閑話 犬男
拾った時から何かに似ているとは思っていた。
「リーナ!リーナ、出掛けましょう!ね?ね?」
バタン、とノックもせずに飛び込んできたのはこの屋敷の主人であるセシル。
黙っていればいい男なのにどうも犬っぽさが抜けない。
頬を上気させた彼は嬉しそうによそ行きの服に身を包んでいた。
「セシル様、女性の部屋に入る時にはそれなりの配慮をする方が良いかと…」
あまりの勢いに気圧され気味なリーナ。
休暇である今日、ちょうど本を読み始めた所で予定はない。
リーナにあてがわれた部屋は二部屋続きになった客用の部屋だ。
こじんまりとしてはいるが調度品や家具はどれも細やかな装飾のある品のある部屋。とてもセシルが整えたと思えない部屋だと常々リーナは考えていた。
「!え、あ、しつ、失礼しました!そうですよね、女性の部屋に入るだなんて、」
最近知って驚いたのはセシルの初心さだ。
彼は本当に女性に免疫がない。
最初に知ったのはなんだったか、とにかく彼の手とリーナの手が重なった時のテンパり様は凄まじかった。
土下座する勢いのセシルにリーナはやめてください、と訴えた。
(初対面で私の食べかけのパンと飲みかけの水筒に口をつけたことは覚えてないのかしら)
リーナはいつか間接キスのことを言ってやろうと密かにほくそ笑んだ。
セシルは猪突猛進というか、一直線な人だった。騎士団の人間にはとても慕われ、彼が国境に戻ってきた時には涙を浮かべる部下らしき人が何人もいて「心配させないでください!!」と方々から怒られていたのも記憶に新しい。
爽やかな青年だというのに、何故ここまで初心なのか、侍女に聞いても苦笑いをするばかりで、執事に聞けば「ご主人様は男所帯で育ってしまったためですかね…」とため息をついていた。
「で、おでかけでしたっけ?ちょうどお給料をいただいた所なので買い物に行きたいと思ってたんでお願いします。」
にっこり、と未だにあわあわしてるセシルに言えばシュルルと空気が抜けるように落ち着きを取り戻した。
王都の大通りはたくさんの人々でごった返していた。
セシルの家は王都の中でも端のところにあり、リーナの職場は王都の周りにある外部の都市の中にある。
王都の中心部に来るのは今日が初めてだった。
「セシル、貴方はどこに行こうとしたの?」
馬車を降りて最初に行ったのは本屋だった。
セシルは騎士団が副長になったのは今年からの事でそうなってからは積極的に良い訓練法はないかと模索しているらしい。
「お待たせして申し訳ありません。リーナも何か買ったのですか…?」
「そんな待ってないよ。この国の地図とかお店の載ってる本があったから気になって。」
リーナは普段は敬語は使わないように“お願い”されている。
屋敷に客人が来ていたり屋敷の周辺では侍女として振舞っていたが、それ以外で敬語なのはセシルが嫌がった。だというのにセシルはあくまでも“恩人”として扱ってくるものだからリーナはどうしたものかと戸惑いを隠せない。
二人はそれから色々な店に行った。
雑貨屋では手帳やペンを買い、休憩に入ったカフェではリーナが紅茶を、セシルはパフェを頼んだ。
甘いもの好きなセシルは、メニューを見て固まっているものだから何かと問えば、男がこんなものを好きなことを気にしていたらしい。
彼も紅茶、と言いかけるのを遮って、彼の目が長く止まっていたページの大きく載ったパフェを頼み、「今日連れて来てくれたお礼に奢りますから、一口くださいね〜」と悪戯っ子のように言えば彼は真っ赤になって固まっていた。
実際きたパフェは思っていたよりとても大きいものだった。しかし心配をよそにセシルはペロリと平らげていた。もちろん一口もらった。
「食べっぷりが気持ちいいですね、」
と呆れ混じりに言えば彼は「それほどでもない!」となぜか誇らし気だった。
(機嫌の良い犬みたい。うん、尻尾、尻尾が見える。)
リーナは羊飼い時代に飼っていた牧羊犬を思い出した。賢いのにバカで可愛い犬たちだった。
何匹も飼っていたが特に可愛がっていた犬は茶色い毛の膝下くらいの大きさの犬。
毛並みは違うのにセシルはなんだかその犬を彷彿とさせる。
リーナは思わず笑みがこぼれた。
そんなリーナにセシルはキョトンとした顔。だが次第に頬を赤らめて目を背けた。
それからも二人は買い物を続けた。
服を見に行けばセシルがあれやこれやと買い与え、買いすぎてしまうのを止めることが出来ずにリーナはあわあわと慌てるだけだった。
またアクセサリーの店ではリーナは初めて見るピアスに興味を持っていた。
穴は開いていないので「開けたければ今度病院に連れて行く」とセシルが約束してくれた。どうやら消毒などがいるようだ。
帰りの馬車は荷物がどっさりだった。
そのほとんどはセシルがリーナに買い与えた服の入った箱や、靴。彼女にはまだ言っていないが彼女に似合うだろうピアスもちゃっかり買っていた。
屋敷につくと疲れた、と言わんばかりに二人はソファに座り込んだ。
「セシル様、服ありがたいのですが、買いすぎです…もうダメですよ…でもありがとうございます。」
「何を、あれくらい。父上はいつもあのような感じで母上にプレゼントしていた…普通なのでは?」
「いやいや、普通じゃないですよ!本当にびっくりしたんですから!」
なるほど、女性に慣れてないはずのセシルなのにあのプレゼントの量…何かと思えば両親を見本にしていたのか、とリーナはがっくりと項垂れた。
というか、セシルのご両親て…。
「セシル様のご両親のことお聞きしても…?」
ふと疑問に思った。
ここに来てからというもの、セシル以外にこの家の人間には会っていない。
「父上と母上は旅行中で不在なのですよ。一年のほとんど旅行をされているのであまり家には帰らないのです。」
にこにこと嬉しそうに語るセシル。
優しげな表情が家族の仲の良さを物語っていた。
「なるほど、それでずっと不在なのですね。」
そりゃいないわけだ、と合点がいった。
「いつか両親に貴方を会わせたい。」
「…セシル様、わかってないと思いますが女性にむやみにそういうこと言っちゃダメですよ?」
リーナは急にセシルの将来が心配になった。
両親に会わせたいなんて勘違いする女性だっているはずだ。
私がバツイチじゃない生娘だったら確実に勘違いしていただろうとリーナは思った。
この人顔が良いだけに危うい…!
しかし、当のセシルにその意味は伝わっていなかったらしい。
紅茶を持ってきてくれた執事のニールが「坊っちゃまには少し難しいですかな。」と吹き出すのを我慢していた。