離女
あの日、先ほどのように私をベッドに縫い付けてくれたなら、きっと今日の私はいない。
あの日こうされたかったのか、と思うと自分がいかに単純な人間かというのがよくわかる。
「裏切っていた…?なんのことだ…」
ルイスはゆるゆると頭を上げ私を見つめてくる。いつもの自信満々な態度とはかけ離れた戸惑った表情。
「わたしは、逃げました…愛してくれた貴方を裏切って…貴方のような誰かのためじゃなく自分勝手な考えで…」
「エリー…」
「貴方には感謝しています…元孤児で羊飼いをしていたような私にいろんな世界を見せてくれたこと…三年も待ってくれたことにも感謝しています…」
「エリー…」
うわ言のように彼は私を呼んだ。
私は応えない。私は“リーナ”だ。
私は俯く。前髪がハラリと落ちて私の表情を隠した。
涙に濡れたこんな顔を彼に向けられるはずもなかった。
ぎゅっと拳に力を入れる。
息を吐き出し、吸う。
セシルに言えば反対されるであろうこのことを今実行しようとしている。
「私が貴方を裏切ったのは屋敷を飛び出したのが初めてではありません。」
私は見えないのをいい事に目をぎゅっと瞑る。心臓がばくばくと煩い。
「なんのことだ…」
ルイスの視線を痛いほど感じる。
「私が今お世話になっている方をロリーから聞いていますか?」
私の問いに「ああ…」とルイスの苛立ったような声が静かに響く。
「その方は本当に私が屋敷を出てから出会った方です。あの時の『想い人がいる』といった内容の手紙に書いたのは嘘です。使用人たちは私に合わせてくれたようですが、それだけはまず弁解させていただきたい。」
「…」
私うっすらと目を開け、ルイスと視線を絡ませた。
「でも、子供のことに関してですが…」
きゅっと喉が詰まる。言え、言うんだと自分を鼓舞してみても中々それは声になろうとしない。
「出来る、わけがないんです…私はずっと出来ないように薬を飲んでいたのですから…三年間ずっと…」
「…お前が…そんなことするわけがない…!」
弱弱しげにこちらを見ていたルイスの目が丸くなる。
信じられないとでもいうように体は震え、私と同じように拳に力が入るのが見て取れた。
私はぎゅっと唇を噛みたい衝動に駆られるがそうはしなかった。
にこり。
私は微笑んで見せた。
「これは屋敷の者たちも知りません。…ダメだったんです…突然結婚を強いられた私は貴方の家族にはなれなかった…心も、体も…軽い仕返しのつもりで飲んでいました…屋敷を探せばまだ小瓶くらいは出てくるやもしれません。」
「…」
ルイスは口を開かない。
じっと私を見ている。
こんなことを言ってどうこうなるとは思わない。でももしもまだ屋敷に“薬”やなにかしらの“証拠”が出てきてしまった時に私の仕業であると思って欲しい。
もうこれ以上“ルイスの人生”に私はいらない。
私はあの屋敷の『闇』になりたい。
妊娠したシャーリー様がなにも気にすることなくルイスの家族となれるように。
あの屋敷の使用人達がルイスに変わらぬ忠義を尽くせるようにしておきたかった。
ルイスがあの街の、良き領主となれるように。
疑われていないか…伺うけれども表情だけでわかるわけもない。
「お前は、そんなことをしない…」
「わからない人ですね。現に子供はできておりません…結果貴方は他の女性を呼び寄せた。腹を立てた私が離婚に踏み切った、とただそれだけのことですわ。」
「今でも愛してるのは君だけだと言っても…?」
「それこそ今更です…出て言った時の手紙は嘘でしたが…今は大切にしたい方がいるのは事実です。また一つ、私は貴方を裏切りましたね。」
「君が男と関わらないように努力していたのが水の泡になったわけだ…それはひどい裏切りだな。」
終始、離婚など珍しくもない…と言いたげに余裕ぶってルイスを見る。
ルイスが視線を床に落とした。腕を組み、口をつぐむ。
「ああ、最後に…報告とお聞きしたいことがあります。」
「…最後、か…」
「ええ、最後です。私のような女に関わるのはいい加減おやめ下さいね。」
「こんなに拒絶してくる君は初めてだな。はぁ、わかったよ…なにが聞きたい。」
私はちらりと扉を見た。
そしてルイスに視線を移す。
「報告は、まず私たちの離婚が成立していること…貴方は今独身の状態になっているはずです。」
「…君は国にいなかったのに、何故そんなことができる…?」
「それは”おともだち”のおかげと言っておきます。」
何か言いたげなルイス。私はルイスに質問をさせないように言葉を続けた。
「あと質問ですが…ロリーはどうしました…?彼から後日貴方とこうして話す場を設けてもらうはずだったのですが…」
そう、気になっていたのは突然消息がつかめなくなったロリーのことだった。使いに出る使用人に酒場から話を聞くよう頼んだは昨日のこと。手紙はないにしても、酒場の方にも会った日から彼が店に来たという知らせがなかった。あんなに足しげく通っていたというのにぱったりと。
「こんな時にロリーの心配か…。まぁ私は彼からなにも受け取ってはいない。奴の研究所にも昨日いったがここ数日は見てないと聞いているが…」
「そうですか…」
やはりなにかあったのかもしれない。
彼が知らないと言うならそうなのだろう。
薬や離婚の件を彼が信じてくれたかはわからないが、私の言うべきことはひとまず伝えたはずだ。ルイスの反応を見る限り上手く演じれたかはとてもあやしいが…。
(帰ろう、きっとセシルが心配している)
扉の方に向く。
私はベッドに座りうなだれるルイスに振り返った。
「ぼっちゃま…早く、シャーリー様と結婚してくださいね。今度こそ本当の貴方の家族です。」
「ロリーも君も…まったく…もう俺は当主だ…ぼっちゃまと呼ぶな…」
「ふふ、では御機嫌よう。」
「じゃあ俺も最後に、君が欲しがっている言葉を言っておこうかな…」
「…?」
「『最低だ、君がそんな女だとは思わなかった。』」
「……さよなら」
私の中の最後の彼はあきれたように笑っていた。
それは今のルイスでもあったが、昔のルイスを彷彿とさせる笑い方だった。
私はドアノブを開ける。
「やっぱり、居たのね。」
かちゃりと閉め切った扉の前で立ち止まった。
見ればセシルが壁に座り込んでいて、その奥にはシャーリーが居て、その後ろにはいつぞやの侍女もいる。
「待っててくれてありがとう。帰りましょうか。」
「…貴方って人は…まさかとは思ってたけど突然いなくなるし、人のある所で話すのかと思えばこんなところに連れ込まれて、”あんなこと”言い出して…私の心臓がいくつあっても足りません…!!」
「まぁ!セシルの心臓がそんなにあるなら一つくらいもらってもいい?」
ふふ、とおどけたように言う私をセシルがそっと、でもぎゅうっと抱きしめる。
「全部差し上げますよ、ほら、今度こそ帰りましょう。」
体を離し、彼の手は私の頬をかすめてから私の手を取る。
シャーリー様を見ればなにやら気まずげな表情をしていた。
でももういい。
「ええ、帰りましょう。」
私は彼の手を握り返しそのままホールを後にした。




