<20話> 「勇者と聖女とオオカミ」 =Aパート=
流した涙の数だけ、人に優しくなれる?
それなら涙の枯れてしまった、あたしは――。
最後に泣いたのは何時なんだろう?
リーナちゃんが攫われた時?
うんん。あの時に支配していた感情は「怒り」。
アイツを倒した時?
うんん。あの時に支配していた感情は「嫌悪」。
最後に泣いたのは――何時だろう?
非力だったかつてのあたしは、リーナを守れるよう強くなりたかった。
そう。初めはただ、護りたかった。
そして世界の重みを一人で背負うリーナを、助けたかったんだ。
だから、「あたしも一緒に背負うんだ」と。
そう決めた日から、あたしは……あたいは――
幼い頃の思い出は、憶えている。リーナとの大切な思い出だから。
あれは、今より世界に魔が溢れていた時代の、花咲き乱れる季節の事だった。
リーナ――つまり後に聖女となるイリーナと、あたい――バレンティーナは、地方の教会に一時期、身を寄せていた。
今はもう存在しない国だ。
幼き日のリーナに、あたしは憧れていた。
優しくて明るく活発な女の子。
透き通る宝石の様な青い髪に、水銀の様に輝く瞳。
その瞳があたしへと向く。
「ティーナちゃんも一緒に行こうよ」
「えっと……その。……うん。一緒に……」
見つめられ恥ずかしくて、あたしは口籠もり、声も小さくなってしまう。
リーナは笑顔で、そんなあたしの両手を握るのだ。
「修道女がね、教えてくれたの。お花のたくさんある場所を」
あたしは直視できず、少し目を逸らす。頬が少し火照る。
「そ、そう。あのシスターがねぇ。よく聞き出せたねぇ……」
嬉しそうに一歩踏み込むリーナ。
身を乗り出し、顔が直ぐ近くまでやって来た。
「もう直ぐね、司教様がお迎えに来て下さるから。
もう直ぐね、お別れだから。良いよーって!」
「リーナちゃん、いい香り……」
あたしは思ったことをつい、口走ってしまった。
その事が恥ずかしく、口を押さえて隠したかった。
でも両腕は今、リーナに誘拐されてしまっている。
口をあわあわさせて、やり場のない羞恥心を飲み込むこともできない。
「そうなの! ティーナちゃん! シスターとお花を飾る手伝いをしていたの。
それでどこで摘んできたのかを聞き出せたの!」
リーナの顔が更に近づき、おでこ同士はくっ付く程の距離まで迫っている。
おでこが何だか、もわもわした。
あたしは流石に、迫り来るリーナを見つめ返してしまう。
リーナの瞳に映るあたし自身の姿を見付け、慌てて直ぐに視線を落とす。
落とした先には、小さな唇があった。
「だから、いい香り……なんだね」
あたしがそう言うと、リーナの唇は遠ざかっていく。
すると漸く、あたしは両手を解放された。
閉ざされているリーナの唇は、今にも「えへん」と言いそうだ。
リーナは腰に手を当て、片目を閉じ、あたしを満足気に見つめるのだった。
そうして、あたしたちはシスターに何も知らせず、こっそりと森の奥へと向かったのだ。
青々とした草木は影を落とし、日の光は僅かしか届かない。
木々が魔力を帯びているわけでもないのに、森全体には薄らと魔が存在している。
「ティーナちゃん、これだけ草があると、蛇とかを踏みそうだから気を付けて」
「はうぁ。リーナちゃんっん、怖いよぉ。出てきたら助けてぇ」
怖くなり、あたしはリーナが差し伸べてくれた手を握る。
それでも得体の知れない恐怖がまだ残り、リーナの腕にしがみつくのだった。
しがみつかれたリーナは、歩く速度が落ちる。
小さなあたしたちは、進むのに草を踏み分ける必要があった。
奥へと行くにつれ、草が行く手を阻むのだ。
「うー。草の臭いがスカートに付きそう」
「あぁ。そうだぁねぇ。リーナちゃん、折角お花の良い香りだったのにね……」
すると、あたしは歩みを止める。靴越しに何かを踏み付けた感触がしたのだ。
「きゃああぁぁああああ。あわわわあわ」
甲高い悲鳴を上げ、必死にリーナに抱き付いた。
「もう。びっくりしたよお」
リーナは右の眉辺りを指でかきながら、視線をあたしの足元へ向けた。
あたしはその視線を追いかける。
足元にあったのは、ただの太い大木の根だったのだ。
安心し恐怖が過ぎ去ると、無性に恥ずかしくなってきた。
抱き付いていたあたしは、リーナを解放すると、少しだけ距離を取った。
足元に気を付け、目を向けると、そこには木の枝が落ちている。
あたしは枝を拾い、杖にしようと拾い上げた。
枝は太く、思いの外に丈夫だ。
「リ、リーナちゃん。あたし、もう一人でも平気……だよ」
手の震えを杖に閉じ込めて、あたしはリーナを先導した。
杖で草を分けて進むと、暗い森の中で一際明るい方向があった。
自然と導かれるように、そちらへと歩んで行く。
すると森が一端拓け、様々な色の花たちが、あたしたちを出迎えてくれたのだ。
あたしは持っていた杖を放り投げる。
心奪われ、花園に魅せられてしまったのだ。
Bパートへ つづく




