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過疎と赤字に革命を!  作者: 目黒いちろう
1/1

類いまれなる変人

準備中



長谷川勝はせがわまさるは何処からか漂って来た焼き魚の匂いで、「あっ、もう秋か」と思った。


長谷川は先月、マサチューセッツ工科大学(MIT)の博士過程を卒業したばかりだ。

高校卒業とほぼ同時に渡米したから、博士号取得までの間を10年以上もアメリカに居たことになる。

日本語と英語ができる上に博士号も持っている。

そんな長谷川は間違いなく、優秀ではある。

まだ三十歳手前の彼はその若さにも関わらず准教授というポストを得て、自分の研究室で読書をしていた。


ここ数年は日本の実家に帰る余裕が無かったからか、

穏やかな風に乗せられてきた僅かな焼き魚の匂いは母がよく晩飯に出していた秋刀魚を思い出させた。


「腹へったなぁ…」


こと生活関連において自他共に“不器用さ“を認める長谷川である。

ゆえに決まった生活リズムはなく、腹がへったら食べ、眠くなったら横になる。

料理はするが基本的に“焼く“か“煮る“のどちらかしかしない。


腹が減ったため何かしら食べられる物は無いかと研究室の冷蔵庫を漁り出した長谷川。

この冷蔵庫、研究用に使う試料などを保存するものであり、

中に入っているモノは食材でも食品でもなく、薬品や試薬ばかりだ。

だが長谷川はアメリカにいた頃の悪食が相まってか、

実験等に使う“それ“を取り出した。


実家にいた頃は母親が食事や弁当を用意してくれたため、長谷川は料理に関して素人同然でアメリカに渡った。

当然料理を教えてくれる知人もいなく、料理に関する知識を調べるのも億劫だからと本人曰く“独学“で学んだ。

アメリカ人の名誉のために言っておくが、

彼は元から不器用であり“料理“に対する概念も普通ではない。


「おっ、培地があるね。これは青カビが生えてるから“味付け“はいらないな」

(培地:ばいち;微生物や菌を培養させる時に使う液体や固体の物質。食べてはいけない)


