年寄らずのパラダイス
序
夏の名残で日差しはきつかった。辻妻村の中央通り近くの公園に大勢の村民が集まり、いつもと違う賑わいを見せていた。役場の手配で水車公園内は折りたたみ椅子で埋められ、その席を老若男女が占めていた。マイクを通した司会者の声が、先ほどまでの村立中学校ブラスバンドの演奏曲を解説していたのだが、子ども向けに数曲連続していたアニメのテーマ曲の名前を言い間違え、その言い直しに慌てすぎて、すっかり裏声になっていた。
公園入口に横付けした公用車から、村長が降りてきた。黒塗りの車の周りで、警護の黒ずくめがサッと身構える。鷹揚な足取りの村長は邪魔くさそうに黒服をかき分けようとするが、そうさせてはならじと、黒い壁は村長と一緒に移動して公園の舞台に向かった。誰かが司会者に耳打ちしたらしく、それまでの上ずった声から、さらに緊張した声になってスピーカーが辺りに触れ回った。
「これより村長挨拶でございます。皆さま、たいへんお待たせして申し訳ありませんでした。ただいま村長が到着し、こちらに向かっているところでございます。もうすぐ皆さまの前に登場でございます。起立!」と合図があったのに合わせて、座っていた老若男女は立ち上がり、居ずまいを正して近づいて来る黒い壁を見やった。
一度目の出番を終えて寛いでいた中学生達は、急いで曲の準備に取りかかり、指揮者のタクトに集中した。振り下ろされた右手の棒先が、市歌の演奏を命じた。小太鼓の連打で始まった曲に、老若男女の声が重なり、式場は重々しく固まり出すのだった。
「………つまり、これまでのような解決の先延ばしではなく、明るい展望をもてるようなスピード感のある村政が求められていたのであります。そうした先延ばしのままにされていた課題の一つが、我が辻妻村の高齢化率上昇問題でありました。それが今ここに、完璧な解決を迎えることとなりました。このご報告ができますことを、村長として心からうれしく思うものであります。もう、我が辻妻村には、高齢化の心配はありません。この高齢化防止条例によって、健全で希望のもてる村政を手に入れたのであります………」
インターネットを介してのライブ画像が、水車公園の式典を映し出していた。それに見入っていた男たちから幾つもの溜息がもれた。男たちといってもちらほら女性も混じっていた。女性といっても、そこに居た全員が高齢者ばかりだったので、まとめて「老人たち」と言い換えてもよいのかもしれない。それに、溜息といっても、ブーイングの方がふさわしいほどの鼻息の荒さだったのである。
「ついに発表してしまったよ。どうしようもないな」
「議会の連中には、あれだけ何度も話しに行ったのに」
「条例反対の署名や街宣に、村民はよく反応してたはずだぞ」
「画面見てみなよ、映っているのはみんな殊勝な顔つきだぞ」
「そりゃ、そういう顔つきばかりを集めたんだろうさ」
「他の連中はどうしてるんだ?」
「そうだ、村民全員が村長支持なわけでもないだろう」
「他の連中と言われたら、ここに居るってことじゃないのか」
「まぁそりゃそうだが・・・」
「これ見てみろよ、これこれ、この顔、村民プールのボイラーの」
「そうだ、三本松のアサオだな」
「かしこまって座っているじゃないか、自分は大丈夫だって安心しきった顔つきだぞ、こりゃ」
「親戚に村長とつながる筋でもあるんだろう。そうでもなけりゃ、あの年までプールのボイラー係をしていられるわけがない」
パソコンを操作していた一人がキーを叩くと、画面中央に照準用十文字が現れて三本松のアサオにロックオンした。
「そうだ、いけいけ、やっちまえ」
「おい、何か飛び出すのか?」
「いいや、これだけ。今は自動照準だけだ」
「そのうちに、何かできるようにしといてくれよ」
「この高齢化防止条例のせいで、私らが追いやられていく一方になるのは、何とも気が収まらないわ」
「そうだ、一矢報いるってやつだな」
「おいその照準、村長に合わせなけりゃ」
「そうだな、よし」
