Take it back
地下鉄の駅構内に駆け込む。
半円形のアーチを描く天井に、LED照明が輝いていた。眼前には、駅のホームにまで続く広く長い通路がある。壁と床は白を基調として色彩が統一されていた。また、通路に沿って円柱が林立し、その合間にベンチと植物が植わったプランターが配置されている。タイル張りの床には大小様々なゴミが散乱していた。
だが――異様なことに、通路の各所に土嚢や防弾バリケードが設置されていた。それらの障害物の上には固定機銃が置かれ、脇には弾薬箱や燃料缶が平積みになっていた。まるで戦時下の防空壕のような物々しさだ。また、バリケードや機銃の前には、破壊されたドローンの残骸が山積みになっていた。
どうやら軍はここまで来ていたらしい。考えてみれば当然だ。プロである彼らがこの地下鉄を見逃すはずがない。地下駐車場から地下街へ入ろうとしたように、軍はここに橋頭堡を築いたのだ。
駅構内には人っ子一人いなかった。大量のゴミや装備が放置されているのに、人間だけが消失してしまったかのようだ。構内を走る三人の足音だけが耳に響く。
照明が付いていることに内心安堵する。どうやら駅の電力は確保されているらしい。地下街の方とは動力系統が別なのだろうか? もしそうだとすれば、サーバーなどの情報インフラも隔離されている可能性があった。つまり、電子的に制圧されていない可能性がある、ということだ。電車が動かせる望みも大きくなる。
幸先の良い光景に胸が高鳴る。
だがそんな淡い期待も、駅のホームに入った時点で崩れ去った。
「そんな……電車が」
唯の呆然とした声。
駅のホームには電車が一両たりとも存在していなかった。二本ある乗り場の路線は、いずれも空だ。
どうして電車がない? 行きと帰りの路線があるのだから、最低でも一本は電車が残っているはずなのに。そこまで考えて、駅構内の状況と結びつける。
「そうか……電車を使って、退却したんだ」
「え?」
「ここは避難してきた人たちで溢れかえってたんだよ。だから軍の部隊は、電車を使って民間人を逃がそうとしたはず」
床に散乱しているゴミは、飲食物のそれがほとんどだ。かなり大勢がここにすし詰めになっていたのだろう。
「じゃあ、電車が一両もないのは」
「……きっと、大量のドローンがここに襲い掛かってきたんだ。だから軍は陣地を放棄して、民間人と一緒に退却しないといけなかった――」
バリケードの前に折り重なるドローンの残骸、その合間には兵士の遺体と思しきものも見え隠れする。装備品や同僚の死体を残しての退却だ、よほど急いでいたのだろう。それも全ての車両を使って、だ。
「電車は今、電力貯蔵施設側の駅の方にあるはず」
「もしかして……私たち、逃げられないの?」
みるみるうちに、唯の顔が血の気を失ってゆく。
「いや、まだ分からないよ」
改札口へ移動する。脇の駅員の詰め所へ入り、中を物色する。そして、「簡易管制室」と書かれた表札のある部屋を見つけた。
「鍵はかかって……ないか」
電子式のセキュリティはあったが無効化されていた、軍の工兵が細工したのだろう。
部屋の中に大型の薄型ディスプレイとコンソールが置かれていた。ディスプレイには地下鉄の路線図が表示されており、電車の現在位置が光点で示されていた。やはり二両とも、向こう側の駅にあるようだ。
コンソールに触れる。BMIデバイスとのリンクを確立、電車の操作画面が仮想視界に表示されたところで、小さくガッツポーズした。
「電車を動かせる、逃げられるよ!」
唯と浩太の顔に笑顔が戻る。自分も思わず小躍りしそうだった、ここまですんなり上手くいくなんて。
電車の行き先を指定し、決定ボタンを押す。こいつはAIによって操作が簡略化されており、人間がやることは意思決定と肉眼による確認のみだ。ダイヤの管理、速度操作、路線監視は全て自動でやってくれる。
電車が動き始めたことを告げるメッセージが出て、ディスプレイの路線図に変化が起きる。光点が路線に沿って、こちらの駅に移動しはじめた。
遠くで、何かがうなるような音がした。その音は徐々に、大きく、強くなってゆく。
なんだ?
詰め所から出る。駅のホームから通路に出て耳を澄ませる。後ろに二人が付いてきているのが足音で分かった。
獣のようなうなり声と何かが走るような物音が、アーチ状の天井に反響していた。大きい、今やそれらの音は、耳を聾するほどになっている。
これは――間違いない、ドローンが立てている音だ。しかし、なぜ今になってこんな反応を?
はっ、と肩越しに後ろを振り返る。電車の起動と活発化したドローン、その二つがつながる。
マズった。
「なあおい、これってまさか」
浩太の狼狽した声に首肯する。
「……ドローンだ。電車の走る音に釣られて……こっちに」
忸怩たる思いで唇を噛みしめる。迂闊だった、まさかこんな小さな音にまで反応するなんて。音以外の、例えば電磁気などにも反応しているのだろうか? いや、今はそんなことを考えてる場合じゃない。
「音……すごく大きいよ。ものすごい数なんじゃ……」
両手で耳をそばだてていた唯が、かすれた声を出す。唯の言うとおり、音からしてもとてつもない量のドローンが殺到しているらしい。今までのような、数体とか十体程度の規模ではない。百以上、もしかすると、地下街の大部分のドローンが……!
「今すぐこの線路を走って逃げるって手は使えないのかよ!?」
「無理だよ。このトンネルは十五キロもある、すぐに追いつかれる」
「じゃあトンネルを爆破するのはどうなんだよ!?」
「大深度地下の外壁に使われてるような建材を、この程度の爆薬で破壊しきれるわけないだろ!」
浩太の悲鳴混じりの問いかけに答える。人間の足では奴らからは逃げ切れない。それに大深度地下では猛烈な圧力がかかるため、外壁には特殊な素材が使われ、分厚く強固に作られていた。手持ちの爆薬量では厚みの半分まで穴を開けられるかどうか。
気付けば、二人の目がこちらに注がれていた。どうすればいい? とその目は問うている。
自分の役目を思い出す。今の自分はこの二人に指示を出す立場だ。
迷うな、行動しろ。
十秒ほど黙考し、対応策を決める。どのみち、こんな限られた時間でやれる事などたかが知れている。
「綾城さん、やってもらいたいことが二つあるんだけど、いい?」
唯がうなずいた。
「一つ目だけど、さっきの管制室で電車の状態を監視して欲しいんだ。電車が到着するまでの時刻をカウントダウンして、僕と浩太に伝えて欲しい。脱出のタイミングを見極めたいから」
「それで、二つ目は?」
「これを」
腰の物入れにしまっていた長方形の板状をした個人端末――爆薬の起爆装置を取り出す。
「これから爆薬を通路に撒くから、僕の合図で起爆して欲しい。ドローンの足止めをする」
