誘拐
しばらく地平線に沈む太陽を眺め、青年は覚悟を決めて立ち上がる。窓をノックすると、すぐにシーラが出てくる。今まで頭上で行われていた戦闘は気がついていなかったのか、無邪気に青年を招き入れる。青年は招かれるままに、シーラの部屋に入る。昨日のようにお茶を出してもらうと、青年はようやく重い口を開く。
「俺はシーラを誘拐することにした。着いてきてくれるか?」
シーラは青年の言葉に、思わず吹き出す。
「普通の誘拐は、本人に許可なんてとらないのよ。」
「ああ、そうか。そうだよな。」
青年は恥ずかしさを紛らわすために、紅茶を一気に飲み干す。
「それで、着いてきてくれるか?」
シーラは、ゆっくりと紅茶に口をつける。
「せっかくだけど、やっぱり私はあの人と一緒にいようと思うわ。だって、あの人魔女のくせに寂しがり屋なんだもの。」
シーラはどこか諦めたように微笑む。
「確かに、今の生活は安定しているかもしれない。だが、その魔女は本当の母親ではない。本当の母親に会いたくはないか?」
「会えるの?!」
シーラは勢いよく立ち上がる。
「会えるかは、保証できない。シーラに魔法が有効だったら、もっと簡単だった。」
その言葉に、シーラは力が抜けたように再びソファに体を沈める。
「だが、絶対に会えないということはない。俺にも案はある。」
「本当?」
「まず、シーラのその不可思議な性質について徹底的に調べ上げる。そしたら、何かきっとシーラの生まれに関する情報にも結びつくかもしれないし、もしかしたら特定の魔法だけ効くようにできるかもしれない。」
シーラは探るように青年を見つめる。
「…そんなこと言って、やっぱりあなたも私で実験したいだけなんでしょ。」
「じゃあ、一つ条件を出す。俺はシーラが嫌がることは絶対にしない。実験も、シーラが協力してくれるときだけでいい。」
シーラはカップを両手で包み込み、紅茶に映る自分の顔を見つめる。
「まあ、そんなに焦って答えを出さなくてもいいさ。俺も、またここを立ち寄るかもしれないし。そのときにでも、着いて来てくれればいい。」
青年は窓から飛びたとうと、勢いをつける。
「待って!」
飛び立てなかったのは、シーラに腕を掴まれたからだった。
「私も連れて行って。」
「了解。」
青年はシーラの腕を引き、膝裏と背中に腕を入れると、窓から飛び立つ。すぐに落下してみるみるうちに地面が近づいてくる。シーラは恐怖で、声が出ない。急に二人の体は目に見えない力によって、上に持ち上げられる。そして、ゆっくりと地面に着地する。
「…いったい?」
「今のは上昇気流だ。」
青年はシーラを立たせると、森に向かって歩き出す。シーラもその後を追う。
「そういえば、あなたって何の魔法使いなの?」
「ほほう。"何の"と聞く辺り、伊達に魔法使いと暮らしてなかったな。」
「まあね。だいたい私を攫った魔法使い達は、勝手に話し出すんだけど、あなたは教えてくれなさそうよね。」
シーラは青年の顔を下から覗き込み、ニヤッと笑う。青年は困ったように、顔をかく。
「別に教えないわけじゃあない。俺は"数字の"魔法使いだ。」
「数字?それで魔法が使えるの?」
「もちろんだ。俺の目には、あらゆる数値が見えている。例えば、さっきシーラを抱えたときに増えた足にかかる重さや、この森の照度など、色々な数字が世界には溢れている。その数字を変えることで、魔法は成立する。」
「難しくてよく分からないけど、とりあえず私の体重をあなたは知ったようね。」
「平均より軽いくらいだ。ちゃんと食べているのか?」
シーラは旅立ち早々に、塔に帰りたくなってきていた。