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聞女







その日は珍しく大雨で、客足も悪く、雨宿りに訪れた客も立ち往生状態で店でのんびり外を見ながら飲んでいた。



「ありゃー、こんなんじゃ帰れないね…」


外を眺めていた横に若旦那がやってきた。

いつも開け放たれている窓は今は締め切っているというのに雨音は凄まじい。


そんな時、ばたん、と大きな音がして振り返るリーナと若旦那。

振り返った先には雨から逃れるように入ってきたのは旅人らしき男だった。

またか、と思わずため息をつく。

こんな日にはお客を帰すこともできない。お節介な大旦那が上の階の空き部屋にまとめて泊めてしまうことだろう。


とにかく席に案内するためリーナはメモ帳とペンを片手に歩み寄った。



「お客様コートお預かりします。大変でしたね。」


声をかけた瞬間男は驚いたようにリーナを見た。

リーナもその瞬間に後悔し目を見開いた。


「エリー様…」

「ロリーさん…」


何故ここに、と聞こえたかどうかわからないほど小さい声でリーナは言った。


「私も、屋敷を出て参りました。」


ロリーは帽子とコートを脱ぎながらそう告げた。雨具としても使えるコートをリーナは一先ずコートかけに持って行った。

テーブルに戻ってくると知り合いだという事を察した若旦那の指示であろう温かいお茶が二つテーブルに並んでいた。



「何故あなたまで…」

「私もあの屋敷にいるのが嫌になりました…今やシャーリー様の天下ですよ。旦那様は中々家に戻られず、別邸にて長くお仕事についておいでです。」

「家に、戻らないって何故です?」


ふぅ、と以前より老けた顔のロリーは疲れのためか目を瞑りぽつぽつと語り始めた。





エリーが出て行ったことにルイスが気がついたのはエリーが消えた翌日、仕事から帰ってからの夜更けであった。

差し出された手紙を読む手は震え信じられない、とエリーの部屋であった代々の当主の妻の部屋に駆け込んだ。

もちろんそこにエリーの姿はない。

彼女の普段着として使っていた服も、彼女がここに来る前から持っていたお気に入りのワンピースもなかった。

彼女に送った宝石はロリーが戻していたため、全て残っており、彼女が衣服のみをもって出て行ったことがわかる。

手紙と一緒に置かれていた指輪をルイスは握りしめ、一人にしてくれ、と告げて人払いをした。


心配して離れることのできなかった執事と前執事であったロリーは扉の前に立ち尽くした。

時折聞こえる嗚咽と「俺のせいだ…」という呟きに彼らもその場から離れた。

たまたま風呂に入っていて事態を知らなかったシャーリーもその後侍女たちから事情を聞き、心配そうな表情で固唾を飲んでいたがその目には嬉しさがありありと現れていることにロリーは気づいていた。



もちろんすぐに捜索部隊を差し向けられた。

しかし、報告された結果は「確かにエリーは男と国境を越えた」という目撃情報のみだった。



ルイスは初めこそ信じることはなかった。

しかし、彼は手のひらに残った歪んだ指輪を見る度に段々とわからなくなっていた。

エリーに実は想い人が?

俺以外の男となんて家のものだとしてもあまり見た事がないというのに?

羊飼い時代の知り合いか?