機関銃の操作とドローンへの対処を行うのと同時に、爆薬の起爆までコントロールするのは今の自分には荷がかちすぎる。一瞬でも気をそらせば死ぬかもしれないのだ、役割はなるべく分散しておきたい。
「で、でも私、そんなことしたことないし……それに、もし私がミスをしたら」
自信がなさそうな様子で、手の中の起爆装置をもてあます唯。
「ドローンがここに来たら、僕にはそれを操作する暇も無くなると思う。だから……お願いしたいんだ」
自分の命を君に預ける、と言っているのも同然だった。こちらの言葉の意味の重さに気付いたか、やがて唯は了承した。
軽く起爆装置の使い方をレクチャーする。操作方法は基本的にBMIを通じて、頭で考えるだけだ。起爆時の合図と符丁を取り決める。
「なあ、直樹。俺はどうすればいいんだ?」
怪訝な顔で浩太が問う。未だに自分の配置が決まっていないのを不審に思っているのだろう。
「浩太は綾城さんのそばにいてあげて。もしドローンが管制室に入り込んできたら、撃退して欲しい。全部は引きつけきれないかもしれないから」
唯も運動神経は悪くないのだが、いかんせん銃の扱いが上手くない。その点、浩太はそれなりに戦える。こちらが耐え切れれば、二人が生き残れる望みはあった。
「――待って、引きつけるって、なに? それに藤宮君はどうするの?」
やはり唯は聡明で、非常に目ざとい。一番聞かれたくないことをピンポイントで指摘されるのは、正直たまらない。
「それは」
何とか誤魔化せないものかと思案するが、唯の顔を見て諦める。とてもではないが、自分のつたない話術でこの頭のいい少女を騙し通せるとは思えなかったからだ。
「僕のポジションはあそこだよ。できる限りドローンの数を減らして、同時に引きつける」
指さしたのはホームに続く主通路の一角、土嚢と機関銃が設置してある場所だ。
「……やつらの進路の真っ只中じゃない! 正気なの?」
そう、この主通路は真っ直ぐ、地下街の中央街に通じている。もしドローンが押し寄せるとしたら、ここを通り道にするはずだ。
「僕がここで、できる限りドローンを倒して時間を稼ぐ。僕らは電車がホームに入ってくるまで耐えればいい。電車が来たら、すぐに乗り込んで逃げる、簡単な話だよ」
「簡単って……そんな軽々しく、命がかかってるのに」
自分のこめかみを指で押さえる。時間が無い、どうにかして説き伏せないと。
「僕がこのポジションで戦うのは、生き残れる確率を少しでも高くするためなんだ。三人とも詰め所にこもったら、押し寄せるドローンをさばききれずに包囲されてしまう。できる限りドローンを近づけずに退路を確保するには、この通路の長さを利用して時間を稼ぐしかないんだ。だから――」
唯が不意に、こちらの服の裾をつかんだ。いつぞや見せた、あの幼子のような印象が蘇る。
「ダメだよ……こんなところにいたら……本当に死んじゃうよ……」
涙声で訴える唯。
懊悩する。だけど僕には、もうこれしか方法が。
そこで、意外なところから手が差し伸べられた。浩太が唯の肩をつかんでいた。
「武中君?」
「綾城、男が一度決めたことに口を挟むもんじゃねえよ。こいつだって、生半可な覚悟で言ってるわけじゃねーんだ。だろ? 直樹」
一瞬あっけにとられるが、口を引き結んでうなずいた。
二人がかりで説得されたためか、仕方なくといった様子で唯がこの場を離れる。一回だけ、肩越しに振り返るその目が悲しげだったのが、脳裏に焼き付いて離れない。
「直樹」
浩太が何か言いたげな顔で突っ立っていた。
「……さっきはありがと。僕だけじゃ綾城さんを説得できなかった」
「そのことは別に、礼を言う必要はねえよ。……それよりも、俺もお前に謝らないとな」
浩太が深々と頭を下げる。
「今までのこと、本当にスマンかった。俺も、謝って許してもらえるなんて思ってないけどな……これだけは言わせて欲しかった」
浩太が謝罪していることは、頭では理解できる。だが、あれだけのことを言われ続けて、そう簡単には許せそうにないというのが、今のところの正直な気持ちだ。
「どうして今になって、わざわざ謝ったんだ」
問うと、浩太の顔にバツの悪そうな表情が浮かぶ。
「……あんだけひどいこと言ったのによ、助けに来てくれただろ? その時、すげえ、って思ったんだわ。こんな時に、他人に命をかけられる奴って多くないと思う。……俺だったら、絶対に無理だ」
相手が恥ずかしそうに頭をかく。
「それに今言っておかないと、もう二度と謝れないかもしれないからな。それが嫌だったんだ。……悪ぃな、俺のワガママに付き合わせちまって」
浩太が背を向ける。互いに無言だ。
自分も持ち場につくべく、その場を離れた。
* * *
爆薬を通路に沿って設置してゆく。互いに誘爆しないように十分な距離を開けて、だ。余った爆薬は腰の物入れに突っ込む。
〈到着まであと四分〉
唯の声が頭の中に響く、BMIを使った近距離無線だ。土嚢のそばに戻り、設置してある重機関銃の状態を確認する。大口径弾を使用するこの銃は、人の胴を二つに引きちぎってしまうほどの威力を持つ。高度な反動抑制機構と火器管制装置が組み込まれているため、命中精度も高い。
銃把を握り、銃身の上をのぞき込む。レーザー光が目に照射され、宙に照準を示す印が表示される。
〈到着まであと三分三十秒……ね、藤宮君〉
名前を呼ばれたことに気付くまでに数秒かかった。
〈なに?〉
〈もし……もし地上に戻れたら、私〉
だが、次の言葉を待つ余裕はなかった。通路に異変が起こる。
「ごめん、話は後で」
無線越しに唯の緊迫した雰囲気が伝わる。
前方、二百メートルほど先に蠢く黒い影を目視。機関銃の照準に表示されている、測距計の計測結果を読み上げる。
「距離百五十メートル」
ここまで来て、照明の光が件の影を照らし出す。ドローンだ、それもすさまじく大量の。通路を埋め尽くす狂った機械の群れが、路上にあるものを蹂躙しながら近づいてくる。
恐怖のあまり、小便を漏らしそうだった。この場を捨てて逃げ出したくなる衝動を、自身を叱咤することで抑え込む。
「一番、起爆」
唯に指示を伝えると同時に、重機関銃のトリガーを引く。遠方で爆発、数十体のドローンが吹き飛ばされて宙を舞う。が、その後ろからさらに新手の個体が迫る。そこへ機関銃から放たれた火線が食らいつき、ドローンを次々と引きちぎってゆく。
機関銃から手に猛烈な振動が伝わる。鼓膜が破れそうなほどの射撃音と目が焼けそうなマズルフラッシュ。銃身が赤く焼け、温められた空気が立ち上る。
多すぎる。撃っても撃ってもきりがない。機関銃の攻撃はドローンに対して有効だが、それだって川を板きれ一つでせき止めようとするようなものだ。流れの勢いを殺すことはできない。
「距離百メートル! 二番と三番を起爆!」
立て続けに爆薬が炸裂する。群れの形がひしゃげ、爆発によってえぐれる。その隙間に機関銃の砲火をねじ込む。だがドローンの猛進は止まらない。破壊された同類の残骸を踏みつぶしながら、死の濁流が近づいてくる。
