母女
「わ、すごい馬車の数…」
「あー、誰もいない…。交代の時間かな…会場もまだ誰も帰る雰囲気じゃなかったから…ちょっと従者探してきます。ここで待ってて下さい。」
「え、あ、私も行きますよ!」
私たちは馬車を呼んで帰るはずだった。
しかし、たくさんの馬車が並んでいるその場所にいるはずの係りの者はおらず。
探しに行く算段に至ったわけだけれども。
セシルが譲らない…。
一応とはいえ上司にあたるセシルに係りの従者を呼びに行かせるような仕事をさせる訳には、と思ったのだ。しかし、ドレスの(はたから見れば)令嬢…しかも会場のそれを理解してない人間に探させるわけにはいかない!とセシルに押し切られ、結局渋々人のいない階段脇で待つことに。
「セシル遅いな…」
やはり従者は持ち場を離れていたのかセシルはなかなか帰ってこない。
普段なら階段に座り込んでいるところだけれど、綺麗なドレスを汚すわけにも行かない。
小さなため息が一つ溢れる。
「なんで、言わなかったの…」
ふいに声が降ってきた。
聞き覚えのある声に驚きつつもゆっくりと振り向く。階段の上には侍女を伴わないシャーリーが会場の灯りに照らされ立っていた。
「こんなところにお一人で…」
驚いたまま言えば彼女の顔が俯いた。
“言わなかった”とは先ほどのルイスとのことだろうか、と直感的にそう思った。
逆光で彼女の表情は見えないが、彼女がぎゅっと自身の服を掴むのはシルエットからわかった。
「貴方は何故そうなの…使用人達のことも薬のことも、気がつきながら!!なぜ、言わなかったの…」
語気がどんどん弱々しくなる。
彼女の威勢は小さくなるのに“薬”という単語が彼女から出て来たことにビクリと肩が震えた。
動揺している私の元に、彼女が手すりに手を添えながら降りてくる。
会場に居た時も思ったことだが身重の人間が階段を降りてくるのは内心ヒヤヒヤしてしまう。ましてや今のように感情的だと尚更。
彼女が降りてきたことでほぼ同じ目線になった。
灯りに照らされた彼女の目には涙の跡。
いや、その目からはまた次の雫がぽろりとこぼれてしまいそうだから今も泣いていると言っていいかもしれなかった。
こんな状況で不謹慎とは思うが、泣いていても彼女は可憐で美しい。シンプルだけれど質の良いマタニティドレスは今や握られた部分がシワになってしまっていた。
「えっと、では、薬は…貴方が?」
何か言わねば、と思い焦って出た言葉にしてはストレートな物言いになってしまった。
しかしこれには彼女は動揺することなく首を横に振った。
「私が知ったのは私があの屋敷に呼ばれる二ヶ月ほど前ですわ。」
「なら貴方には何の非もないでしょう?」
正直ホッとしてしまう。知りたくてもしれない真相を思わぬ形で聞いてしまった。しかも彼女は関与していなかった。鵜呑みにするのも憚られる状況だろうけれども、私には彼女が嘘を言っているとはどうしても思えなかった。
「知った時は恐ろしくて仕方なかった。でも、ダメだった…諦めきれなかったわ。ルイス様を愛しているから…知らぬふりをして利用したのよ…私も同罪だわ。」
苦しげな表情が今はハッキリと見える。
先ほどのルイスと同じ。
彼女も真っ直ぐな人なのだと思う。
ルイスに先に恋をしたのは彼女なのに。
最初に奪ったのは私なのに、彼女がそれを責める事は思えば一度も無かった。
私は少しばかり深く息を吸い、落ち着いた声色で言う。
「あの屋敷に来てくれたのが、貴方で良かった。」
そうして私は自然と微笑む。
本当にそう思う。来てくれたのがシャーリーで良かった。
「なにを、言っているの…私は、私は貴方とルイス様を離婚に追い込んだのよ…!?」
「ルイスを本当に愛してくれている貴方だから、私はあの屋敷を出る決心がついたんだと思うの。じゃなきゃ一生あのままだったのよ?ぞっとしちゃう。」
敬語を捨てて肩をすくめるようにおどけてみせるが彼女は驚いたように目を見開くばかりで、ちっとも笑ってはくれなかった。
「悔しくないの…?つらくて、悲しいのではないの…?」
「シャーリー様は優しいのね。」
「…なにを…」
「貴方は罪を背負って過ごしていたんじゃないかな、と思うの。でも貴方は今とても辛そうなのに私に話してくれた。もう放っておいてもいい存在の私に。貴方が罪を背負ってくれたから、次は私の番よ。あの屋敷の歪さは私がいなければなくなるんだもの、ルイスが騙されてくれたかは…別として…私はもう戻ることのない人間。だから私に出来ることをしたかった…それだけ。」
「貴方は…もうルイス様を愛してないの…?」
シャーリーの視線が揺らぐ。
どう言って欲しいのかはわからない。
けれども私がこの国に来て薄々思っていたことを彼女になら打ち明けられるような気がした。
「ルイスのことは、大事に思っているわ。今でもね…でもね、ルイスは私にとって“家族”として大事だったし愛していた…。本当の家族が居ない環境の中で義理の母は良くしてくれたし、義理の父も悪くなかったわ。何よりルイスが兄弟のように寄り添って居てくれたから私は生きてこれた。突然結婚ってなったのは驚いたけれどもう“家族”だと思っていたルイスとの結婚は嬉しかったわ。…でも、でもね…」
私は一旦言葉を切った。
視線が自然と足元に移る。
「離れてみて…貴方の言う愛とは違ったんじゃないかって思うの。」
「でも、ルイス様は…!」
私はふるふると首を振る。
「あの人は変わるわ。きっとこれからたくさんの子供に囲まれて…幸せな家族を持って領主になるのがあの人の夢ですもの。そして貴方ならあの屋敷の女主人として幸せになれる。」
「…」
シャーリーは真っ直ぐ私の目を見ている。
また涙が溢れそうな、揺れるその瞳を私も見つめている。
「貴方が気に病むことはないわ。勝手に出ていったのは私なんですもの。」
「…貴方と…もっと早くに出会っていれば、私があの屋敷の真実をルイス様にもっと早くに言っていれば…私たちは気の合うルイス様の二人の妻になれたかしら…」
「いいえ、きっと…それは無理ね。あの屋敷では結局私は産ませてもらえないと思うから。でも、そうね…友達にはなれたかもね。」
おどけたように言い、最後にフフと私が笑えばシャーリーはあっけに取られたような顔の後、つられるように少し、笑ってくれた。
その笑みには敵意も牽制もない本物の笑顔だった。
「多分だけれど、私と貴方が会うのはこれが最後ね。」
「そうね。私もそんな気がする。」
「さぁ、会場に戻って!きっといつもの侍女さんが心配してるわよ?」
「いいのよ、あの人は。それより、今更私が言っても仕方ないのだけれど、貴方はこの国に残るの…?」
「ええ、そうするわ。」
「もし、もしあの国に戻りたいなら…」
私は言いかける彼女の言葉に首を振る。
「私は新しい居場所を見つけたの。」
そう微笑めば私と彼女の顔にふっと影がさした。
「リーナ、待たせたね…!帰ろ、え、あ、シャーリー殿…?」
「ありがとうセシル。」
私はシャーリー様の脇を抜けて階段を駆け上がり、彼の腕を取る。
「帰りましょう。」
私はもう振り返ることはしなかった。