それとも夜会であったどこかの男か…。


これといって思い当たる人物がおらず、ルイスは荒れた。そのうちルイスは普段飲まない酒に手を出した。

酒は楽しく少しずつを心掛けていた男とは思えない飲み方を毎日のように続け、ある日を境にシャーリーを毎晩抱くようになった。

シャーリーは喜び、ルイスの許可も取らずに部屋を歴代当主の妻の部屋、つまりエリーの部屋だった場所を移した。


この頃になるとルイスに表情らしい表情はなく、家のことはシャーリーの言いなりに近かった。

酒を飲み、シャーリーを抱くと自室に籠るということを繰り返していた。

そんな日が続いても尚、ルイスはエリーの捜索を止めることだけはしなかった。




そしてついに、この日が来た。



ロリーが屋敷を出るきっかけとなった。

シャーリーの懐妊である。




妊娠した、という報せに屋敷中が色めき立った。落ち込んだ旦那様もこれできっとシャーリー様に目を向けて下さるに違いない、とロリー以外の誰もが浮かれていた。



しかしそうではなかった。

旦那様は妊娠の報せを医師から受けると冷たい眼差しに口元を歪めるような笑みを浮かべ一言、「そうか」と仰られた。


それからというもの旦那様は何故だか急に忙しくなった。別邸にて泊まるようになり、時折シャーリー様に花を贈られる。

体を気遣って距離を取っているのだ、と屋敷の者はこれまた都合よく勘違いし、シャーリーにもそう思い込ませた。



歪んでいる、ロリーの率直な感想だった。

あの優しく賢かったルイスは今や冷たいだけの仕事人間となった。

侍女たちが、以前からエリーを良く思っていないことにも気がついていたが、女の嫉妬をどうすることもできずに、彼女の脱走を手伝うことしかできなかった。

不甲斐ない、ロリーもここにいるのが嫌になった。エリーを忌み嫌い、シャーリーを崇めるかのように持て囃すここの人間が心底嫌になった。

そう思った翌日、別邸にいるルイスに辞職を願い出た。彼は書斎で生気のない目で書類に目を通していた。



「ロリー、お前も私から離れるのか…」

「…私が離れるのはあの屋敷からでございます。いついつまでも私は坊っちゃまのことを思っております。」


ルイスは書類を置き、ロリーを見た。


「あの屋敷で未だに坊っちゃまと呼ぶのはお前だけだな。」


ふ、と久しぶりに、しかし力なく笑う主人にロリーも小さく微笑んだ。


「坊っちゃま、シャーリー様の懐妊おめでとうございます。」


シャーリーの名前を出すと同時にルイスの表情がまた曇った。


「めでたい、か。そうだな、女だろうが男だろうがこの国では跡取りには違いない。」

「どうか、あの方のことはお忘れ下さい。」


せめてルイスがシャーリーを愛してくれれば、エリーのことは…彼女のことはそっとしておいてやれる。それがロリーの願いだった。



「エリーのことを言っているなら、それは…無理だ…彼女に男がいるということだって信じがたい…彼女は絶対に連れ戻す。」

「屋敷の者は皆“知っていた”と言ったのでしょう?それに、今帰った所で彼女になんと申されるつもりですか…」


そう、今更帰ったとて、屋敷にいるのは彼女が三年の間なし得なかったルイスの子供を宿した幸せそうなシャーリーだ。

部屋もなく、彼女に居場所などない。

嫉妬に狂うのが怖いと言ったあの娘が、そんなことに耐えられるわけがない、とロリーは思っていた。



「俺はあいつがいれば、それで良かったんだ…世継ぎが欲しいなら屋敷の人間が育てればいい。俺はエリーと生きて行きたかったんだ。」


うつむく主人はまるで思春期の子供のように小さく映った。


「ルイス様、ルイス様がそれで良くても、女性はそれでは済まないのです。おわかりなのでしょう?貴方の子供を産むことが、それこそがあの方の悲願であったこと…今やもうシャーリー様のお腹には貴方の子供がいます。せめて、彼女に、このことを知らせないのが貴方のできる優しさではないのですか。」


ロリーはあえて坊っちゃまとは言わず、主人に対しての物言いを選んだ。

言い聞かすように、どうか頷いてくれるように願いながらロリーは主人に語りかけた。


「…俺には、できない…」

「彼女に…本当に好きな方が居たら?」


これはもう最後の手段だった。


「坊っちゃま、私と賭けをしましょう。」


ロリーはにっこりと微笑んだ。

ルイスは訝しげに壮年の男を見やる。


「私が、探してまいります。そしてエリー様に今の現状をお伝えして参ります。そうですね…エリー様に、想う方が本当にいらしたらもう諦めるというのはどうでしょう。もちろん虚偽の場合には引きずってでもルイス様の下に連れ戻してみせます。」



ルイスはあっけにとられた。

ルイスはロリーならやりかねない、それが出来る人間だと何故だかそう思った。

もうそれしかないように思ったのかも知れない。

しかし、ロリーはロリーで、こんなにもエリーを想う主人のことも捨てきれない。だから彼は賭けに出た。



「坊っちゃま、王政に私を植物学者として冒険者登録してくださいまし。あれがあれば国境を超えることもできましょう。」



「…お前の隣に彼女が立っていることを願う…。」



待ってろ、と言ってルイスはコートを持ち、王のいる宮殿へと馬を飛ばした。


















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