機関銃を抱えて持ち上げ、両手でぶら下げる形で後退する。そのまま射撃、強烈な反動で銃口が跳ね上がりそうになるのを手で抑え付ける。大口径の弾丸に両足を砕かれ、ドローンがもんどりうって倒れる。
「四番を起爆しろ!」
二十メートルと離れていない地点で爆発が起こる。頬をなでる硝煙混じりの風、ゴミや何かの破片が脇をかすめ過ぎる。爆風に乗り、二体のドローンが空中を飛んで迫る。
ドローンの腕が振りかぶられる。首をひねってすんでのところで回避、だが避けきれず、首筋の肉がえぐられる。同時に足にも打撃が加えられる。激痛が走り、思わず膝をついてしまう。ドローンはそのまま背後に遠ざかってゆく。
「抜けた! そっちに行ったぞ!」
浩太たちに注意を促しつつ、自身の状態を確認。足の骨は折れていない、まだ動ける。脳髄が焼けそうなほどの痛みで、激しく痙攣する腕と足。歯の隙間から苦鳴が漏れ、心臓が破れそうなほど早鐘を打っている。
とにかく撃つ、撃ちまくる。ドローンが千切れ飛び、脇に勢いよく転がってゆく。敵の頭を、腕を、足を、胴を粉砕する。
掴みかかってきたドローンを、機関銃を盾にして防ぐ。力負けしてたたらを踏み、機関銃を取り落としてしまう。すかさず腿から機関拳銃を引き抜き、フルオートで鉛玉をぶっ放す。
左手で最後の破片手榴弾を取り出し、ピンを抜いて素早く投擲する。同時に飛び退いて後退、拳銃をホルスターに突っ込みつつ、肩に引っかけてあったアサルトライフルを構える。手榴弾が爆発、赤い人工血液と、作り物の四肢が飛び散って床に落ちる。
頭上に影、ドローンの膨れあがった腕が振り下ろされる。身を投げ出して転がり、避ける。仰向けの姿勢で銃を照準、トリガーを引く。相手が倒れる、後ろからさらに新手が。横に転がって攻撃をかわし、飛び起きる。横から衝撃、抱きつかれたらしい。右腕に走る激痛、噛みつかれたか。左手でナイフを抜き、ドローンの頭に突き刺す。力が緩んだところで振り落とし、胴に向けてライフルを撃ち込んだ。
――気付けば、延々と横たわる残骸の只中に立っていた。全身には無数の擦り傷と切り傷、ボディーアーマーもボロボロだ。体をほんの少しでも動かすと、刺すような痛みが肌に走る。
全身の筋肉は疲れきり、腕一本も満足に上げられない有様だ。疲労のためか視界がにじみ、風景がかすんで見える。
第一波はしのぎきった、けど。
通路の遙か前方に何かが見えた。大きい、ドローンとは比べものにならない質量を持つ巨躯が、残骸を蹴立てて近づいてくる。
来た。
コンクリで作られた花壇の後ろに、スライディングの要領で滑り込む。通路の向こう、巨人――重外骨格の肩口で数度、フラッシュのような光が瞬くのを視認する。
通路脇の土嚢、その後ろに積み上げられた燃料缶に向けてライフルを照準し、撃った。缶は火花を散らしながら穴だらけになり、中から透明な液体が噴出する。
さらに撃つ、火花が液体に引火、炎のカーテンが瞬時に広がる。熱波が顔の皮膚を焼いた。
直後、炎の壁を何かが突き破った。合計三発。件の物体――誘導迫撃砲弾は火の玉となって蛇行し、電車のホームへと抜けてゆく。壁や床にぶち当たったそれは、爆発を起こして地面を揺らした。
ざまあみろ。
ほくそ笑む。あの手の誘導兵器は、赤外線または光学センサで誘導される。そこを炎で目潰しして、ロックオンを解除してやったのだ。もう一度撃ってこないということは、弾が切れたか。
が。
猛烈な衝撃、自分の体が宙を浮いていた。周囲には砕けたコンクリート片が舞っている。数瞬後、スローモーションになっていた世界が元に戻る。
地面に叩き付けられる。背中を強打したせいか、息ができない。酸素の切れた金魚のように口を開けながら、苦悶の声を絞り出す。
何、が?
頭がうまく回らない。視線を天井から転じれば、さっきまで自分がいた花壇が跡形もなく破壊されていた。砲弾を全て逸らしきれなかったか。
手をついて上半身を起こす。
炎のカーテンを引き裂いて、重外骨格が躍り出た。巨躯がこちらめがけて突っ込んでくる。
地面を転がって、辛うじて相手の進路から身をかわす。巨人の野太い腕が轟風と共に振り切られる。腕はコンクリート柱をかすめ、地面に突き刺さった。
柱には深い切れ込みが走っていた。同時に床から引き抜かれた外骨格の腕部には、高速振動する巨大な刃が出現していた。
高周波ブレード、自分が持っているナイフを大型化したものだ。だが、人間用に設計されているナイフとは違い、アレは同種の外骨格か、装甲車などに向けて使われるべきものだ。対人用では決して、ない。
巨人が目の前に立つ。圧倒的なまでの死の匂い。高周波ブレードにかかれば、人間の体なぞ豆腐も同じだ。頭か胴に当たれば即死、腕や足は簡単に斬り飛ばされてしまうだろう。
外骨格が再び腕を振りかぶる。もう無理だ、こんなの避けられっこない。そう思っていても、生存を望む体が本能的に動く。肩からナイフを引き抜き、両手で頭上にかざした。
鋭く甲高い金属音が響き、腕が痺れる。力を受け流しきれず、吹き飛ばされた。床をボロぞうきんのように転がる。
耳鳴りがする、まともにものが聞こえない。震える両手足でなんとか立ち上がる。まだ手足はついてる、なんて益体もないことを考えながら。
影がさし、視界が暗くなる。見上げれば、数メートルと離れていないところに、仁王立ちになった巨人の姿が。
どうして銃でひと思いに殺さない? 弾切れか、それともこちらを嬲って楽しんでいるのか。
再び振りかぶられる重外骨格の腕。下手投げの形に曲げられたそれが引き絞られ、強烈な力が蓄えられてゆくのが分かる。斬撃が受け止められたことを考慮し、避けようのない刺突を繰り出すつもりか。
万策尽き、諦めが胸中に広がってゆく。出せるものは出しつくした。目の前の敵を倒すための手立てなど無い。こいつには対人用の武器など通用しない。加えて、膂力もあちらの方が圧倒的に上、象とアリが戦うようなものだ。
〈到着まで三十秒!〉
唯の声。視界の隅に二つの人影があった。唯と浩太だ。駅員の詰め所から出てきたのだろうか、ホームの縁石の近くに立っている。
唯がこちらを見て、何か叫んでいる。耳が遠く、内容までは聞き取れない。が、その頬に大粒の涙が光っているのが分かった。そして、浩太が唯を力尽くで引き留めている。
ゴメン、どうもここまでみたいだ。
うまく笑えただろうか、顔の筋肉が引きつっていて自信がなかった。
――が、そこで唯の手元に目線がいった。爆薬の制御端末が握られている。
そして、今右手にある高周波ナイフと、腰のポーチに余った爆薬。
無謀とも思える作戦が頭の中で組み上がる。こんなもの、成功するのか? ダメだ、あのブレードを避けるなんて正気の沙汰じゃない。それに、これは唯と事前に打ち合わせなどしていない。もし彼女が気付いてくれなかったら?
そこまで彼女を信じられるのか?
