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第1話『結婚相手は甲子園のヒーロー』

『ゆうや君、こーしえんって知ってる?』

 くりくりとした目の少女は聞いた。

『こーしえん? 何それ』

『なんかね、やきゅー人の聖地なんだって。お兄ちゃんが言ってた』

『ふーん』

 少年は興味なさ気に相槌を打った。

『ねえ、連れてってよ。こーしえん』

 少女は少年の腕を引く。

『なっ、なんだよ。お母さんに連れてってもらえよ』

『うん。でもね、キップ売ってないんだってさ』

『えっ、電車で行けないの?』

『お兄ちゃんが言ってた』

『えーっ、なにそれ。電車で行けないところなんてあるの?』

『ないはずだけど……。お兄ちゃんがそう言ってたもん』

『うーん……。きっと、こーしえんって作り話なんだよ』



「裕也! 早く行くぞー」

 六月。神奈川の朝は既に蒸し暑く、この日も太陽が地面を照りつけていた。

「早くしろよ。遅れちゃうだろ!」

 小林若菜、十六歳。健康的な小麦色の肌はソフトボールの賜物だ。

「うるせーなー。高校生になったんだから学校ぐらい一人で行けよ」

 そう言って、藤村裕也はのそのそと階段を降りてくる。裕也と若菜の家は隣り合わせで、高校へ入学した今も毎朝の登校を共にしている。

「あら。こんな美女と登校できて嬉しくないの?」

 若菜は右腕を裕也の首へと回した。

「バカ! ったくよー……。一緒に学校なんか行って、クラスで変な噂立ったらどーすんだ」

 裕也は若菜の右腕を払い、ブツブツと呟く。

「ん、何か言った?」

「何でもねーよ! 早く行くぞ」

 ――裕也と若菜は、この春から旭ヶ丘高校へと通い始めた新入生です。若菜は兄が通っているから、裕也は家から近いから、とそれぞれの理由で、何だかんだと腐れ縁は続きます。

「裕也、早く野球部入んないのかよ」

 登校中、若菜は裕也の顔を覗き込んでそう尋ねた。

「うん」

 裕也は即答した。

「えーっ。甲子園に連れてってくれるって約束したじゃんか」

「してねーし。兄ちゃんに連れてってもらえば良いだろ」

 裕也は無愛想にそう言い放つ。

「まあね! お兄ちゃん、今年こそは甲子園行けるかもって言ってたし、期待大!」

 若菜は無邪気に表情を明るくした。

「だろ。それで良いじゃん」

「保険よ、保険!」

「お前な……」

 裕也は呆れ、こつんと若菜の額を小突いた。

「もう。甲子園行かねーと結婚してやらないぞ」

 若菜の結婚相手の条件は、『甲子園出場経験アリ』なこと。若菜が『こーしえん』の本当の意味を理解して以来、それが理想の男性像となっていた。

「ケッコーでござんす。兄ちゃんと結婚してろ」

 裕也は興味薄げな目で舌を出してみせた。



 ――キイン! 朝のグラウンドに、心地よいバットの男が響き渡る。

「お、やってるやってる〜」

 若菜は親指と人差し指で輪を作り、その中から覗き込む様に右目を凝らした。

「気合い入ってんね」

「そりゃね。お兄ちゃん達はもう最後の大会だし。気合い充分よ」

 若菜は誇らしげに笑う。

「……甲子園、行けると良いね」

「ふふん、その時になって後悔しても遅いのよ?」

 若菜は結婚の事を言っていた。それはいつもの他愛無い冗談の一種だったが、裕也の目は微かに沈んだ。


『えっ……、け、結婚!?』

 中学生時代、野球部のバッグを肩に掛けて歩く裕也が若菜の言葉に目を丸くする。

『そ。私、絶対甲子園に出た事のある人と結婚するの!』

『……な、なんで?』

 裕也は驚いた様に尋ねた。

『だって、カッコイイじゃない。努力して努力して努力して、その末に自分の夢を掴むなんて! ――そういう人と、結婚したいの』

 若菜は目を輝かせて語る。

『そ、そう……』

『だから、アンタも頑張んなさいよ!』

 若菜は力強く裕也の肩を叩く。

(が……、頑張ろう)

 絶対に若菜に気付かれる訳にはいかなかったが、この時の裕也は確かに、希望に胸を燃やしていたはずだった――。

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