そして長谷川は無表情で培地をスプーンのような実験道具で食べ出した。

青カビ独特の苦さは無味に近い培地を食べるには味のアクセントとして良い。

と長谷川は思った。


長谷川は若くしてMITの博士号を取得するほど頭は良いが、

時として恐ろしい行動に出る人物だ。


そして絶望的なほど味音痴である。




なぜ生活観念が破綻している長谷川が准教授として一研究室を持つことができたのか。


それは1ヶ月ほど前にさかのぼる。


彼が卒業して特にすることも行くあてもなくアメリカで放浪していた頃。

頃と言っても卒業して寮を出なくてはいけなくなった後数日。

彼はニューヨーク郊外のレストランでランチをとっていた。



「明日はどこへ行こうか」



スーツケースひとつのアジア人が郊外のレストランにいればそれだけで目立つが彼は気にせずオムレツを食べていた。


元々、彼は家財を持つことをよしとしない。

寮暮らしでは家具を買う必要も無いし服や本はかさ張るからなるべく買わない。

いわゆるミニマリストな彼はスーツケースひとつに持っているものすべて(いらないと言っても母が送りつけた服や靴)を詰め込んで浮浪者のような生活をしていた。



優秀な彼は大学や企業から引く手あまただったが、“気乗りしなかった“からどれも断った。

だが、「美野科学大学」の理事長はそんな長谷川を逃がさなかった。




「長谷川くん。そのオムレツはおいしいかね」


「おいしいの定義が分かりませんがこのオムレツは食べられます」


「私が支払いをするのだから『おいしい』と言ってくれてもいいんじゃないかね」


「作ったのは厨房の人ですよ?」


「いや、そういう意味じゃないんだが」


食事中に話しかけてくるなんて無粋な人だな、と長谷川は思いつつオムレツを口へと運ぶ。


そんな彼の向かいに座るのは長谷川をスカウトしに来た五堂稔ごどうみのるである。

東大卒の五堂は政財界の人脈を使って美野科学大学を設立。

人づてに聞いて長谷川に興味を持ち、わざわざ日本からやってきた。



「さっきも言ったとおり、君には研究室と准教授としてのポストを用意してある。生活も書類関係も任せてくれ。君はただ『はい』と答えてくれればいいんだ」


「断ります」


「なぜだ!」


長谷川に対して普通ではあり得ないオファーをする五堂は思わず立ち上がってしまった。


「なぜか教えて貰えなければそのオムレツの代金は君が払いなさい!」


「五堂さんが払うって言ったじゃないですか」


「どうせおいしく感じないんだろう!」


「じゃあ『おいしい』です」


「なっ」


危うく五堂が大声を出すところで店員が注意してきた。

大の大人が情けないと反省した五堂はオムレツを食べ続けている長谷川を睨みながら座り直した。

なんで私はこんなにも苦労しているのだ、簡単な話のはずだったのに、と六十とちょっとの五堂は心の中でため息をついた。


「断る理由だけでも教えてくれないかね。そのオムレツは払うから」


あらかじめ払うと言っていたオムレツの代金をだしに長谷川がこのオファーを断る理由を聞き出そうとかかった五堂。

ケチではあるがこういった手管を使えるから五堂は学校の経営に成功したのも事実である。


「単純にめんどくさそうだからです」


「働くのが面倒だと?」


「ええ」


「なんと…」


まだ三十歳にもなっていなくて社会に出たことがない若造がなにをと五堂は思いつつ長谷川に質問を続けた。


「じゃあどうやって生きていくんだ」


「どう、とは?」


「金が無ければ飯も食えんだろう」


「知らないんですか?アメリカでは教会に行けば寝泊まりの場所と食事を出してくれるんです」


「教会が一生君の面倒を見てくれるわけがないだろう」


「出てけと言われたら別の教会を探すだけです」


「はあ…」


なんとふてぶてしい。

この若者をなめていた自分がいたことに五堂はようやく気付いた。

そして同時に長谷川を籠絡する方法を思い付いた。


「では私がその教会になろう」


「はい?」


「君は働かなくていい。ただうちの大学にいればいい。食堂で飯は出す。寝泊まりの場所もやろう。金が必要になればできる限り用意しよう。趣味に明け暮れていればいい。君は何もしなくていい」


長谷川を落とせる方法はただ一つ。

何もしなくていいと言うことだったのだ。


世間から見たら無茶苦茶な五堂の提案は長谷川の最後に残ったのオムレツの一口へ伸びる手を止めた。


「では私は働かなくてもいいんですね」


「そうだ」


「飯は出るんですね」


「そうだ」


「寝る場所も用意してくれるんですね」


「そうだ」


「私は一日中、本を読みますよ」


「結構」


長谷川の答えでこのオファーの成功を確信した五堂は思わず口の片側が上がった。


長谷川が美野科学大学にいる。

それだけで学会や企業の間で有名になれるのだから五堂にはメリットが十分ある。

だからこそ「ただいるだけでいい」という提案は成立する。


「じゃあそれで」


世間からして見たら長谷川の失礼な態度も五堂からしてみればもう無問題だ。


ちなみに長谷川の敬語に不自由があるのは日本にいた頃に目上の人と話すことが無かったためであり、かつ長いこと英語しか話さなかったからだ。

決して両親の教育が間違っていたからではない。

敬語が使えない時点で教育が間違っていたとも言えるが。


「ではここにサインを」


「はい」


そうして五堂によって「働かない」条件を書き加えた新しい書類に長谷川はサインした。

ここに前代未聞の「働かない」雇用契約が生まれた。



「よし。ではさっそく君が日本に来るための飛行機の便を手配しよう。追って連絡するから数日間はホテルにいてくれ」


「はい」


「オムレツの代金はここに置いていく」


「はい」


「君が引き受けてくれて嬉しいよ」


「そうですか」


「ではまた日本で」


「はい」


そう言って書類をまとめて五堂はレストランの出口に向かった。

終始手をやかされ、失礼だった長谷川にちょっとした仕返しをして。


「ああ。オムレツの代金は払うと言ったが、チップは払わんよ」


「なっ」


「それでは日本でな!はっはっはっ」


アメリカでは店員のサービスに対してチップを払うことになっている。

相場は食事代の15から20パーセントほど。

五堂は三ドルほどのチップを長谷川に押し付けて店から出ていってしまったのだ。



「ケチ!」



と長谷川は五堂が出ていったドアに投げかけたが、日本語が分かる者などそのレストランにはいなかった。




こうして長谷川の「働かない」雇用契約は結ばれ美野科学大学で「働く」ことになったのだが、

過疎と赤字に苦しむ美野市にこれから起こるだろう再生の物語を予想できた者は、

誰一人としていなかった。



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