巨人の腕が突き出される、冷たく光る刃が目と鼻の先に。考えている暇はもうない。
半身になって相手に正対する。避けきれない。ブレードが体に接触し――。
ボディーアーマーと服を巨大な刃が切り裂く。血の飛沫が飛んだ。手に持ったナイフをブレードに噛み合わせる。鍔迫り合いが起き、不快な擦過音が耳朶を冒す。
前に飛び込む形で前転する。視界が床と天井を一周し、巨人の股の間を抜ける。一回転した時点で、靴底が床をとらえる。腰を起き上がらせて、前にややつんのめりながらも立ち上がった。
即座に百八十度、身を返す。狙うは巨人の装甲が最も薄い部分、その背中。
背に飛びつき、しがみつく。こちらを振り落とそうと、重外骨格が上半身を揺さぶる。
遠心力で振り落とされそうだ。左手で装甲をつかみ、右手で高周波ナイフを突き立てた。激しく舞い散る火花、特殊鋼とセラミックスの複合装甲が切断されてゆく。
装甲を切り開いてできた穴に、腰のポーチから出した爆薬を無理矢理ねじ込み、信管を活性化させる。
左手が限界に達し、重外骨格の背中からずり落ちる。跳ね飛ばされる格好で床に投げ出された。
巨人がこちらを睥睨する。不覚を取ったことに怒り狂っているのか、その凶刃を再び振り下ろさんと――。
「起爆しろ!」
無我夢中で叫ぶ。
重外骨格の背中が爆ぜ、爆炎の花が咲いた。弾薬に誘爆しているのか、連続した轟音が鳴り響く。
糸の切れた操り人形のように、巨人が地響きと共に倒れ伏した。ゴムが焼けるような臭いが立ちこめる。
重外骨格の背部装甲が剥がれ落ちている、そこから見える中身には――何もなかった。無残に焼けただれた遺体も、肉片も、何一つない。がらんどうだ。
遠隔操作、その言葉が頭をよぎる。
ホームの奥から光が近づいてくる、電車が到着したのだ。白銀に光る車体が構内に滑り込んでくる。
脱力しきって呆けていたところを、強引に手を引っ張られた。左右を見れば、浩太と唯が自分の肩の下に手をさし入れて、体を支えていてくれていた。
前へつんのめるような形で、電車の中に転がり込む。三人して床に座り込むと、ドアが閉じて電車が発進した。
振動と共に駅のホームが遠ざかってゆく。駅構内に溢れ出したドローンたちが追いすがり、電車にとりつこうとするが、勢いに負けて次々と跳ね飛ばされてゆく。
助かった――その事実を確認して、安堵のあまり倒れ込みそうになる。
唯は自分の体にしがみついたままだった。胸元に顔を埋めるようにして頭を垂れている。
「……綾城さん?」
相手がいっこうに離れる気配がないので、声をかけてみる。
が、それが思いもよらぬリアクションを引き出した。
「馬鹿ぁっ!」
唯は顔を上げるなり叫んだ。目尻にうっすらと光っているのは涙だろうか。
数秒ほど、唯はやり場のない感情のぶつけどころを探しているかのように、唇をわななかせていた。そして再び、こちらの胸に顔を埋めてしまう。
「ホント……馬鹿……」
ひっく、としゃくり上げるような音を立てる唯。
脇に目をやれば、浩太が苦笑した体で首を振り、肩をすくめていた。
唯にかける言葉もなく、ただ為すがされるがままに、少女を胸で抱き留めているしかなかった。
* * *
はっ、と息を呑んで目を開く。視界に飛び込んできたのは、見知らぬ天井だった。板状のLED照明が輝き、つり革が揺れている。
体を起こす、ここは電車の中だ。ぼんやりとした頭で現状を整理する。
どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。ここまでずっと不眠不休で来たのだ、眠気も体力も限界だった。そのため、ほとんど気絶するような感じで眠りこけてしまったのだろう。
「眠れた?」
声の主は唯だ。長椅子状の座席に、唯と自分は寄り添うようにして座っていた。となると、自分は電車の座席に横になっていたのか――そこまで考えて、寝ていたときに感じた、後頭部の柔らかい感触に思い至る。
自分が座っている位置から、さっきまで自分の頭があったであろう場所を予想する。そこは唯の座っている場所と一致した。正確にはその太ももの上に、だが。
こちらの視線に気付いたか、唯がスカートの裾を押さえて顔を赤くする。
「あー……ゴメン、なんだか世話かけちゃったみたいで。膝枕、してもらってたんだよね?」
どうにも記憶が定かでないので、語尾は疑問形だった。
「その……気を失うみたいに眠っちゃったから。少しでも気持ちよく寝られるようにって……迷惑だった?」
「いや、全然そんなことないよ」
首を横に振る。むしろ今のが生まれて初めての膝枕でした――などとは口が裂けても言えない。
それきり、二人して黙ってしまう。どうにも気まずいというか、恐ろしいほどくすぐったい空気が流れる。
「もうすぐ着くみたいだぜ」
そこへ、浩太の声が割り込んできた。当人の口元には面白がるような笑みが浮かんでいる。端的に言えば、意地悪くニヤニヤしていた。唯はうつむいて小さく縮こまってしまう。
浩太の言葉通り、電車は減速していた。窓の外を流れる景色が徐々に遅くなってゆく。
「……分かった」
気恥ずかしさから、やや語調が強くなってしまう。立ち上がり、扉の前に立った。
ライフルの銃床を肩口につけ、扉の左脇に膝立ちする。座席と手すりのポールから右半身だけを出すようにして、銃を構える。
電車が駅ホームに突入し、停止した。ドアが自動で開く。扉の陰から身を乗り出すようにして、駅ホーム内に銃口を巡らせる。人の姿は、ない。ここまで来れば軍の兵士なりが居るかとも思ったのだが――もしかすると、地上に撤退したのかもしれなかった。
クリア、異常なし。後ろに続く二人に電車から走って出る旨を伝え、相手がうなずくと同時に駆けだす。
走って壁際まで移動し、二人が来るのを警戒しながら待つ。再び移動、今度は歩きながら、天井の行き先案内板に従って電力貯蔵施設の入り口を目指す。
入り口まではすぐだった。車両用と思われる巨大なゲートの脇に、人間用の扉が設置されていた。ただしそのどちらもが、分厚い装甲シャッターで閉鎖されていたが。
扉の脇には電子式のアクセスパネルがあった。背後を振り向いて、唯を手招きで呼ぶ。
「綾城さん、これ動かせるかな?」
唯は以前にここに視察に来たことがあると言っていた。なら、その時に設定されたIDがまだ生きているかもしれない。ダメなら爆破してこじ開けるしかないが。
神妙な面持ちでパネルに手をかざす唯。今の時代のセキュリティは、BMIと連動している物がほとんどだ。個人の神経網パターンを照合するため、偽造は不可能に近い。
やがて唯の顔が明るくなる。同時に、人間用の扉を覆っていたシャッターが開きはじめた。読みは当たっていたらしい。
シャッターが開ききると同時に、中に入る。
「出口はどっちの方向に?」
唯に尋ねる。思案顔で眉をひそめた後、少女がうなずく。
「搬入出用の大型エレベーターがあるの。たしかこっちだったと思う」
歩き出した唯の隣に並ぶ。曲がりくねった配管で覆われた通路を幾度も曲がり、やがて小さい非常扉に突き当たった。
ドアノブを回し、扉を開いた先は。
広大な空間だった。
天井までは百メートルほどもあるだろうか。半球の形をしたドーム状の天井に、無数の照明が光っている。また、天井には超大型の起重機が設置されており、これまた巨大で無骨なマニピュレーターが垂れ下がっていた。
そして床には、見上げるほど大きな円柱が林立していた。真っ白な塗装を施されたタンクのような物体が、見渡す限り並んでいる。
ここが電力貯蔵施設の中枢部分だった。巨大な円柱にはカーボンナノチューブ製のフライホイールが格納されており、磁力により真空中で固定されている。このフライホイールが超高速で回転することにより、電力を回転力として保存するのだ。そのエネルギー密度たるや、化学燃料の数十倍というとんでもない値だ。
そして高エネルギーを蓄えられる物体というのは、それだけで非常に危険な代物でもあった。超高威力の爆薬を大量に貯蔵しているのと同じだ。ここに設置されているフライホイールが全部破壊されれば、核にも匹敵するエネルギーが解放されてしまうだろう。
故に、このような電力貯蔵施設は人里離れた山奥の、さらに大深度地下に建設されるのが常だった。万が一にも事故が起こった際に、被害を局限するためだ。
「すげえなおい……」
浩太は周囲を見渡して、呆然としたようにつぶやいた。
非常口の横に設置してある階段を下り、床に降り立つ。はるか前方、今いる場所と対角線を挟んだ壁際に、巨大なゲートが口を開けているのが見えた。あれが機材搬入出用の大型エレベーターだろう。
