4.現実(図書館)と創作(ジオラマ)の間で
「いいぞっ! リンナイっ、そいつら全員、溶かしちまえっ!」
絶対絶命の白薔薇城に現れた助っ人に、シーディはバルコニーから大声援を送る。
製造メーカーご自慢の24時間風呂だから湯は尽きない。通常なら自動で作動する”沸かしすぎ防止”の安全装置は解除済みだ。
「おのれっ、風呂桶ごときがっ!」
最前列にいた雪だるまたちが、見る見るうちに溶かされ形を失ってゆく。
その直後に、近衛兵長ミラージュはうっと口を噤むと2・3歩、後ずさった。雪だるま兵から漏れ出した雪毒玉の毒気が、真っ黒な湯気になって辺りに立ち込めだしたのだ。
溶けかけた体に白魔女の呪いの籠った毒が染み込めば、最悪の場合は命を落とす。怯えた近衛兵たちは一斉に後退し始めた。だが、ミラージュは、
「いや、まだだっ! お前たちっ、こんなことで怯むなっ」
馬鹿な! こんな雪だるまの姿のままで終わってたまるかっ。
俺も、仲間たちも!
「後方部隊っ、ひるむなっ、前進だっ!!」
すると、前方部隊の間をするすると抜けて、わやわやと身の丈、10センチほどの小さな雪だるまたちが進み出て来た。普段は雪原で遊んでいるミニ雪だるまたちは、白魔女の魔法の滓でできていて知能はとても低い。だが、言いつけをよく守り、命知らずで、雪原に雪がある限り数は尽きず、おまけに猪突猛進だ。
「あの風呂桶に飛び込めっ!! あいつが噴き出す忌々しい湯を全部、凍り付かせてしまえっ!」
ミニ雪だるまたちが、我先にとリンナイの浴槽の中へ雪崩れこんでゆく。24時間風呂の湯沸かし機能が勝つか、ミニ雪だるまの物量作戦が勝つか、戦いは持久戦へともつれ込む……かのように思えた。
……が、
一陣の風が吹き抜け、星の煌めきが空に斜めの線を引いた。
”流星刀”
大魔法使いと呼ばれた灰色猫の遺産。流星の欠片から打たれた至極の剣。
その使い手が剣を鞘走らせた時、ミラージュはその速さに完全に虚を突かれてしまった。
魔法使いというより剣士。
忘れていた……こいつの剣の腕を……
「く……そっ、シーディ、いつの間に……」
巨大な雪だるまの頭が雪原に落ちていた。しばらくの間、近衛兵長ミラージュは、それが己自身のモノだと自覚することができなかった。炭団でできた目で、首の失くなった自分の半身の上に、得意満面で立つ小柄な魔法使いと、彼が掲げた流星刀の切っ先。それを目にするまでは。
「くすっ、ミラージュ、首を斬り落とされても生きてるなんて、さすがは白魔女のお気に入りの”雪だるま”だ。 お前、リンナイとの戦いに夢中で、俺が白薔薇城のバルコニーから、お前の頭の上に飛び降りたことに気が付かなかっんだろ」
* *
一方、相良家に隣接する図書館の地下では ―
大地震のせいで閉じ込められ、自宅のキッチンと図書館しか通れる場所のない京志郎は、図書館の地下にある1/150スケールのジオラマの城下町を穴が開きそうなほど見つめていた。
「な、何か起こってるんだ? 僕の作ったジオラマの中で」
見知らぬ白薔薇の城が南の森に聳え立ち、置いたつもりのない近衛兵のフィギュアたちがその周りを包囲している。おまけに、城のバルコニーには、まるで覚えのないお姫様のフィギュアが甲冑姿で踏ん張っている。
ちなみに京志郎ご自慢の灰色猫のフィギュアは、姉の百合香がお気に入りの近衛兵長となぜだか中庭で向かい合っていた。
その姉も自宅の風呂場から姿を消したまま、行方が知れない。
現実と創作が、京志郎の頭の中で大混乱を引き起こしていた。
現実側 ― 図書館の中 ― で、京志郎の目に映るジオラマの中の小さなフィギュアたちは、動いているわけでもなく、近衛兵たちも雪だるま姿をしているわけでもない。
それでも、少し目を離すと、彼らは製作者の京志郎の隙を縫うように勝手に動き回っているようなのだ。
「おかしい。こんなことがあってたまるか」
たまりかねた京志郎は、もっと近くで見て見ようと、お姫様のフィギュアに手を伸ばした。
それが、ジオラマの国に入り込んでしまった姉の百合香だなんて、この時の京志郎は知る術もなかったのだ。
 