すばやく動いた右手の指先が、村長の演説に戻ったカメラワークに合わせて照準を移動させた。ピピピの電子音が鳴り終わると、村長のこめかみは正確に捉えられていた。
スーツの襟にSKGを組み合わせた徽章が光っていた。黒ずくめの衣装の中でそのバッジが唯一目立っている。というよりも、全身真っ黒のいでたちはどこに居ても、そこだけ光が当たっていないように感じさせるので、見る者を陰気な気持ちにさせていた。だからこそ、そのわずかな金色が社会との交流の接点に感じられた。
「おい、今なにかの気配を感じなかったか」
袖口に仕込んでいたマイクに向かって小さく問い質す声。耳にはめ込んだレシーバーが、即座の応答した。
「周囲は異状なしです、隊長。今のところ、怪しい動きはどこにも感知されていません」
「何かこちらに狙いを定めている気配を感じたぞ」
「はあ、でも、気配と言われましても・・・」
「分かった気配のことはもういい。とにかく油断するな。われわれ村長警護隊には、一つのミスも許されないんだ」
SKGとは、村長警護隊の略語だったのである。
破
「………これまで上昇一方であった高齢化率のせいで、長らく、わが辻妻村は魅力に乏しい古びた村と見なされておりました。それは、全村民にとって、とうてい受け入れることのできない一方的な決めつけであったわけです。しかし、数字だけを見るなら確かに、そう思われても仕方のない現実はありました。であるならば、その誤解を、何としても正す必要があったのです。その修正こそが全村民の悲願でありました。そしてその悲願が、いよいよこの高齢化防止条例によって達成されることになったのであります………」
村長が演説をそこで区切り、会場をゆっくりと見渡した。それが合図になって会場内から拍手が起こった。最初はぱらぱらと頼りなげだったのだが、会場の横に控えていたブラスバンドの中学生が始めた拍手に引きずられるようにして大勢の拍手になった。指揮棒がきゅっと横に動いて、中学生の拍手はぴたりと止まり、会場の拍手もだらだらと止まった。
「………このほど、新たに村内のほぼ全域を、高齢化防止地区として指定させていただきました。この区域内にはもう、高齢者は居ないことになります。ですから当然、この指定地区内の高齢化率を計算し直しますと、これまでの計算結果と違って、たいへん小さな数字になります。この数字、ほとんどゼロと言っても良いこの数字がもつ意味には、とてつもなく大きいものがあります」
またしても村長が言葉を句切って間をとった。ブラスバンドはあいにくその時、次の準備で譜面を入れ替えていたところだったので中学生の拍手は間に合わなかった。ステージ横に居て慌てた司会者が、会場の老若男女に向かい頭の上で右手を振り回し拍手を促した。会場の全員はそれを見て、自分の右手を頭の上で回し出した。
パソコン画面でライブ映像を見ていた大勢の老人たちから、一斉に失笑がもれた。
「なんと情けない連中なんだ」
「自分たちが何をやっているのか、全然分かってないようだな」
「見ろよ、壇上で村長もあきれ顔になってるぞ」
十文字のマークにこめかみをロックオンされたまま、村長は半開きの口で絶句していた。
ステージ横を見やった村長の鋭い視線に、司会者は大いに慌てて今度は両手を下に向けて押さえつける身振りを始めた。頭上の右手回しを止めさせようとの合図だったのだが、会場の老若男女はそれに合わせて、全員が両手を下に向けて何かを押さえ出した。
SKG隊長からの指令が飛んだ。統率されたこの動きは暴動の前兆かもしれない。不測の事態に備えよ、と隊員のレシーバーはささやいた。さっと身をひるがえして、黒ずくめの集団は会場の四方に散った。それぞれの配置場所で各隊員は、黒スーツの胸ポケットに手を差し入れた状態で待機した。必要に応じて最適な制圧手段を用いるべし、との指令が発せられたのである。
「………もう、それはよろしい」
