<16話> 「未来」 =Aパート=
「そう、あの時……死んだはずだった。祖国が滅んだ、あの時に」
むせ返る程の鮮血ですら、凍てつく極寒。
飛び散りかつて身体であった肉塊ですら、腐らず氷塊と化す。
神々の戦いにより焦土と成り果てた大地ですらも、今は凍り付いている。
この国にはもう百万近い民など、誰一人として生きて存在していないのだ。
かつての居城には霜がへばり付き、氷の監獄へと変貌を遂げていた。
少女の身体は、魔力の減衰と共に、徐々に冷たくなってゆく。
「魔神……、私はこのまま……」
氷の監獄内にて、微かな声が幾重にも反響する。
「瞼を閉じたら、そのまま二度と開ける事はできない」
そう思いつつも、少女は瞼を閉じた。
紅蓮地獄ニヴルヘイムを思わせる、その風景は戦慄。
今もなお少女の脳裏に焼き付いている。
「嫌な目覚め方……」
目を覚まし額に腕を乗せると、自身のベッドの脇に立て掛けてある剣を横目で見た。
上半身を起こし、手にその剣を取る。
鞘から抜かれると、剣は薄暗い部屋の中で黄金の輝きを示した。
かつての少女は、八英雄と呼ばれる存在へと至る。
六十年以上の歳月が過ぎた現在でも、その姿は変わらない。
少女は多くの神々に未来を託されたのだ。
“ヴァルキュリア・レギンレイヴ”
八英雄キュリア、国と共に名までも失った少女。
刀身に映るぼやけた自身を見つめると、黄金の剣を鞘へとキュリアは納める。
すると部屋はまた元の薄暗さを取り戻した。
岩を積み重ねてできた壁からは、冷気が発せられ室内の気温よりも寒く感じられる。
その壁の向こうより、馬車の走る音が微かにしている。
港街の朝は早い。
キュリアは聖母教総本山近くの港街、スミュールへと辿り着いていた。
「そろそろ、イリーナ様が到着されてもおかしくない頃だ」
師ブラギの計らいにより、イリーナたちとの魔術による遠距離会話を行ってから、既に十日以上が経っていた。
キュリアはベッドから抜けると立ち上がり、細く華奢に見える人差し指を挙げた。
そして心の中で術を詠唱をする。
指の先に小さな炎が現れ、部屋が明るくなる。
その小さな炎を昨夜消したランプの灯芯に近づけ火を点けると、指先からの炎を消す。
ランプからの弱々しい灯火は、豆粒よりも小さい。
キュリアは机の上から綺麗にたたまれた服を手に取り、肌着の上に着る。
うなじに腕をやると、肌着と服に挟まれた髪を抜きだした。
剣の黄金に勝る髪が垂れ落ちる。
腕に巻いてあった髪結い用のリボンを解くとそれを使い、うなじの辺りで巻いて結う。
その後、荷物を整理する。
そして魔術刻印のある箱を開け、中の鎧が綺麗にしまわれている事を確認し、蓋を閉じた。
「さて。まだ早い……が」
ベッドの横に立て掛けてある剣を箱の上に乗せると、部屋の灯りを吹き消し、キュリアは部屋を後にする。
一階の食堂へと降りて行った。
すると厨房の方から、優しい父親が娘に語りかける様な声がした。
「おや、クレアさん。今日は早いですね」
声の主は、宿主だった。夫婦二人、宿主自らが厨房での仕込みも行っている。
「すみません。何だか目が覚めてしまって」
キュリアがそう答えた。クレアという偽名で宿へ泊まっていたのだ。
今度は女将さんの方が話しかけてきた。
「えっと、パンはまだ焼けていないので、昨日のになってしまいます。豆との煮込んだスープなら出来上がっていますよ。いつもより早いですが、召し上がりになります?」
「そうですね。ではお願いします」
キュリアは堅くなっているパンをスープに浸す事なく、細かくちぎり食べた。
軽い食事を終えたキュリアは、部屋の鍵を預け宿を後にする。
足元まで伸びるスカートは、日の光を浴び淡い緑の色を現す。
首元に巻き付けられたスカーフは、コントラスト(=明暗差)となり濃淡が生まれる。
ここ数日の日課となっている教会での拝謁へとキュリアは向かう。
キュリアには為すべき事があった。
聖女イリーナたちと合流し、聖女を護る。
それはルイダとの約束でもある。
さらには魔王軍の動きを探り、もし可能であれば討伐をもする気でいたのだ。
暫く歩き教会の前まで来ると、キュリアは首に巻いていたスカーフで頭を覆い、髪の毛を隠した。
教会の門は丁度、修道女により開けられていたところだった。
「おはようございます」
キュリアは修道女に声を掛ける。
「おはようございます。今日はキュリアさん、早いのですね」
「早すぎて、ご迷惑だったでしょうか?」
「大丈夫ですよ」
そう言うと修道女は微笑みを浮かべる。
「司祭ハルモニアお母様は、大聖堂ではなく、礼拝堂におられますよ」
キュリアは教会では偽名を使いたくないと思い、本名を名乗っていた。
聞かれたら答えるつもりでいたが、八英雄である事には未だ気付かれていない様だ。
見た目が華奢に見えるからなのかもしれない。
キュリアの身体は、氷に閉ざされたあの頃より変わっていないのだ。
半分が霊体と化した事以外には。
Bパートへ つづく




