけど”
”京志郎は私の弟で、すっごく頭とお顔が良くて~、あの子は、このジオラマの国を作ったモデラ―よ”
はたと顔をあげて、前に立っている青年をもう一度まじまじと見つめてみる。それから、シーディは、ものすごく警戒しながらこう言った。
「……お前、京志郎か……ユリカの弟の」
立ち上がった黒装束の男。京志郎は対面してみて、彼がとても小柄なのに気がついた。けれども、その漆黒の瞳の奥には、晴れた夜の星のような輝きがある。
僕はこの男を知ってる。当たり前だ。だって、こいつを作ったのは……この僕なんだから。
京志郎は戸惑う。けれども、
「僕は相良京志郎だ。相良百合香の弟の」
彼の質問にそう答え、
「……で、お前は灰色猫……か? 僕が作ったジオラマの国の」
と、彼に向かって問いかけた。
その時突然、鳩時計の上のナイチンゲールが高らかな声で歌を奏でだした。
”どちらが現実で、どちらが嘘か
図書館と、ジオラマ国と
しかるに、異世界の扉は、もう一つ
案内人は、夜啼鳥 ”
突然、歌い出した鳥の声に驚くシーディと京志郎。
すると、ナイチンゲールは彼らをあおるように、くるりと大きく身を翻し、図書館の地下から上へ続く螺旋階段の方向へ飛びさっていった。そして、1階の方へ姿を消してしまったのだ。
不審な気持ちが全く晴れない。けれども、シーディは、あのナイチンゲールが現実と嘘の謎を解く案内人のような気がして、京志郎に問うた。
「上の部屋には何があるんだ?」
「図書館の受付と開架書庫。……それと、館長室へ続く階段」
「行ってみよう! こんな理不尽をいつまでも見逃すわけにはゆかない」
ひらりと踵を返すと、絵に描いたような身軽な仕草で、シーディは螺旋階段を駆け上がってゆく。
「ちょっと待って! 僕も行く!」
そんな彼の後を京志郎は、慌てて追いかけてゆく。
灰汁色のマントは身につけていなかったが、黒装束に灰色のブーツの後ろ姿がとても凛々しい。京志郎は、姉の百合香に自慢した自作のフィギュアの出来を思い出し、思わずほくそ笑んでしまう。
”灰色猫っていうのは、体は小さくても、精神力は抜群に冴えてる。そいつは俊敏で頭脳明晰、おまけに剣の腕も立つ。三拍子も四拍子もそろった最高にイカした”魔法使い”なんだ”
「さすが、僕が作った大魔法使い」
だが、この時の京志郎は、全く気づいてもいなかったのだ。自分がシーディの住むジオラマの国で、
”魔法大皇帝”
と、呼ばれ、人々から恐れられている存在だなんていうことには。