村長がそう声をかけると、それまで続けていた動きをいつ止めたらいいのか決めかねていた老若男女の困惑顔が、みんな一斉に安堵の表情になった。互いに笑顔で見交わして両手が戻された。黒スーツの胸ポケットからも、差し入れた手が戻された。
「………皆さんいいですか。今までと大きく変わっていくのは、高齢化率が下がったことで、好感度を増す我が辻褄村の姿です。これまでの村から脱皮して、若さあふれる活気ある村というのが、新しいイメージになるのです。そのイメージがこれからの新しい辻褄村として、対外的に定着していくことになるのです。どうですか、これは素晴らしいことではありませんか」
話をそこで区切った村長は、自ら拍手を呼び起こすつもりになったらしく、両手を胸前で上向きにし、何かをあおるように動かして見せた。それに合わせてステージ横の司会者は拍手し出したが、会場には司会者の動きを見ていた人がいなかったらしく、老若男女の拍手はそれに続かなかった。
いつまでも同じ手の動きで何かをあおり、ついに少し苛立ち始めた村長の様子を見て、舞台効果の担当者は自分の出番が催促されていると解釈した。この後まだ先のプログラム順だったはずの仕掛け花火に、点火のスイッチが入れられた。華々しい音と共に、ステージの両サイドから煙と光の固まりが何発も飛び出した。
予想外の花火に驚かされて浮き足立つ会場の人々を縫うようにして、身を低く構えた姿勢のままSKG隊員達が演壇の下でガードを固めた。目の前に急にできた黒い壁の物々しさに、いっそう浮き足だった会場から、声が上がりだした。
「どうしたんだ」
「何かあったのか」
「まだ話の途中なのに、なんで花火が上がってるんだ」
場内が騒然とし出した。黒い壁は、ステージ下で身構えた。胸ポケットに差し入れられた手の動きに気づいて、誰かが声を上げた。
「見ろよ、こっちに向けて何かしようとしている」
ライブ中継の画像に乱れが出始めた。映りの悪くなり出した画面だったが、老人達は食い入るように見つめていた。事態の思わぬ進展に驚いたのか、誰も声を上げなくなっていた。
「こっちに向けて、威嚇しているってことなのか」
「何をするつもりなんだ」
「まさか、狙い撃ちじゃないだろうな」
「そんなにビクついているのは、怪しいぞ」
「そうだ、心にやましいことがあるから、そんなにビクつくんだ」
「うちらのじっちゃんを、どこへやるつもりだ」
「一緒に暮らしていたのに、勝手によそに連れ出しやがって」
反乱の兆しを読み取ったSKG隊長は、自分の袖口に緊急の指令を発した。黒い壁から離れた一人が、舞台効果の席に走り寄って点火スイッチを全部切らせた。その間に黒い壁は凝集度を高め、背中合わせの間合いをぎゅっと詰めた。
村長が話し始めた。
「………皆さん、とにかく落ち着きましょう。この混乱は、何者かが仕組んだものに違いありません。ですから皆さんは、その策略に乗せられることなく、落ち着いた行動を取ってください。慌ててはいけません。何も心配なことは起きてません」
村長が両手を下向けにして、何かを押さえつけるような動きを見せた。会場を静まらせようとしたのだが、老若男女は、その動きに合わせて同じように両手を下に向けて動かし始めた。
「もう大丈夫です。もう心配要りません。それより気になるのは、先ほどの声の中に、おじいちゃんを返せと叫ぶものがあったことです。これは全くの誤解です。事実を曲げて世論を誘導しようとするものです。なぜなら、この高齢化防止条例は、一切強制的な方法は用いていないからです。実際に高齢化防止地区から退去する場合も、本人からの自主的な申し出によって実施されています。役場から、あなたはもう年なのでここには住めません、などと言って追い立てるようなことは、一切ありません」
会場から叫ぶ声が聞こえた。
「そんなこと言っても、高齢者の残る家からだけ、高い税金を取ってるじゃないか」
「誰だ、誰が言ってるんだ。すぐに調べろ、黙らせるんだ」
