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お題:「多分、飛びたいから飛ぶんじゃないかな。細かい理屈なんかない・・・ただ、自分自身がそうありたいからそうするだけ」

 黒々とした、重苦しい雲の下。安っぽいフェンスに囲まれた学校の屋上で、少女は空を仰いでいた。

 見ているのは、天気ではなく、遠く離れて行ってしまった人の面影。今日の朝、出立のメールをくれた先輩の顔だった。

「行っちゃったね、先輩」

 独り言のように呟く。聞き手に返事を期待しない、そんな声音だった。

「ああ、行っちまったな、先輩」

 少女の呟きは、すぐそばにいた少年に拾われた。

 少年は、背中でフェンスに寄りかかりながら狭く冷たいコンクリートの床を見ている。おそらく少女と同じ、一人の女性を思いながら。

 どちらも視線を合わせようとはしない。それでいて、考えているのは同じことばかりだろう。

 今日は、卒業式の翌日だった。在校生からしてみればいつもの日常が続くだけの日だが、卒業生からすると新たな門出を迎える大切な日だ。

 昨日のうちに、別れは告げた。泣いて抱き合いながら、卒業生の新たな出発を祝った。

 しかし、と少女は思う。いくらなんでも突然すぎる、と。

 今朝がた送られてきたメールは、とてもシンプルだった。

 行ってきます、という短い言葉のみ。だったそれだけで、写メも、絵文字すらも無かった。

 あて先は、少女と、隣にいる少年。他に送られそうな知り合いは、いない。

 少女と少年は、同じ部活動に通う仲だった。今は二人、二日前までは三人だった、小さな部活の仲間だ。

 少年の相槌から、しばらく、どちらも口を開かなかった。余韻にひたっているのではない。受け止めがたい事実に打ちのめされ、必死になって堪えているだけだ。

 二人共通の先輩は、今朝、異国へと旅立った。

 前々から話は聞いてはいた。卒業したら、世界を見てみたいと。とにかく、広い世界を感じてみたいと先輩は言っていた。

 そんな大事な旅立ちが、まさか卒業式の翌日だったとは。少女も少年も、顧問だった先生も知らなかった。

 三人で賑やかにやっていた日々が、もう懐かしい。散々振り回され、困らされはしたが、楽しかった日々が。

 文芸部という名ばかりの部活で、三人はとにかくはしゃいでいた。名前こそ文芸などとはついていたが、文芸らしいこととは一切無縁。先輩がやりたいことをやるだけの破天荒な場所で、二人はひたすらこき使われていた。

