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隠女






リーナは考えていた。


いっそここを離れてしまおうか、と。


とは言っても国外には出れない。出生率を上げるため、人口増加のために入国は緩いこの国も出るには特別手形が必要だ。

しかしこの国は前の国とは違う。


何倍、何十倍の国土を誇るこの国。

地方に逃げ込んでしまえば探すことは困難となる。

そうなればまた姿くらますことができる。





しかし今のリーナには、難しい選択だった。

仕事もあり、信頼できる人たちもいる。

さらにセシルの気持ちを知ってしまった今出て行けば与えたくもない誤解を招くに違いなかった。


条件的なことを言えばここはこの国の中でも比較的治安が良い。

逆に言うならば今からどこかしら向かおうとする地域は控えめに言っても穏やかな所ではない。

仕事もなく彷徨うかも知れない。


(でも…セシルに、迷惑はかけられない)


例えセシルが頼ってくれと言った所でロリーか、もしくはルイス本人がこの街にやってくるかもしれない。

あんなに愛しく思っていたルイスと会うことが今はこんなにも怖いだなんて数年前では考えられなかっただろう。





どうするか、決断しなければならない。

守ると言ってくれたセシル。

しかし、リーナはセシルに迷惑をかけたくない。無下にするのではない、セシルを大切に思うのならばセシルのためにも離れなければならないとも思った。








そんな日から数日。

なんの前触れもなく彼女はやって来た。











メイド長が珍しく青い顔をしてリーナを呼びに来るものだから何かと思った。

まるでいつぞやの母のようだと感じ嫌な予感がした。

セシルは今いない。

数日後に控える感謝祭の警備の会議があると城に出向いている。

応接間に入るよう促され戸惑いがちに扉を開けた。

入った瞬間、体が縫い付けられたかのように動けなくなった。








「何故、貴方が…?」






そこに居たのは、シャーリーだった。

ソファに座っていたのは先には身重であるはずのシャーリーとその横にはシャーリーの家からやって来ていた侍女だった。

あの日、窓から見た愛らしい少女が、今リーナの目の前にいる。

一歩踏み出してみるが、あまりのことにふらつきそうな足をなんとか踏ん張り部屋に入る。

しかし、そんなリーナの腕をメイド長がそっと支える。呼びに来ていただけと思われたがどうやら同席してくれるらしい。おそらくセシルの言いつけによるものだろう。

リーナはありがたかった。

今この少女の前で一人にされたら私はどうなってしまうか想像もつかない。




「どちら様でしょう。」



リーナとメイド長は向かいのソファに腰掛ける。やっとのことで出た声は掠れてしまった。



「ご存知でしょう?しかし、まぁ直接お会いするのは初めてですわね。隠さなくて結構です。父の協力で調べさせていただいておりますから…」



ぐっと、詰まる。

彼女は何もかもわかっているかのように余裕そうに微笑み、癖になったのかのような自然な動作で腹を優しく撫でた。



「シャーリー様…お初にお目にかかります。」

「エリー様もお噂と違ってお元気そうで何よりです。」




なにをしに来たのかを聞きたいのに、シャーリーが微笑み腹を撫でるたびに誰かに首を絞められているかのような苦しさで思うように話すことができない。

応接間として華やかなこの部屋でさえも今のリーナには色のないものに思えた。

暑くもないのに汗が出る。緊張か、それよりもっと嫌な汗だ。もはやリーナにとって既に彼女は目にすることも我慢ならないほどトラウマ的存在になっていたのかもしれない。



(何か聞かないと…)



一刻も早く帰って欲しい。

そのためには目的を聞かなくてはいけない。しかしいつまで経っても話せず、顔色を悪くしていくリーナ。見かねたメイド長のエリスが口を開いた。




「本日はどのような件で…?ご主人様も不在ですので出来れば早急にお済ませいただきたいのですが…」



淡々と媚びる様子を一切見せずにエリスはぴしゃりと言い切った。

礼節を弁える彼女の普段であれば決してしないような不遜な態度だ。



ただ、まずもって突然屋敷の主人の許しもなく押しかけてくることがすでに失礼なのだから彼女の言い分はもっともだった。

主人の留守を預かる者としてはこれくらいが普通なのかもしれない。

リーナは戸惑う思考の中でぼんやりとそう思った。


それ以前に屋敷に入れるのは驚いた。

普通なら主人の知らない人間を屋敷に入れることはないだろうが、おそらくこれもセシルと使用人達の間で何か決めてあったに違いないし、それは事実その通りだった。






「そうでしたわね。まぁ…ご挨拶、とご報告とお願いに参りました。」




彼女は腹を撫でるのをやめない。




「報告…?」



やっとのことで出た声はやはり掠れていた。

なんのことだ、お腹の子供のことなら聞かずともわかる。わかる、がわざわざそれを報告しに来たのだろうか。

目が合えばにぃ、と目を細めるシャーリーに悪寒が走る。




「ご挨拶は先ほどしたので…まぁ端的に言いますと離婚の書類、私の方で出しておきましたわ。無事受理されましたのでそのご報告を。」




するり、とまた彼女が腹を撫でる。



「離婚届…」



リーナが屋敷を出る時に置いていった書類のことだった。



リーナが失踪したことに初めに気がついた侍女が離婚に関する書類のみを先にシャーリーに渡したらしい。ルイスの欄はこれまた使用人で、よくルイスの代筆している者に書かせ提出したと彼女は嬉しそうに話して聞かせてくれた。

つまりルイスは離婚の書類の存在を知らない。そして受理されたと彼女は言う。






亡命の如く飛び出したリーナだが、いざ離婚が受理されたと聞かされて少し胸に穴が空いた心境だった。

しかし覚悟して出てきたのだ、ショックというほどではないのも正直な気持ちだ。

今更そんな紙切れのことなどどうでもいい。



「安心していただきたくて…エリー様は私とルイス様のことを思い身を引いて下さったのでしょう?侍女から聞きましたわ、私の来た朝に『ぽっと出は私の方だったのね』と気がついてくださったと。」



彼女は嬉しそうに語る。



「私、嬉しかったんです。屋敷に行くまでは本当に、不安で…虐められでもしたらどうしようとか余計なことばかり考えて…でもエリー様はわかってくださった。」



この部屋にはどうやら見えない壁がある。



純粋に語る彼女は頬を染め、お腹の我が子を慈しみながら前妻の行いに感謝しうっとりとした空気に浸りきっている。

私はそれをさめざめと見ている。

なんなのだこれは。



私が虐める…?



彼女は私が屋敷の使用人達に嫌われていたことを知らないのだろうか。彼女はあんなにも使用人達に好かれているのに。

この調子では薬を盛っていたのは彼女ではないのかも知れない。いや、それに関して彼女が黒幕だと思っていたわけでもないが、彼女のこの雰囲気に同情し、使用人達が立ち上がった結果なのかも知れない。

もしくは単に使用人達に嫌われていたからか。平民出の私だ。相応しくない理由はいくらでも考えられる。



ただわかるのはやはりあの屋敷は私の居場所ではなかった、ということだけだった。











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