村長の怒声に反応してSKG隊長が袖口に話しかけると、演壇下のガードから離れた隊員二名が、声のした辺りに走りよって近くの席をぐるっとにらみ回した。先ほどの声に続く声はなかった。
冷静さを取り戻した村長が、再び話し出した。
「高齢者の生活環境維持には、どうしても受益者負担の要素が必要となってきます。しかしそれでも、直接、高齢者ご本人から徴収するのではなく、ご家族に負担してもらうように制度化しました」
次の声は、前とは別な場所から聞こえて来た。
「そのせいで、年寄りは家に居づらくなるんだよ。それを自主的な申し出とか言うんじゃないよ」
「こらっ勝手に話すんじゃない。正々堂々と顔を見せなさい」
「いやだね。そんなことをすれば、仕返しされるのに決まっているじゃないか」
「ほら、そっちから聞こえたぞ」
村長の指差しに合わせて会場の黒服二名は急いで駆けつけるのだが、着いた時には誰の声だったのか、分からなくなっていた。
何とか落ちつきを取り戻して、村長が語る。
「強制の事実はありません。というのも、何才から高齢者なのかを、条例では決めていないからです。つまり、自分が高齢だと自覚した人が自分で決めて、自ら高齢化防止地区から出て行くのです。誰も指図なんかしてないのです」
パソコン画面を見ていた中の一人が、隣の一人に話しかけた。
「あんなこと言ってるけど、自分から家を出て来たのかい?」
「俺かい?まぁそういうことにはなるんだが、それより、村はずれに立派なケアハウスが出来るからって誘われた方が大きいな」
「やっぱり、あんたもそうかい」
「みんな似たり寄ったりじゃないのか」
近くの何人もが、大きく同意のうなずきを返した。
パソコンに向かってキーボードを操作していた男が、複雑な組み合わせでキーを叩いてから、口元のヘッドセットのマイクに話しかけた。少し遅れてその声が、パソコン画面から聞こえて来た。
「家を出て行き場の無くなった年寄りを集めて、その後、どうするつもりなんだ」
画面には、会場内を走り回っている黒スーツの隊員の姿が見えていた。キーボードが押されるたびに、声の出所が変わり、そのたびに黒スーツは前後左右と振り回されていた。
「高齢化率の数字を見栄えよくするために集められ、計算が終われば用済みで、後は適当に野垂れ死んでくれってことなのか」
黒スーツの一人が、会場に敷かれたシートの合わせ目から小型のスピーカーを引っ張り出した。高々と掲げて村長に示すと、会場の老若男女からもどよめきが起こった。そんな人びとの表情と声が、パソコンの画面からも伝わって来た。
「皆さん、見てください。こんな卑劣なことが行われているのです。こうした策略を巡らせて人を操り、村内に不調和を広める動きに対しては、断固たる処置を下さねばなりません。このような動きは、今回の高齢化防止条例を逆恨みした一部の高齢者たちによるものと思われます。条例の意義をはき違えた、こんな過激な行動を放置しておくわけにはいきません。村の安全を確保するためには、この際、高齢化防止地区の指定地以外を、わが辻褄村から切り離すことにします。この介護重点地区の分離で、わが辻褄村は完璧な高齢化率ゼロの村に生まれ変わるです」
村長の宣言を聞いて、老人達はがっくりと肩を落とした。十数人分のため息が一挙に漏れ出た。
「ついに、そこまで言ってしまったか」
「いよいよ、完璧な姥捨て山だな」
「村の端っこを切り捨てるって言って、どこが引き取るんだ?」
「こんな老人ばかりの場所だもの、引き取り手はないだろうさ」
「それなら、あたしらはどうなるっていうのさ」
「さぁ、どこからも相手にされないまま、自然に消滅するその時まで放っておかれるんだろうな」
キーボード操作でメール受信の画面に切り替えた男が、気の滅入るため息話に割って入って来た。
「どうやら、少しは動きが出てきそうだ」
「えっ何、なんなの?どんな動きだい」
「こうなる前に先を読んで、いくつか手を打っておいた中の一つなんだが。ほら、この前まで村に来ていたアトゥサのつながりだ」
