晴女
病院に行った日からしばらくエリーは与えられていた自室に籠もっていた。
しかし、塞いでいたのが嘘のようにある日エリーは朝食の席に現れた。
「私がこの国を出られることもないのだし、くよくよしてたって始まらない…新しい人生生きてみようと思ったの。」
泣き腫らしたのがバレバレな顔で、彼女は微笑んだ。彼の屋敷の者は今や全員が彼女の事情を聞いていた。
エリーの空元気な姿に、まだ幼い、なりたての侍女は悲しくなって涙を零した。
「なら、名前も変えようか」
そう言いだしたのはセシルだった。
名前は、あの幼い成り立て侍女のリリーが考えてくれた。
エリーは未だにしくしくと泣くリリーの頭を撫で「ありがとう」と礼を述べた。
「私リリーで、赤ちゃんの妹がリーナっていうの。エリー様は私が面倒見るからエリー様はリーナなの…」
泣き止んだ彼女はエリーの手を取り真剣な眼差しで名前の由来を説明してくれた。リリーが面倒を見るから妹と同じ名前、とはなんとも、変わった思考回路だが、エリーは大事な妹の名前をつけてくれたリリーに感謝した。
「じゃあ、リーナ。お誕生日おめでとう。」
セシルはそう言って、いたずらっ子のような笑顔で水しか入っていないグラスを掲げた。
問題はその後。
「いや、だから出てかないで!」
「いや、だから私自立しますので!」
手紙くらいなら書きますから!と玄関先での押し問答。
出勤前のセシルとリーナは争っていた。
結果的に勝ったのはセシルだったけれども。
「侍女!うちの侍女になったら仕事も住み込みです!」
「いや、しかし空いてる仕事ないですよね?」
「では、ダブルワークで!うちでの仕事は私の話し相手ってことで!だからうちから出て行くなど言わないでください!」
話し相手が仕事ってなんだ、とは思ったが、あまりに食い下がるし、セシルを訓練に行かせなければならず仕方なくそれで了承した。
恩人を放り出せませんオーラが凄すぎて、知らない人に二度とパンは分け与えないと心に決めたリーナだった。
それからひと月、ふた月が経った。
酒場での仕事に着き、順調にこなすリーナは第二の人生を楽しんでいた。
「リーナちゃん今日も可愛いねー!お酌してよー!」
「もう、またそんなに飲んで!女将さんに怒られますよ!」
客の野次にもしっかり対応できるようになった。遠くの厨房から「バツイチなんて止めとけ〜!」という若旦那には後ほど膝蹴りをお見舞いしておいた。
「へー、あんたまだ若くて美人なのにバツイチとは。なんで別れたの?」
「んー?まぁ若気の至りですよ!」
ここの人はみんな温かい。
家族のいる人いない人、様々ではあるが皆ここでは家族のようだ。
私も名前と出身以外は話してある。結婚していた、と言えば若旦那はそれよりも特技は何かと聞かれた。
リーナは思わず「羊なら捌けます!」と言ってしまった。
羊飼いだったリーナが酒場で出来ることと言えばそれくらいだった。
結果は即採用。
「じゃあ明後日から来て」の言葉にリーナは喜んだ。
リーナは羊を仕入れた日以外はこうして配膳の仕事をしている。
週の半分くらいしか羊は入らないため、ホールにでることも多く、リーナを覚えていてくれている客も少なくない。
髪の色も変えた。
セシルに「今度は私の色にしてください。聞かれても親戚と言い張れるでしょう?」と丸め込まれたと言えなくもない。
リーナはこの色を気に入っていた。
深い深い青。
そして髪も短く切った。
ボーイッシュになるかと思えば何故だか女性らしさが際立ったようにも見えてセシルや客からは大変好評だった。
昔では考えられない自分。
本当にあの時屋敷を出て正解だった。
屋敷の中でいつまでも思い悩み、うじうじと嫉妬に身を焦がす日々を思うとゾッとする。
名前を変えたことも良かったのかもしれない。
時折、元いた国からの冒険者が客として訪れるが、ルイスの話も入ってはこない。
まれに店に新聞を捨てていく客もいるが、リーナが仕入れることのできる情報源は、そこぐらいしかないのも安心できる理由だった。
悪い報せが入ってきたのはそんな新しい人生が動き出した矢先のことだった。