機械と金属パイプで構成されたジャングルを進む。網状の金属で構成された床面に靴底が当たり、硬質な音が鳴る。
一瞬、視界を何かがよぎった。機械類の陰で何かが動く気配がする。
「誰だ?」
銃口を向け、誰何する。応答なし。人間か? それとも。
ゆっくりと、物陰の後ろに回り込むように横に歩く。そして自分が見たものは。
「……藤宮くん?」
耳朶を打ったのは、聞き覚えのある声だった。そして見覚えのある姿。
「――香織!?」
唯が相手の名前を呼ぶ。そう、そこにいたのは誰であろう、吉野香織その人だった。
「本当に香織なの?」
唯が香織の側に駆け寄る。後ろの浩太も同様だ。唯は香織に抱きつかんばかりの勢いで寄り添う。
「……良かった、本当に良かった。生きてて……」
「マジで吉野なのか……?」
口々に喜びの声を上げる二人。両人にもみくちゃにされて、香織がくすぐったそうに目を細める。
「……でも、どうやってここに?」
「あの後ね、なんとか駅まで一人でたどり着いたの。みんなの姿が見えなかったし、悪いと思ったけど、先に電車を使ってここまで来れたんだ」
三人とも、再会の喜びを隠そうともしない。唯は涙ながらに、香織の左手を自分の両手で握りしめていた。
だが。
自分は迷わずライフルを構え、銃口を向ける。その照準の先は――香織だ。
「二人とも、吉野さんから離れるんだ」
視界に表示されるターゲットマーカーを、香織の眉間にピタリと合わせる。
「ちょ、ちょっと、どうしちゃったの藤宮君?」
「何考えてやがる直樹!」
クラスメイトたちが非難の言葉を口にするが、そんなことには構っていられなかった。
「……ふ、藤宮くん」
香織は銃口を向けられ、はっきりと恐怖とおびえの色を見せた。わずかに罪悪感がじわりと広がるが、頭を振ってそれをかなぐり捨てる。
「……ねえ、吉野さん、一つ聞いてもいいかな?」
「な、なに?」
構図としては、か弱い少女をいたぶる暴漢そのものだが、構わない。
「軍用の外骨格に何度か襲われたの、覚えてる?」
「う、うん」
相手がうなずくのを見届けてから、言葉を舌に乗せる。
「最後にあいつに襲われたとき――あの時、吉野さんが失ったはずの左手はどうしたの?」
脳裏に焼き付いた光景――崩落する天井に巻き込まれた香織の体からは、確かに左手が失われていた。
だが、今目の前にいる相手には。
目の前の香織には、失われたはずの左手があった。
周囲に影が落ちる。頭上から何かが、風切り音を発して落下してくる。
とっさにその場を飛びのいた。次の瞬間、巨大な金属の塊が床をぶち抜く。耳障りな金属音と共に、床が波打ってたわむ。
床に突き刺さっていたのは、頭上の起重機から伸びるマニピュレーターだった。
「――流石ね。二人とも簡単に騙されたのに、藤宮くんだけは気付いた、か」
声がする。それはかわいらしい少女の声音だったが――そこにこもる感情は全くの別物だ。明らかな嘲笑と侮蔑が含まれていた。
床に刺さった金属の腕を挟んで、香織と唯が立っていた。香織の左腕は唯の首に回され、右手に握られた自動拳銃――唯の腰から抜き取ったものだろう――が、唯の頭に向けられている。浩太は先ほどの衝撃で投げ出されたか、床に横たわっていた。
「――そうか、君が」
再び、アサルトライフルを香織に向ける。その、醜く歪んだ愛らしい顔に。
「君がノイズメイカーか、吉野さん」
* * *
「……いつ気付いたの?」
「ついさっきだよ。君がここに現れるまで、分からなかった」
照準を香織の頭に合わせようとするが、相手は巧みに唯の頭を盾にしており、射線が通らない。頭を狙って撃てば、唯を殺してしまう危険があった。そんな博打はできない。
「考えてみればおかしいことはあったんだ。僕たちは地下街を逃げ回っている間中、幾度も待ち伏せにあった。こんなこと、こっちの位置を常に把握できてなければ、できないはずの芸当だ」
そう、電力が途絶え、センサーの類が死んでいたはずの地下街で、相手に居場所がばれていることがずっと謎だった。
「でも、吉野さんが居なくなってから状況が変わった。あの外骨格には二度も待ち伏せにあったのに、吉野さんが抜けてからは、待ち伏せにあうことはなかった」
駅ホームでの攻防戦において、外骨格はこちらがホームに到着した後に襲い掛かってきた。それ故に、なんとか生き残ることができたのだ。
「極めつけは、僕らが地下街で出会ったときだ。――どうしてあの時、僕と吉野さんが出会った瞬間にテロが起きた?」
そこまで話して、香織が笑った。声を立てて哄笑している。
「そう、名推理ね。確かにあなたたちの位置を知るのはたやすかった。何しろ当人が一緒にいるんじゃ、どうあがいても隠れることはできないよね――さて、お話の途中で悪いけど、その銃を捨ててくれる?」
口の端をつり上げて、アゴをしゃくる香織――ノイズメイカー。こちらがその言葉に従わない素振りがないのを見て、ノイズメイカーは唯の首をさらに締め上げた。苦悶が唯の口から漏れ出る。
「抵抗するのは得策じゃないと思うけど。かわいいクラスメイトの頭が吹っ飛んで、脳味噌が飛び散るのがそんなに見たいの?」
ぐり、とハンドガンの銃口が、唯のこめかみに食い込む。
「それとも、そこに倒れてる無様な男がぺしゃんこに潰される方がお好み? 言っておくけど、頭上の起重機の制御権は私が握ってるから」
「なら、どうして今すぐ僕たちを殺さない? その方が簡単だろう」
「貴方は銃を持ってるし、最悪相打ちになるかもしれないでしょ? 私は撃たれるのは好みじゃないの。だから最も確実な安全策をとっている、ただそれだけ」
銃口を向けられているというのに、ノイズメイカーの顔には恐怖など微塵も浮かんではいない。むしろこの状況を楽しんでいるようにさえ見える。
「ど……うして? 香織、どうしてこんなことを?」
息も絶え絶えに、唯が背後の相手に語りかける。
「黙っててくれない? 私、あなたみたいな優等生面した女が大嫌いだったの。自分だけ清純で、汚れていない様を装うような手合いがね」
それに、とノイズメイカーが続ける。
「いいことを教えてあげるけど、吉野香織なんて人間ははじめから存在しない」
「――え?」
「今の世界は、個人のアイデンティティを電子情報によって担保している。だから、例えば政府の国民情報データベースを改ざんするだけで、簡単に架空の人物を生み出すことができる」
「そんな……」
「友達ごっこはもう終わり。私、あなたのことが反吐が出るぐらい嫌いよ」
クスクス、と、唯の苦悩を楽しむかのように笑う。
「で、どうするの? その銃で私を殺す?」
唯の頭に突きつけられている拳銃、その引き金が少しずつ引き絞られてゆく。
銃を捨てれば、確実に相手に殺されるだろう。だが今銃を捨てなければ、唯が死んでしまう。
二人を犠牲にして自分だけ助かるか。それともわずかな時間でも、唯が生き延びられる時間を稼ぐか。
一瞬の逡巡の後、決断する。
「分かった、銃を捨てる。だから綾城さんを撃たないでくれ、お願いだ」
アサルトライフルを床に投げ捨て、両手を上げる。唯が驚きに満ちた目で「どうして」、と問いかけてきているように思えた。
――僕は一分一秒でも、君に長く生きていて欲しいんだ。
「拳銃もね、あとナイフも。それと、念のために武器を全部蹴り飛ばして」
相手の言葉に従い、腿のホルスターと肩の鞘から拳銃とナイフを抜いて床に放る。床の武器をまとめて、足で脇によける。
ノイズメイカーはこちらが丸腰になったことを見届け、満足そうに邪悪な笑みを顔に浮かべた。
――どうすればいい。もう武器はない。今一瞬でも変な動きを見せれば、一瞬で殺されるだろう。
狂おしいほどの焦燥を感じながら、頭の中で考えを巡らせる。
とにかく、時間を稼ぐしかない。わずかでも生き延びるための時間を。時間を稼ぎ、その間に何か突破口を見つけないと。だが、どうやって。
頭をフル回転させる。耳の中で音が聞こえるほど心臓が鼓動し、額にじわりと冷や汗が噴き出す。
何か会話をつなげるしかない。相手の興味を引き続けることができれば、それだけ生きていられる時間が長引くかもしれない。
やるしかない。
「……僕を殺す前に、いくつか答えてもらいたいことがあるんだけど」
こちらの言葉に、ふうん、とノイズメイカーが感心したように声を漏らす。
「命乞いしないの? 見上げた精神力ね。でも、私がどうして貴方の質問に答える必要があるの? どうせ死ぬのに」