「ああ、あの養豚技術交流の留学生だったアトゥサか」
「彼からメールが来ている」
画面には、ひらがな書きのメールが大写しになっていた。
急
情報分析官から差し出されたコピーの文面を読んで、国際情報統括官はすぐに、外務省官房長に電話を入れた。その、ひらがなだらけの文章を読み上げるのには時間がかかったが、相手からの反応は素早かった。そのまま経過を追い逐次報告せよ。現段階では一切の介入を控えて、こちらの動きが相手に察知されないように。この件に関しては高度な政治的判断が必要になる。よって、地方から問い合わせがあっても、窓口となる総務省と連携して実質的な指示が伝わることのないように手配しておく、という返事であった。
辻妻村が村界の北辺を一部縮小したので、そこに切り離されて無帰属になった区域が生まれた。周辺市町村は、辻妻村からその区域を編入するように求められたが、高齢化率百パーセントの地区を受け入れるところはなかった。かくして、ぽつんとケアハウスが建っているだけの、かつては尾根先と呼ばれた小高い丘陵地帯が、いずこにも属さない孤高を構えることとなった。
周辺市町村から問い合わせを受けた県の総務課は、編入拒否をしても、よそから非難されないようなお墨付きが欲しいという各自治体の要望について国に相談を持ち掛けた。ところが、地方自治の担当課からは、まずは当事者間で話し合いを繰り返してほしい、と回答してきただけであった。今は地域主権の意識が大事な時代なのだから、まずは地方が率先して方向性を探るべきでしょう、などとお為ごかしを言い添えられもした。
それをそのまま問い合わせの市町村に返すには、いささか含羞の思いにかられた県の担当者は、二十世紀初頭にヨーロッパアルプス東南の寒村が、自分たちの帰属をそれまでの共和国から切り離し、遠く離れた公国に変えようとした例があったことを言い添えた。そのおまけの話の方が人から人に伝わって行き、尾根先の人々に届いた時には、彼らを勇気づける例え話に熟成されていた。
村長の分離宣言があってから、SKGには自警団としての任務も加えられた。隊員達は、村境に設置された何箇所かのバリケードで立番に当たり、交通遮断の役目を忠実に果たそうとしていた。
「ここから先はダメだ。誰も村には入れない」
「そんなこと言わないで、駅まで行く用事があるんだ」
「誰も通すなって言われている。特に山を下りて来るのはダメだ」
「お前、地蔵沼のとこのサトシの息子だろ?もうこんなに大きくなってたのか。顔つきもよう似ているわ。お前の親父を小学校で教えたのは、この俺だからな」
「そんなこと言われても………」
「いいか、面倒なところは省略して話すからようく聞いておいてくれよ。この上の尾根先はこの間から、マクロネシアにあるイリアナ共和国ってとこの物になったんだ。簡単に言えば外国だ。だからもしここで、何かトラブルがあったとすれば、それはつまり国際問題になるってことだ。この意味わかるか?」
地蔵沼のせがれは、もう一人のSKGに視線を泳がせた。
「これから駅に迎えに行くのは、イリアナの領事になる人だ。そのアトゥサ領事に無礼なことがあれば、あんたらは外交上の責任問題を追及されることになるんだぞ」
そう言い放った軽トラは道を下って行った。ゲート脇に残された黒服の二人は、無線での状況報告を思い出したようにし始めた。
自分の頭越しに予想外の展開を見せた事態を、村長は理解しかねていた。この前まで辻妻村の一部だった所が、今では立ち入ることもできない。自分から切り離した場所だったが、そこは隣町になるのではなく、外国のものになり、その国の飛び地になってしまったのだ。そんなことを、県も国も認めたというのが、どうしても納得できなかった。これには、きっと何か裏があるはずだ、と村長は考えていたが、その謎を解明するにはまだ、情報が少なすぎた。
