<15話> 「暗雲あるいは雷雲」 =Iパート=
「上位魔術防御力上昇」「岩壁城壁」
「闇乃羽衣」「中位精神魔術耐性上昇」
キュリアは魔術の二重詠唱を二回、それをさらに三人分、計十二回行った。
詠唱は連続的で、あっという間に十二個の強化魔術が付与された。
エミアスは範囲防御魔術を発動させ、キュリアは個別の強化魔術を発動させたのだ。
私たちを襲ったのは、それまでにこの世界で見た事のない、死霊系魔術だ。
そもそも、死んで直ぐに死体の消えてしまうこの世界で、死霊系魔術が存在している事に驚いた。
だが、私は目の前に迫る現実を直視せざるを得ない。
そこに現れたのは、地獄絵図に描かれた様な妖怪とも呼べる魑魅魍魎と、霊体に魔力が混り可視化された何かだ。
地表の巨大魔術陣内より溢れ出る様に、地獄で煮込まれていた鍋の蓋を誰かが開けてしまったのではないかとさえ思えた。
「この様な術を使える者には、一人しか心当たりがございません」
エミアスはそう言い放った。
「八英雄と言われた私が言うのも何ですが、まさか昔話に登場する……彼女、なのですか?」
「ええ、恐らく『災厄の魔女』でしょう……」
「まだ、生きていたのですね。あるいは封印が解けたのか?」
(誰よ、それ……)
エミアスの範囲防御魔術が功を奏し、死霊は私たちに手出しが出来ないでいた。
「どうしましすか? 私が剣で活路を開きましょうか?」
そう言うとキュリアは、黄金に輝く剣を構えて見せた。
キュリアの髪は先程の激しい斬り込みで、結っていた部分がほどけて胸に覆い被さっていた。
そんなキュリアを見て、私は大きく横に首を振った。
「二人とも、助けに来てくれて……ありがとう」
私は一言、言葉のみをその場に残す。
「……ごめんね」
私は転移魔法で強襲を仕掛けたのだ。このままだと逃げられてしまうと考えたからだ。
敵の魔術陣から転移魔法で抜けると、目の前にはティーナの後ろ姿と、それを支える長い黒髪が私の目に映る。
私は背後から仕掛けた。
完全に不意を突けた。そう思ったのだ。
だが、またしてもメイド少女に邪魔された。
黄昏の剣は、手刀により弾かれたのだ。
その反応速度は、人のそれを越えていた。
同時に「人では無い」そんな気がしたのだ。
そもそも手刀の強度がおかしい。
メイド少女は素手なのだ。
いくら魔力で強化しているとはいえ、堅すぎる。
魔剣師であるソフィアが強化して持つた剣、そんな強度なのだ。
(まさか、アンドロイド? この世界ならばゴーレム? あるいは、その融合体?)
私は追撃を放とうとした。
だが次の瞬間、ティーナは黒髪と共に沈む様に魔術陣へと消えていった。
「え? うそ? うそ……嘘……嫌」
私は左手を伸ばすも、その手の先にはメイド少女しか居ないのだ。
メイド少女は、私の左腕を掴む。
だが、それ以上は何もしてこなかった。
私は目の前からティーナが消えてしまった事への虚無感から、攻撃の意志が失せた。
メイド少女は、私の手を離すと背中を見せて立ち去った。
そして距離ができた所で、魔術陣が出現する。
「ア…、す……」
メイド少女は何か呟くと、転位して消えていた。
「イリーナ! イリーナ……。イリーナ、イリーナ、イリーナ」
憤怒、畏怖、悲哀、虚無。
これまで生きてきて、感じた事の無い負の感情に私は襲われた。
それ程までに、私の中でイリーナの存在は大きくなっていたのだ。
この世界へ来て僅か数ヶ月だが、イリーナは常に私の側に居た。
数ヶ月であるはずのなのだが、もう何年も一緒にいる様に、私は感じている。
イリーナは妹であり、娘であり、友であり、仲間であり、そして大切な家族なのだ。
「許せない。許せない。殺す。殺す。殺す。魔王を殺す。今から行ってブチ殺す。跳躍して直ぐに殺す」
さらに黒い感情へと支配されていく、私。
イリーナとの思い出を振り返ると、胸が痛い。
本当にチクチクと心臓を突き刺された様に、痛い。
私は頬に滴る物を感じた。
「あれ? 私、泣いているの? 良かった……。こんな仮初め身体の私だけれども、そうだったね。泣けるんだよね……)
怒りや恐れではなく、この感情は悲しみ……。
「そうか、私は泣いているんだよね……イリーナ」
二人だからここまでやってこれた。
そう思う。
もし一人だったら、おそらく私は元の世界へ帰ろうなんて夢にも思わなかっただろう。
私は何か術は無いかと、アイテム収納を探る。
そして何気なくアイテムを取り出した。
それは食べかけのパンだった。
イリーナから強引に口へ銜えさせられたパンだった。
私の頭の中で、イリーナの笑顔が思い起こされる。
目頭からは、もう自分では制御出来ない程の涙が滴り落ちていた。
私はパンをしまうと、目を瞑った。
ここ数週間の出来事を思い出す。
馬車での移動、船での移動、様々な出来事、様々な出会いと別れ。
そしてあの言葉も……。
『私を置いて、何処かへ消えてしまって、戻って来ないのではないか、もう会えないのではないかと、私は不安になるのです』
「あなたの気持ち、今ならば分かるわ。そうね、私は何も分かっていなかった……」
イリーナとは
一緒に笑い、
一緒に悲しみ、
一緒に嘆き、
一緒に苦労し、
一緒に泣いた。
食事も一緒。
着替えも一緒。
寝る時まで一緒。
一緒でないのは、そう……
イリーナがお花を摘みに行っている時ぐらいだわ。
「『もー、お姉様! 乙女の私は行きませんよ! 消臭魔法も必要ありませんからね!』」
思い出か、幻聴か、現実か、イリーナの声がした……。
不意に聞こえたイリーナの声。
その冗談めいた言葉。
それにより、私は少し心が和らいだ。
そして少しずつだが私は、心の平穏さを取り戻す。
「ありがとう、イリーナ。また、あなたの言葉に私は救われたわ。ごめんなさい、イリーナ。今、直ぐ行くわ、助けに!」
私は魔王を殺すという事など頭から消え去っていた。
そう、どうでもよくなっていたのだ。イリーナを救う事に比ぶれば他はどうでも良いのだ。
そう、私は考え違いをしていたのだ。最優先の事項は、魔王を倒す事では無く、イリーナを救う事だ。
冷静に考えを巡らせる。
聖女イリーナには邪神の加護がある。
かつて、イリーナが魔王に捕らわれた時は、邪神がイリーナの内に封印されていた。
だが邪神の封印は、もはや無い。
私が≪神々の封鎖≫を解いた時に、封印も解けたからだ。
封印をした百年以上前には考えられなかったであろうが、イリーナと邪神には奇妙な関係が生まれていた。
憑依している邪神がイリーナを乗っ取る訳でもなく、むしろ時おりイリーナに力を貸す。
イリーナも憑依している邪神の憑り代ろとなる事を拒まず、それどころか浄化の力が邪神に及ばない様に制御しているのだ。
故に邪神の憑依したイリーナは強い。そう簡単にはやられる事はない。
「以前とは違う」今はそうであると願い、私はイリーナたち二人を信じる事とした。
感情のまま行動するのと、感情を原動力とし行動する事は、同じ様でいて、大きく異なる。
私はイリーナを連れ戻す事を心に強く誓った。
Jパートへ つづく