「どうせ殺すんなら、その前に少しぐらい話をしたっていいんじゃないか? 僕だって何も分からないまま死にたくない。それに、ここでの会話が外に漏れることはないし、そっちの損にはならないと思うけど」
これは賭けだ。この様子からして、相手のプライドは相当に高そうに思える。どんなことでも自分が主導権を握らないと気の済まない手合いだ――なら、その完全に制圧しているはずの相手から挑発を受けるのは我慢がならないはずだ。そうなれば、こちらの話に乗ってくるかもしれない。
にい、とノイズメイカーが顔をゆがめる。
――こちらの意図を見透かされている。じわりと、灼けるような痛みが胸に走る。
「ま、いいわ。すぐに殺すのも味気ないし。ちょっとだけなら貴方のゲームに付き合ってあげてもいいかな」
こっちの真意を知った上で、話に乗るということか。自分とそのスキルに絶対の自信があるのか。それとも、二重三重の安全策を確保してあるのか。あるいはその両方か。
どちらにせよ、最悪な状況であることには変わりなかった。
「……なら、一つ目の質問だ。お前らは自分たちのことを先駆者と名乗っているけど、先駆者とはどういう存在なんだ」
まず相手の核心に迫る話題を放り込む。これでなるべく相手から話を引き出し、時間を稼ぐ。
「先駆者とは、旧来の人類より優れた資質を持つ人類種のことね。私もその一人」
「それって、単なるスローガンとか、イデオロギーなのか?」
ノイズメイカーが嘲笑う。
「いいえ、物理的に、よ。私たちは現行人類よりもはるかに優れた能力を持っている。今の人類の先駆けとなる存在、だから自らを先駆者と呼称してる」
「信じられない、そんなの。だいたい、そんな存在がいるなんて証明もされていない」
「当たり前よ。世界の国家は私たちの存在に気付いてて、それをひた隠しにしているもの。その情報統制が破れるのも時間の問題だろうけど。私たちは今の状況の方が都合がいいから、自分たちのことをあえて世界に向けて知らせていない、そういうこと」
「口だけなら何とでも言えるだろ、証拠はあるのか」
「証拠? そうね――」
ノイズメイカーが挑戦的な笑みを浮かべる。
「先駆者とは、『思考をデジタル化した人類』のこと、とでも言えば分かりやすいかしら」
思考をデジタル化? そんなの――。
「不可能だ」
切って捨てる。
「どうしてそう思うの?」
「思考をデジタル化するって事は、人間の精神を電子デバイス上で動かすっていうことだろ。そんなこと、誰も成功していない。第一、そんなことができるハードウェアは存在しない」
人間の精神、魂と呼ぶべきものは、人間の脳、その神経の配線に宿っている。そこに込められた情報は膨大かつ複雑だ。それら全てを精密にシミュレートするには、とんでもない演算能力が求められる。
だが、そんな自分の反論を、相手は鼻で笑っていた。
「ハードウェアならすでにあるわ。誰もが持っているそれを、後は利用すればいいだけの話」
「誤魔化すな、そんなものあるわけが」
ノイズメイカーが、ハンドガンを持つ右手の親指で、自らの頭を叩いてみせた。
「――ナノマシンネットワーク。こいつは人間の神経網に深く絡みついている。そう、人間の神経網を模倣する形でね」
一瞬、息が止まった。
「ナノマシンネットワークは、神経網の配線という形で人間の精神情報を保存している。後はそれを『目覚めさせてやればいい』だけよ」
言葉が出ない。そんなことが可能なのか?
「思考のデジタル化は様々な恩恵をもたらす。思考の高速化は言うまでもないけど、それ以上に知性が大幅に強化される。デジタルに翻訳された人間の精神情報は、後からいくらでも書き換えが可能になる。あたかもプログラムのソースコードを書き換えるようにね。だから、自らの思考ルーチンや思考プロセスを、よりすぐれた形に『改良』することもできる――これが、私たち先駆者が現行人類よりはるかに優れている理由よ」
かつてクラスメイトだった少女が、咲き誇る毒花のような笑みを浮かべる。
「口だけならなんとでも」
「証拠もあるわ。私たちが『それ』であるという証拠が。……私がこの騒動を引き起こした理由、覚えてる?」
理由? そういえば、以前にメールで。
「……確か、仲間を増やすとか何とか」
あんなのはでまかせだと思っていたが。
「そう、私はこの場で、我々のような存在を生み出す技術、その実地試験を行ってきた――嘘だと思っていたみたいだけど、あれは事実だから」
「だけど、その実験も失敗に終わったみたいだな。こんな有様になってるんだ、成功もクソもないだろ」
精一杯悪意を込め、皮肉げに笑ってみせる。
だが。
「失敗? いいえ、大成功だった」
ただし、とセリフの後に言葉が付け加えられる。
「私も予期した以上の成功をおさめてしまったがゆえに、事態が私のコントロール下を離れてしまったけど」
ノイズメイカーの目が細くなる。何かに陶酔しているような――それでいてどこか冷めたような光を浮かべて。
「私はこの地下世界という実験場で、我々と同種の存在を生み出す技術を試し、その対象となった被検体が現行人類よりも優れた能力を持つことを、極限状況下におけるストレス試験によって証明した。その被検体――実験によって生まれた成功体が」
ノイズメイカーの持つ拳銃の銃口が、こちらに向けられる。
「あなたよ、藤宮直樹」
一瞬、相手の言葉が理解できなかった。そのぐらい、あまりにも唐突だった。
「なにを訳のわからないことを――」
思わず言葉を詰まらせる自分に対し、ノイズメイカーが小馬鹿にしたように薄く笑って首を振る。
「おかしいとは思わなかったの? あなたは、地下に突入してきた軍の兵士たちの末路を知っているはず。体を機械化し、猛烈な訓練を重ねてきた屈強の強化兵ですら命を落とすようなこの地獄で、貴方はどうして生き残ってこられたの?」
そんな馬鹿な、そう否定しようとして思いとどまる。
ここに来る前、学校での僕はどうだった?
運動もろくにできず、実戦経験どころか銃さえも握ったことのないような人間が。
どうしていきなり戦うことができる。
「このテロ事件が始まる前と、始まった後の貴方には明らかな差異がある。突然思考が明晰になり、いかなる極限状況下でも最適の選択肢を間違いなく選び出し、肉体を完璧に制御してその選択肢を実行に移す。こんなことが、今まで実戦を一度も経験したことも無いようなただの高校生に可能だと? ましてや、ネットゲームでの仮想戦闘経験を、現実に持ち込むなんて事が生身の人間にできるとでも?」
呆然と話に聞き入る。
どうしてそんなことを見落としていたのか――いや、違う。考えないようにしていたのだ。
非日常に放り込まれ、怪我と疲れで回らなくなった頭を言い訳にして、明らかにおかしいことを放置して、自分に都合良く解釈していた。
訓練された兵士が死に、生身の素人が生き残る。
そんな道理があるはずがない。
「……それなら、なおさら僕を殺すのはまずいんじゃないか? 貴重なサンプルなんだろう? 実験結果の」
ノイズメイカーが鼻で笑う。
「それで? 貴方が私たちの仲間になるとでも? そんなつもりもない人間を信用するわけないことぐらい、分かってるでしょうに」
そういうことか。こいつはたとえ自分と同種の存在でも、自分の役に立たなければ切り捨てると言っているのだ。情など不要、あるのは実利のみ。
ここまで話を聞いて、ある程度事情に合点がいった。こいつは全ての証拠を隠滅するために、自分たちを狙っていたのだ。大規模な情報テロによって大勢の死者を生み出すことで、僕たちの死という事実を塗り潰す。テクノロジーをテストした後に、その被験者の口を封じることで、情報が漏れるのを防ぐ。人一人の死を偽装することは、現代社会では難しい。なら、大量の犠牲者を出すことで、その人間の死を隠してしまえばいいと、そう考えたのだろう。
――だけど、ここまで時間を稼いでも、有効な打開策は思いつかなかった。
武器は足下で、自分は丸腰。後ろにいるであろう浩太は、天井から振ってきたマニピュレーターに危うく押しつぶされそうになって、腰を抜かしているだろう。
そして唯は――そのこめかみに銃を突きつけられたままだ。相手の話が本当なら、ノイズメイカーも常人より優れた反射神経をもっている。もし少しでも迂闊な動きを見せれば、彼女の命は。
ダメだ、何も思いつかない。本当に僕は、さっきの話のように変化したのか? 普通の人間より優れた思考ができるようなったっていうのか? 冗談じゃない、助かる方法なんて思いつかないじゃないか。
己の無力さがひどく歯がゆい。何もできないのか。これじゃあ、学校で惨めな思いをしていたときと何も変わらないじゃないか!
