悩女
語り終えたロリーはまた一段と老けたように見えた。旅の疲れが相当出ているのかもしれない。
リーナは最初、セシルと一緒であったため国境を越えると同時に騎士団に保護され、セシルの屋敷へとつれて行かれた。馬車ですらかなりの時間がかかったのだ、歩いて、しかもここ最近続いていた悪天候の中を来るのは並大抵ではなかっただろう。
リーナは一先ず何も言わずに下がり、お盆に温かい野菜のスープとパン、それからローストされた肉を持ってきた。
「疲れたでしょう。食べて下さい、」
そして帰って、と言ったリーナの手はわずかに震えている。
ロリーは悲しげな表情で「すみません、だがまだ帰れない…」と言って彼は静かに食事に手をつけた。
それから数時間して若旦那がまたいつものように厨房から叫んだ。
「リーナ、あがっていいぞ。帰れないなら泊まっていってもいい、好きにしろ。」
ぶっきらぼうに、でも親譲りのお人好しが滲み出ている。
リーナはちらりとロリーがいることを確認し、エプロンを脱いだ。
「頑張って帰ります、お疲れ様でした!」
荷物をロッカーから取り出しエプロンをしまい込む。
いつもはセシルの迎えが来るがこんな日では無理だろう。
とにかく屋敷まで帰れるよう置いてあった傘を手に帰ろうとした。
「エリー様、待ってください。」
ロリーの必死な声にリーナは足を止めた。
懐かしい自分の名前、久々に呼ばれて不思議な気持ちになる。
「その名前を呼ぶのは、やめてください…私は今リーナという名前なのです。」
はぁ、とため息をついて扉を押した。
ロリーが何か言っているようだが激しすぎる雨音が搔き消した。
聞きたくない、
ルイスに子供ができた、
リーナを動揺させるには十分だ。
いつかは、いつかはと思っていた。
当然のことだ。
そのために屋敷を出たのだから。
ルイスのため、だと思っていた。
例えエリーの妊娠が悪意を持って望まれず、阻まれていたことだとしても、これで良かったと本当に思っている。
あそこにいればエリーは妊娠できない体だと思い込まされたまま、シャーリーとルイスが彼らの子供を囲んでいるのを見ているしかなかったのだなんて、恐怖でしかない。
そうなればエリーだけが蚊帳の外。
彼らは真の家族となり、私だけが異質な存在になる。
彼が想っていてくれようがなんだろうが、無理だった。
ロリーが来てからというもの変な動悸が収まらない。
冷えた指先が未だに震えている。
リーナの感情はただただ冷え切っていた。
戻りたくない。
ただそれだけだった。
だってそうでしょ?
私のことが好きだと言いながら、ルイスはシャーリーを抱いたのでしょう?
抱きしめた?
キスは?
妊娠するまで毎晩のように抱いたのかしら?
なのに…それなのにその手で私を迎えに来るの?
私の髪を梳いて、シャーリーとキスをした唇で私に愛を誓うの?
冗談じゃない…
私のルイスはもう死んだわ。
シャーリーを優先し、宥め誤魔化すような軽いキスをしたあの朝、あの時に死んだの。
私はリーナ。
まだ8歳なのに毎朝洗面器とタオルを運んで来てくれる立派な侍女の可愛いリリーがつけてくれた大事な名前。
話すことなどない。
子供ができた…?
それは良かった、なによりよ。
纏まらない頭でリーナはひたすら街を歩いた。傘をさしているのにそれすらもあまり意味はなくなるような雨脚。
足元は濡れ、手元も風に煽られた雨でずぶ濡れとなっている。
唯一濡れていない顔もその頬は涙に濡れていた。