村長はSKGを改組して、国境警備隊を編成した。何せ国境を接しているのだから、そういうものも必要だろう、と考えたのだ。略称はKKTとなるはずだったが、改名手続きが面倒なので「村界警備軍」としてSKGの略称をそのまま使うことにした。その隊員の中から選抜した数名を、尾根先の内情調査に差し向けていた。その一人だった隊長が緊急の報告を持って戻って来ていた。無線や電話の連絡は用心して使わないようにしていたのである。
「村長、先日尾根先に来ていたのは、国の役人でした」
日の入りの早まったある日の夕まぐれ、暗さに紛れて県の職員を伴って尾根先を訪れていた一行があった。それが外務省と経産省の官僚だったというのである。官僚の面会相手のイリアナ領事は、この前まで村に酪農実習で来ていた留学生だったことも報告された。何ともお手軽な話に感じられた。しかし、外務省はともかく、なぜ経産省なんだ、と村長はいぶかしく思った。
「これが、その時に交わされた協定文書のコピーです」
隊長はさすがに、抜群の働きをしたわけだ。そのコピーにはひらがなだらけの文が並んでいて読みにくかった。苦労して読んだその中の一行に、村長の目は釘付けになった。
「………とかくはいきぶつの受け入れをみとめさらに……」
「かくはいきぶつ?」
他に何か情報はないのか、と村長が催促すると、隊長はさらに一枚の地図を取り出した。それには、尾根先のさらに奥にあった廃鉱に大きな印が描き込まれていた。核廃棄物の埋設場所として、あの鉱山跡を使うつもりなのか。国内だと受け入れ自治体を探すのは難しいが、外国の土地となれば煩瑣な手続きを回避できるということなのか。村長は小さくうめいた。全ての交渉が、国と国の間の話として辻妻村の頭越しに行われたのは、裏に隠されたこうした目的を知らせないためだったのか。
「村長、これからどうしますか」
隊長からの問いかけに、村長の口は重かった。
「危ない物が運び込まれてはかなわない。尾根先に通じる全ての道路を封鎖して誰も通すな」
「そんなの無理ですよ。もう今ではイリアナ飛び地ツアーで、全国から大勢の人が集まって来ています。ということで、私も行きます。お世話になりました」
隊長は襟のバッジを外して立ち去って行った。
村長は知らなかったが、手軽に外国を味わえるというのがおもしろがられて、尾根先はすっかり観光地化されていたのだ。領事のアトゥサは、本国から与えられた権限を最大限に活用して、ケアハウスを領事館として使い、そこの老人達を領事館の職員に採用した。外交官の身分証を持ち国境を越えて各地に出向いた老人達は、イリアナ本国を宣伝して回った。以前からアトゥサに南国の島暮らしを聞いていたので、老人達は何度も行ってきたように、おもしろおかしく話して回った。連続開催の写真展も大入りで、来場した中から何人もが、その場でイリアナ移住を申し込んだ。アトゥサ領事は、そうした希望者にはすぐにイリアナの住民権を与え、尾根先に受け入れた。当然のことだが、そうして人口が急増したイリアナ飛び地は、それまで百パーセントだった高齢化率を一挙に下げた。
辻妻村でも、自ら高齢者であると宣言して、尾根先に移住する人が増えていた。高齢化防止条例では、そうした自主移住を拒むことはできなかった。村の人口は半減した。しかし村長の心配事は、身辺警護のSKG隊員たちが、こぞって移住してしまったことだった。あのな、何も知らずに大勢が集まっているが、あそこは核のゴミ捨て場になるんだぞ、と村長は叫びたかった。国と国がそんな約束をしているんだぞ、浮かれているけどいいのか、と。もし、それを言ったらどうなるのだろうか。
でも一方では、これだけ人が集まって来たなら、さすがに危険物は持ち込めないだろう、とも考えてみた。もしかすると、そこまで考えて、あのアトゥサは移住を積極的に受け入れているのか。そうだとしたらたいした知恵者だ、と村長は思った。辞めていった隊員達が残していったSKGバッジが村長の机に小山を作っていた。その中の一つを手にとった彼は、「こんどは私が、村民警護隊か」とつぶやいて、その金色を服の襟に付けるのであった。