どす黒い絶望が胸の中に広がりかけたとき、ノイズメイカーの腕に拘束されている唯と視線が合った。
唯は冷や汗を浮かべ、怯えを必死に抑え付けているかのように、体を震わせていた。首に腕が食い込み、苦悶の表情を浮かべていたが――。
唯と視線が交差する。
その目に宿る光は、まだ死んではいない。
「――本当に、かわいそう」
唯がつぶやく。その言葉に、ノイズメイカーが怪訝な顔をする。
「誰かを憎んで、いっぱい殺して、そんな生き方しかできなかったの? 誰も信じられなかったの?」
唯の首がさらに強く締め付けられる。苦しそうにあえぐ懐中の少女に、ノイズメイカーが顔を近づける。
「そう言う貴方はどうなのかしら。学校でも周りと壁と作っていたじゃない? むしろ誰も信じていないのは貴方じゃないの?」
せせら笑う。
「――私は、あなたとは、ちがう」
息も絶え絶えになりながら、それに抗うように言葉を紡ぐ。
「私には、信じられる人がいる」
ガッ、と乾いた音が立った。唯が後頭部を、思いっきりノイズメイカーの顔面にぶつけたのだ。
ノイズメイカーがたたらを踏み、その拘束が緩む。唯はすかさず、そのいましめを強引に振り払った。
――どうする? 唯が作ってくれた一瞬の隙、これを生かせなければ全員が死ぬ。
だが武器は? 手持ちの武器は全て床、それも十メートルも離れた地点にあった。地面に飛び込んで、銃を引っつかんで反撃するか? いや、ダメだ。奴を銃で撃つまで数秒はかかる。それだけの時間があれば、あいつは自分たちをまとめて射殺できる。
こうなれば、あいつに飛びかかって接近戦を挑むべきか。だが、ノイズメイカーがナイフの類を隠し持っていたら。もしくは、飛びかかるまでに撃たれたら。
ほんのゼロコンマ数秒の間隙、刹那の間に永遠にも思える焦燥を覚える。
その時、首筋に風を感じた。産毛がほんのわずかにそよぐ程度の微風だ。もしかしたら、という考えが頭をよぎる。
後ろは見えない、確認している暇もない。本当にやるのか? だがもう、これしかない。
体をひねり、真後ろを向く。粘つく大気と、緩慢に流れる時間の中で見たものは、空中に浮かぶ一丁のアサルトライフル。その後ろには、何かを投げるようなモーションで固まっている浩太の姿が。
銃把に指をかけて握りしめ、空中で再び体をひねる。片手で銃口をノイズメイカーに向けた。
当のノイズメイカーは拳銃をこちらに照準していた。その顔は――憎悪と喜悦に歪んでいるように見えた。
引き金を絞ると、ライフルから弾が吐き出された。弾痕が床をなめ、火線がノイズメイカーの右半身を駆け上がり、頭部へ抜けた。血と何かの破片を振りまいて、かつてクラスメイトだったモノがゆっくりと崩れ落ちてゆく。
地面に投げ出される。背中を痛打し、息が詰まった。数秒ほど苦悶のうめきをもらして体を起こすと、唯が近くにいた。
唯に抱きつかれる。痛みと疲労で呆けている自分に、唯がささやきかけてくる。
「ありがとう……私のこと、信じてくれて」
震え、今にも泣き出しそうな声が耳元で聞こえる。
そして浩太は、ノイズメイカーの亡骸を背に立っていた。うなだれ、その視線は地を這っている。
「悪ぃ……今は放っておいてくれねえか。まだ、信じられねえんだわ……」
自分は黙って、浩太にうなずき返した。
胸中に、わずかに苦いものが広がる。人を一人殺したという事実が、今さらながらに実感を伴ってきたのだ。だが不思議と罪悪感はなかった。
が。
――おめでたい連中ね、これで終わりだと、本当に思っていたの?
一瞬、自分の耳を疑った。だが、唯と浩太の反応が、先ほどの声が嘘幻などではないことを物語っている。二人の目は、確かに死んだはずの少女の亡骸に向けられていた。
ライフルを手に取って立ち上がり、銃を構えながらゆっくりと死体に近づく。損壊しているであろう人間の死体を見るのには抵抗があったが、そんなことも言っていられない。
ゆっくりと息を吸い、吐いて、床に横たわる死体を見据える。
死体の左半身は血に染まり、点々と穿たれた弾痕からは血の筋が噴き出していた。顔は、左半分がこそげ落ちたようになっている。その合間の断面から見え隠れするのは。
金属光沢を持つ金属の部品と、何らかのコードと思しき線だった。
「……ドローン。ということは」
脳裏である事実が符合する。破壊された重外骨格の中身は空だった、それはつまり。
「遠隔操作――そうか、お前は、最初からここにはいなかったんだな」
どこまでも、人を馬鹿にしたやつだ。
確かに道理は通る。こんなクソみたいなテロリストが、いかに重要な実験だからといって自分の命を危険にさらすはずもない。
「そういうこと、私を殺せなくて残念だったわね」
目の前の人形がにい、と笑う。
すぐにでも脱出すべきだったが、まだ聞いておくべきことがあった。
「……最後に一つだけ答えろ、なぜ僕を選んだ? なぜ僕なんだ?」
答えるのを拒否されるかとも思ったが、相手は小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、口を開く。
「私に一応勝った報酬として、それぐらいは教えてあげる。脳内のナノマシンネットワークが脳神経網の代替として機能するには、ある一定以上に、ナノマシンネットワークが発達している必要がある。そして、ネットワークがその水準まで発達するには、ある特殊な病気を患っている必要があるわ。――一度全身の神経が壊死した人間は、ナノマシンによる代替もたやすい」
「――僕は昔、神経の病気を患っていて、全身の神経をナノマシンで修復した。それが理由か」
「それは必要条件でしかない。ネットワークを発達させるには、それを使い込む必要があるから。その条件を満たし、かつ実験しやすい素材としてたまたま貴方を選んだ、ただそれだけのことよ。」
「ネット上で僕のことを監視していたのも、それが理由か」
ノイズメイカーと思しきプレイヤーに、仮想戦場で倒されたときのことが鮮明に思い出される。
「プレイヤーの行動を統計分析にかけて、適性のありそうな人間を選び出し、実験のお膳立てをしたのよ。貴方にできうる限り負荷をかけるためには、知人やクラスメイトを守らざるを得ない状況に追い込むのが最も手っ取り早かった。貴方、他人を見捨てられない性質でしょ?」
癇にさわる笑い声をあげる人形。もうたくさんだ、こんな場所からはとっととおさらばするべきだ。
地面に転がっていた装備を回収して、浩太に銃を返す。そして「行こう」と二人に呼びかけた。
「最後にもう一つ、いいことを教えてあげるわ」
背後からの声に、思わず足を止めてしまう。
「――私たち先駆者の存在を、世界各国の政府や組織はすでに察知している。いずれその手が貴方にも伸びる。私たちと同種になった以上、貴方はもう以前のように生きることはできない」
何がおかしいのか、言葉の合間に嬌笑が混じる。
「私たちのような存在が、そういう組織からどんな扱いを受けるか知ってる? 貴方も私と同様に地獄を見ることになる。――貴方には分かっているはずよ? 虐げられる人間の境遇と運命が」
恍惚とした声音で語り続けるノイズメイカー。だが、いつしかその声には、隠しようのない憎悪が混じっていた。
「私は奴らに必ず復讐する。既存の世界を壊して、全てに報いを受けさせてやる。――だけど、貴方は地獄を見るといいわ。もし、ここから生きて出られたらの話だけど」
異音に気づき、周囲を見渡した。ドームの端にある通用口や非常口が、次々と弾け飛んでいた。ぽっかりと開いた暗闇の中から、ドローンが大量に這い出てくる。
「追いつかれたぞ!」
狼狽した浩太の声。だが、異変はそれだけにとどまらなかった。周囲にある電力貯蔵器の合間で紫電がほとばしり、静電気が周囲を満たす。
「何をした!?」
人形が地面でけたたましく笑い、痙攣を起こしたかのようにビクンビクンと跳ねる。
「貯蔵されていた電力を互いに逆流させただけ。いずれ内部の回転体を保持している磁場が不安定になって――そうね、小型核並みの爆発が起こる」
ぎり、と奥歯を噛む。何重にも保険をかける、これがこいつのやり方か。
「はやく!」
二人を叱咤し、自らも駆け出す。
「さようなら、もう二度と会うこともないだろうけど」
呪詛のような声音が耳朶にまとわりついた。死神の手めいたそれを振り払う。
金属の床をやかましく蹴立てて、ドーム内を横断する。強烈な電光が四方八方に伸び、カメラのフラッシュのように周囲を照らす。
ドームの一角に開いた、巨大な開口部に駆け込む。そこには超大型の機材や重機を搬入するためのエレベーターが鎮座していた。エレベーターの先には地上に続く、長大な坂道が続いている。
エレベーターのフェンスに取り付けられているタッチパネルを、指で叩き付けるように操作する。警告灯が回転し始め、エレベーターの入り口が下からせり上がるフェンスで閉鎖された。
重厚な動作音と共に、エレベーターが上昇を開始する。眼下には、こちらに追いすがってくる大量のドローンが見えた。
「浩太、綾城さんを」
浩太が強張った顔でこくこくとうなずく。唯の表情は――確認している暇はなかった。ドローンが這い上がってきたのだ。
撃つ。ドローンは銃弾で手足を断ち切られ、奇声を発しながら落下した。
後続が間を置かず這い上がってくる。再び撃つ。だが数が多すぎた。撃ち落とすそのそばから次々と出てくる。
隣で銃声、浩太がライフルを撃っているのだ。こちらも合わせて撃ちながら後ろに下がる。
ひしめき合いながら、こちらへの距離を詰めてくるドローンの塊。まるで津波だ。
――まだ着かないのか!