 入学するなり確保され、そこからの二年間は、とにかく賑やかだった。

 滅茶苦茶だったとも言える。気分屋な先輩は、一日たりとて同じことをしなかった。

 気まぐれに他の部活に乱入するのは、まだまだ優しい方。

 体育祭や文化祭を乗っ取ろうとしたのは、なんとか笑い話にできるくらい。

 学校全部を戦慄させる大事件を起こしたのは、もう忘れたい。

 飽きる余裕など、どこにもない二年間だった。少女は、なぜ自分が先輩に捕まったのか、今でも理由が分からない。少年だって同じく、見当もついていないだろう。

 少女と少年は、先輩に連れ込まれた文芸部室で初めて出会った。学年こそ同じだったが、クラスは別。接点などどこにも見当たらない状態で、取っ捕まった。

 捕まった理由は、結局、教えてもらえなかった。先輩はただ笑顔で学校を去り、そして、行ってしまった。

 また会えるのだろうか。そんな思いを抱いても、あの先輩には笑い飛ばされてしまいそうだ。

「大丈夫大丈夫、なんとかなるって!」

 肯定とも否定とも言えない先輩の口癖を思い出して、視界がぼやけた。

 雨でも降ってきたのだろう。それ以外の何が、頬を伝うものか。

「ああ、もう、まったく。ホント、訳の分からない人なんだから……」

 努めて冷静に言ったつもりだった。少年に聞かれても、何とも思われないように。

 しかし、二年間共にいた相棒は、あっさりと少女の胸中を見抜いたらしい。横目で見ると、静かに笑っていた。

「なによ、その顔」

 口をとがらせて指摘する。すると少年は、はは、とこぼし、

「なんでもねぇよ、なんでも」

 否定するように首を振っていたが、それになんとも腹が立った。

「なに? その、自分だけは分かってますー、って言いたげな顔」

「別にそんな顔はしてねえよ」

「じゃあ、何を笑っているのよ? なんか、ムカつくんですけど」

「だから、なんでもねえって」

 フン、と鼻を鳴らして、少女は顔をそむけた。

 まだ、視界ははっきりしない。それでも、コンクリートそのままの屋上が、濡れていないとは気付いた。

「……何がしたかったのかしらね、先輩。あんだけ騒いでおきながら、最後はあっけなくいなくなって」

 うつむきがちに言うと、ぽたりと、一滴何かが落ちた。落ちたそれを今更ながらに自覚すると、また視界が揺らいで、

「まあ、なんつーか、その。よく言えないけど、あの人は……、飛び出したかったんだろ、たぶん」

 ばつが悪そうな少年の声を、背中で聞いた。

「……飛び出す?」

「ああ。上手くは言えないけどさ」

 少年のため息が風に乗って聞こえ、

「あの人は、飛び出したいから、飛んでったんだろ。何からかは知らねえし、どうしてかも、俺には想像もできねえけどさ。先輩のことだ、細かい理屈なんか、無いかもしれないけどな」

 ただまあ、と続ける少年の声は力なく、

「何かに成りたいとか、何か成し遂げたいとか、そういうこと、考えてないんじゃないか? ただ、今そうしたいから、そうしてるってだけで。俺らが巻き込まれたのも、たぶん、大した意味なんかねえよ」

「何それ? 考えるな、感じるんだ系? それとも、今になって文芸部っぽいことしだしたの?」

「うるせえな」

 少年は不機嫌さを隠さずに黙ってしまった。

 茶化したのはマズかったか。少年も、自分と同じ気持ちを抱えている。

 反省しつつ、少女はまた空を見る。やはりどんよりとした雲は居座ったままだ。しばらくは動くまい。

 だが、少年の言葉は、思いのほかスッと胸に落ちた。

 少年の語った先輩の姿は、雨粒よりも心地よかった。とても、先輩らしい表現だ。

 今という時間を楽しむことばかり考えていた、先輩。その姿は、先輩自身だけではなく、少女と少年を、さらに学校のみんなも楽しませようとして、駆け回っていた。

 困り顔を知っている。泣き顔も知っている。でも一番に思い浮かぶのは、カラリとした爽やかな笑顔だった。

 先輩は、困って、泣いて、しかし最後にはいつも笑っていた。何をやらかしても、みんなにも笑顔を振りまいていた。

 二年間の密度は濃い。そんな期間は、長いとも短いとも、受け止めづらいが、ただ言えるのは、

「私たちのぶっ飛んだ二年間は、そんなに、悪くなかったわよね」

 少しばかり晴れた顔で、少女は言う。

 散々な目に遭わされて、それでも少女はあの先輩を恨みはしない。

 フェンスに寄りかかる。軋む音は耳障りだったが、それ以上に少女は笑い、

「あーあ、楽しかった」

 アンタは? と少年に促すと、あちらも控えめながら笑う。

 先輩はどこに行ったか見当がつかない。それでも今回の別れが永遠だとも思えない。

 またそのうち、ひょっこり帰ってくるだろう。一年後でも、十年後でも、どれだけの年月が経っても、少女と少年は、あの先輩を忘れられそうにはない。

 帰ってきたら、いつもの説教が必要だ。今回の出立も含めて、泣くまで説教を続けてやろう。

 そう決めると、なんだか世界がはっきりしてきた。目の前が、明るくなってきた。

「次は、こっちが驚かせてやる!」

 具体的な案はない。しかし、もう振り回されて、驚かされるばかりではなくなったのだと思い知らせてやろう。

 下校時刻を告げる鐘が鳴る。それを合図にして、少女は少年の肩を叩いた。

 目を丸くする少年を置き去りにして、屋上の扉を開く。慌てて追いかけてくる足音をさらに無視して、軽やかな足取りで階段を降りる。

「さ、今度は私たちが、新しい部員を探さなきゃ!」

 新しくできた目標を掲げて、少女の足は速くなる。

 入学式が楽しみになってきた。どんなやつを捕まえてやろうか。目につく下級生を片っ端からスカウトするのも悪くない。二人と言わず、何人でも巻き込んでやる。

 とりあえずの目標は、

「ダース単位で確保するわよ!」

「そんなん無理だろ!?」

 悲鳴に近い少年の声を聞き流しながら、全力で廊下を駆け抜けた。

 あの先輩がしていたように。とにかく笑顔で、みんなを楽しませるために。

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