頭上を仰ぐ。地上へ続くトンネルの終点は、まだ見えない。
そこで、トンネルの中をリング状の光が駆け上がっていった。壁面を沿うように、稲光を散らしながら、猛烈な電流が伝わってゆく。
続いて大地震のような揺れ。体が床に押しつけられ、膝を折ってしまう。エレベーターがとんでもない速度で急上昇していた。
――何が。
思う間もなく、何か見えない壁に殴られたかのように、全身が滅多打ちにされる。
目の前が真っ暗になり、何も見えなくなった。
* * *
気がつけば、誰かに引きずられていた。
薄闇がかかったような視界には、トンネルの中で擱坐したエレベーターの姿があった。何千トンもある鋼鉄の塊がコンクリートの壁にめり込み、かなりいびつな形で終着点に突っ込んでいる。
――僕は、そういえば、エレベーターが急に上昇し始めて、そこで気を失った?
状況から見て、地下で起こった爆発による爆風がエレベーターを押し上げたのか。
そこで気付く。足が動かない。まるで自分の体ではない、何か別の物体のようだ。感覚が全くなかった。さらに目をこらす。
――見るんじゃなかった。
自分の腹が、鮮血で真っ赤に染まっていた。ボディーアーマーはひどく破損し、その破口が中の生身にまで到達している。視界がぼやけてよく見えないが、傷口から何かがはみ出しているようにも思えた。
バイタルモニターを視界に呼び出す。腹部に深い傷を負っていることを示すマーカーが出る。体内の血液量もどんどん減っていた、激しく出血している。
トンネルの中、エレベーター付近のがれきで何か動くものを見つける。ドローンだ。さっき這い上がってきたやつの残りだろう。一つではない、十か、あるいはそれ以上。
周囲が急に明るくなる、屋外に出たらしい。空を見る。雲一つない、抜けるような快晴だった。その空を背にして、自分を引きずっている人物の顔が、逆光の中に隠れていた。
自分を引きずっていたのは唯だった。半泣きの顔で、自分の両脇に手を入れ、女の子一人の手には余るであろう自分の体を。
右には浩太の姿があった。こちらに近づいてこようとするドローンに向けて、ライフルを発砲している。
このままでは逃げられない。歩くこともままならない自分を連れた状態では、このままじゃ三人とも――。
やるべきことは一つしかない。
「綾城さん」
唯に呼びかける。
「――僕を置いていけ」
唯は一瞬、自分の耳が信じられないといった風で、かぶりを振る。
「……え?」
「僕は歩けない、このままだと追いつかれる。だから」
喉に異物感を覚え、思わず咳き込んでしまう。口の中に血の味が広がる、内臓をやられたか。身をよじりたくなるような激痛が脳天に走った。
バイタルモニターには、みるみるうちに血液が失われてゆく様が表示されていた。この出血では、もって二~三分。
血の量がレッドゾーンに入る。意識喪失と生命維持限界を示す警告マーカーが出た。時間がない。
腿のホルスターから拳銃を抜く。力が入らず、小刻みに腕が痙攣する。なんとかやっとのことで、銃口をトンネル内のドローンに向ける。
意識の続く限り奴らの注意を引き、囮になって二人を逃がす。今の自分にできるのはそれしかない。
――来てみろ。最後の最後まで抵抗してやる。お前らになど屈してやるものか。
視界が暗くなり、意識が飛びそうに遠くなる。ありえないほど強烈な眠気が襲ってきた。
「綾城……さん、早く!」
麻痺しかけた舌で喋る。これ以上はもう、口を開く体力も残っていなかった。
「――イヤ」
だが、自分の耳朶を打ったのは、明確な拒否の言葉だった。
「……できないよ。置いてなんて、いけない」
自分の顔に何かが落ちる。水滴? いや、涙の粒だった。唯の瞳から、大粒の涙があふれ出る。
「私には……できない。ごめんなさい」
ドローンが近づく、もうすぐそこまで。
やっとここまで来たのに、僕にはもう。
突然、轟音が周囲を圧した。
空から飛来した物体が高速でトンネルに突っ込み、炸裂する。複数のドローンが粉みじんに吹き飛ばされ、バラバラになった。
頭上を戦闘ヘリが通過する。胴体には「国防陸軍」の文字と、日の丸の識別マークが描かれている。
直上にティルトローター機がホバリングし、展開した後部扉から複数の人影が空中にダイブする。それらの人影はロケットブースターを噴射し、加速度を緩和した後、地面に足をめり込ませながら着地した。無骨な装甲に覆われた巨人――国防陸軍の重外骨格だ。同時により小柄な人影、外骨格スーツを装着した兵士たちがロープを伝い、降下してくる。
兵士の一人が「銃を捨てろ!」という声を発し、浩太を地面に組み伏せる。浩太は苦痛の悲鳴を上げながら地面に突っ伏し、そのまま拘束された。
自分の手足は鉛が詰まったように重くなり、もう動かすこともできなかった。思考が途切れがちになり、目の前が帳を下ろしたように、徐々に暗くなってゆく。
遠くで声が聞こえた。「お願い! 誰か!」と、見覚えのある女の子が、髪を振り乱しながら叫んでいる。
女の子がこちらを向く。その顔は涙でぐしゃぐしゃになり、幼子がするように喉をしゃくり上げている。なぜか女の子のそんな姿を見て、胸が痛んだ。理由はもう、分からない。
「行かないで!」
ひどく眠い。もう瞼を開けていられなかった。
「置いて行かないで、私を独りにしないで!」
目を閉じる、痛みはもう感じない。
「行かないで……イヤぁぁっ!」
最後に、一言だけ君に。
さよなら。